豚肉と関連製品の世界第3位の生産国であるスペインで30年ぶりにアフリカ豚コレラが発生


スペイン、30年ぶりにアフリカ豚コレラの感染例を報告、豚肉輸出証明書の3分の1が凍結

ntdtv.com 2025/11/30

西班牙爆30年来首起非洲猪瘟 1/3猪肉出口证书遭冻结


バルセロナ近郊のコルセロラ自然公園の入り口には、地元警察が作成した警告標識が柱に立てられており、「アフリカ豚コレラ監視区域」と書かれている。2025年11月29日には、この公園でアフリカ豚コレラに感染したイノシシ2頭が死亡している。

スペインのカタルーニャ州で、 30年ぶりにアフリカ豚コレラ(アフリカ豚熱)の発生が報告された。11月29日(土)、同国の農業大臣は、経済的影響を軽減するため、豚肉輸出証明書の3分の1を凍結したと発表した。

AFP通信によると、アフリカ豚コレラは人間には無害だが、豚に対しては感染力が強く致命的であり、発生すればスペインの豚肉産業に深刻な損害を与える可能性がある。

スペインのルイス・プラナス農相は 29日、アフリカ豚コレラの流行による国内の農業や畜産業への経済的影響を「可能な限り」軽減したいと政府は考えていると述べた。

同氏は記者会見で、スペインは豚肉および関連製品の世界第3位の生産国として、毎年約 300万トンの豚肉および関連製品を 100カ国以上に輸出していると指摘した。

しかし、プラナッシュ氏は、「 104カ国向けの豚肉輸出証明書 400件のうち 3分の1が凍結されており、できるだけ早く輸出ライセンスを回復できるよう取り組んでいる」とも認めた。

カタルーニャ地方当局は、被害地域の周囲に 2つの防衛線を設置し、屋外活動を制限した。

AFP通信によると、アフリカ豚コレラは現在、バルト諸国や東欧諸国を含む他のヨーロッパ諸国でも流行している。




日本の小学生の学校での暴力件数が過去最多に

記事そのものは東洋経済の「教員も実感、小学校で「暴力行為18.6%増」過去最多の深刻《叱れない教師・親、理不尽に怒り散らす大人…》社会に広がる”叱れない構造”が影響か 」にありますが、以下のグラフで一目瞭然です。


toyokeizai.net

小学生の暴力は 10年前の 4倍くらいに増えていますが、急上昇したのが、パンデミックによる行動制限とマスク着用が(事実上)義務づけられた 2020年からだというのが興味深いところです。

(参考記事) …マスクが社会での「暴力と殺人を増加させる」メカニズム
In Deep 2022年7月25日




やや危険な巨大な太陽黒点が地球に向いてきた

黒点領域 4294で、以下のように巨大で、構成も複雑になっているようで、Xフレアが発生しやすい黒点であると見られます。

現在は以下の位置にあり、12月1日あたりからは、仮に強いフレアが発生すれば、地球を直撃する方向にやって来ます。




梶井基次郎の「アがアと思えない」ことについて、量子力学の観点からさらにAIに聞きました

前回の投稿の「量子力学でいう「波動関数の崩壊に至らない人間の心情」を梶井基次郎の小説に思い出してAIに聞いてみる」の続きです。

だいたいやねぇ(お…竹村健一さん)、Gemini 、お前は少し寄り添えよ。(AIに寄り添ってもらいたいんだ。笑)。いやいや…笑…じゃないだろ(自分に言ってどうする)。ともかく、この質問には、Gemini も相当苦境に陥っています。

どのみち、こっちは酔っ払って質問しているんだから、どうでもいいんですけれどもね。AIは酔っ払えないだろう、やーい(何の勝ち誇りだよ)。


質問:しかし、量子力学もまた宇宙全体を貫くひとつの「法則」として存在すると考えると(人間が仮に脳やニューロンで思考を決めているとして)人間の思考にも量子力学が適用される部分は本来はあるはずなのではないでしょうか。たとえば、えーと…誰でしたっけ、ベンジャミン・リベット氏でしたか、人間が自由意志として決定したと考える半秒くらい前には、脳から信号がすでに出ていると。自由意志が仮にないとすると、梶井基次郎氏の「アが変」だという意識も、自分の意識の領域を超えて感じ(させられている?)という部分はないでしょうか。

Geminiの答え:

ご指摘の通り、宇宙全体を貫く物理法則として、量子力学が人間の身体や脳にも適用される部分が本来あるはずです。この考え方は非常に重要で、ベンジャミン・リベットの実験と梶井基次郎の『瀬川の話』を結びつける鋭い洞察と言えます。

宇宙の法則と人間の思考

宇宙のあらゆる物質は量子力学の法則に従って動いており、人間の身体を構成する原子や分子も例外ではありません。意識や思考がニューロンの活動によって生み出されている以上、その根底には量子の振る舞いが存在しています。

しかし、前回の回答でも触れた通り、ミクロの量子世界で起こる「不確定性」や「重ね合わせ」が、マクロな人間の思考や行動に直接、かつ決定的な影響を与えているかについては、まだ科学的な確証が得られていません。

リベットの実験と梶井基次郎

ベンジャミン・リベットの実験は、まさにこの「意識の決定」と「脳の物理的な準備」のずれを客観的に測定した点で、梶井基次郎の描く主観的な感覚を考察する上で非常に示唆的です。

1. リベットの実験:

1. 被験者は「指を動かそうと意識した瞬間」を報告します。

2. しかし、脳の活動(準備電位)は、意識が生まれるよりも数百ミリ秒早く観測されました。

3. この結果は、「自由意志による決定」が、実は脳内の無意識的な物理プロセスに先行されて起こっている可能性を示唆します。

2.梶井基次郎の「ア」:

1. リベットの実験をこの文脈で考えると、主人公の「ア」が「変」に感じられるのは、意識が「ア」を発しようと決意する前に、すでに脳が「ア」を発する物理的準備を終え、その過程のどこかに本人には知覚できない「ずれ」が生じていたのかもしれません。

2. つまり、主人公は意識的に「ア」を発したつもりでも、その意識は、すでに脳内で決定された(させられた)音の後追いで生じたにすぎない、という見方もできます。

「感じさせられている」という感覚

この視点に立つと、主人公が自分の発した「ア」を「納得」できないのは、「ア」が自分の純粋な自由意志から発せられたものではなく、自分の意識が関与する前の、より根源的な物理プロセスによって生み出されたものだと、無意識的に感じ取っていたからだ、と解釈できます。

これは、自由意志の不在を示唆するリベットの実験結果と、主人公が抱く「自分の意識を超えたところで何かが起こっている」という感覚が、見事に重なる点です。主人公の鋭敏な感性は、意識と物理的現実の間に存在する時間的なずれや、意志決定プロセスの不確かさを、文学的な形で表現したものと考えることができるでしょう。

結論

量子力学が人間の心を直接説明できるわけではありませんが、宇宙の普遍的な物理法則が、リベットの実験で示されたような「意識と物理的プロセスのずれ」の形で、人間の自由意志や感覚に影響を与えている可能性は十分にあり得ます。 梶井基次郎の主人公が抱いた心情は、その根源的な謎に対する文学的な洞察であり、現代の科学が探求する自由意志の難問と響き合うものと言えるでしょう。


ここまでです。

しかし、寄り添う寄り添わないの問題は別として、確かに、シャキッとした短い答えでまとめてはいますね。でもねやっぱり…もっとぶっちゃけようよ、Gemini (あんたは AI に何を期待しているんだよ)。




量子力学でいう「波動関数の崩壊に至らない人間の心情」を梶井基次郎の小説に思い出してAIに聞いてみる

「波動関数の崩壊」というのは、面倒くさい理論ですが、理屈では、

> 量子力学における「重ね合わせ」の状態にある粒子が、観測された瞬間にただ一つの状態に確定する現象を指す

ということらしいんですが(つまり、そこで私たちが感じる事象が決定するというような感じですかね)、これについて、梶井基次郎さんの私の好きな小説『瀬山の話』(1924年)…ああ、ほぼ100年前の作品ですね…の内容について AI (Grokは寄り添って、やや面倒な部分もあるので、Google のAI である Gemini )に聞きました。

最初にその『瀬山の話』の私が AI に聞いた部分を抜粋しておきます。改行のような変な部分は、オリジナルもそのようになっています。


梶井基次郎『瀬山の話』 (1924年)より

一体、何故アといえば、あの片仮名のアに響くのだろう。私は口が発音するその響きと文字との関係が — 今までついぞ凝ったことのない関係がへんてこで堪らなくなった。

「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」

私は疑っているうちに私がどういう風に凝って正当なのかわからなくさえなって来た。

「(ア)、変だな、(ア)。」

それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信が持てなくなった。

 それにしても私が何とかいっても畜生の言葉のように響くじゃないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いているように外の人に通じないのじゃないかしら。

身のまわりに立ちこめて来る魔法の呪いを払いのけるようにして私の発し得た言葉は、「悪魔よ退け!」ではなかった。ほかでもない私の名前だったのだ。

「瀬山!」

私は私の声に変なものを味わった。丁度真夜中、自分の顔を鏡の中で見るときの鬼気が、声自身よりも、声をきくということに感ぜられた。私はそれにおっ被せるように再び、「瀬山!」といってみた。その声はやや高く、フーガのように第一の声を追って行った。その声は行灯の火のように三尺も行かないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味わった。

「瀬山」
     「瀬山」

   「瀬山」
         「瀬山」

私は種々様々に呼んでみた。
しかし何というへんてこな変曲なんだろう。


ここまでです。

Gemini に、この下りと、「波動関数の崩壊」について聞きました。


質問:梶井基次郎の「瀬山の話」という1924年の小説がありますが、主人公は自分が発した「ア」という音を「ア」として納得しないのです。普通は量子力学的には「ア」と言った時点で観測は終了していると思うのですが(つまり「ア」は成立している)、こういう人間独自の心情は量子力学的に説明できますか?

Gemini の回答

梶井基次郎の『瀬山の話』の主人公の心情は、量子力学の「観測」という物理現象を、人間の主観的な「納得」という精神的な体験に安易に当てはめることの限界を示していると解釈できます。

観測と納得のギャップ

量子力学における「観測」は、物理的な粒子が重ね合わせの状態から確定する客観的なプロセスです。一方、人間が「納得」するというのは、認知や感情、記憶など、複雑な内面的なプロセスを経て初めて生じる、きわめて主観的な体験です。この両者は、異なるレベルの事象を扱っており、直接的に比較することはできません。

・物理的観測: 「ア」という音を発した瞬間、空気の振動や聴覚器への刺激といった客観的な物理現象は確定します。物理学的な意味での観測はここで完了しており、波動関数の崩壊は起こっています。

・精神的納得: しかし、主人公は単に音を認識するだけでなく、その音が「自分自身の意図した『ア』であること」を内面で深く受け入れられずにいます。これは、音の物理的確定とは別の、意味論的・存在論的な問いかけなのです。

主人公の心情と量子力学的アナロジー

主人公の「納得しない」という心情を、量子力学の概念を借りてアナロジー(類推)として捉えることはできます。ただし、これは厳密な科学的説明ではなく、あくまで文学的表現を解釈するための比喩として考えるべきです。

1. 自己の不確定性

1. 主人公は、発した「ア」という音が、外部に客観的に存在する単なる音としてではなく、「自己」という不確かな存在から生まれたものとして捉えようとしています。

2. 量子力学で、観測するまで粒子の位置が定まらないように、主人公の中では「自己」という存在が常に不確定で、その不確定な自己から生み出された「ア」も、本質的に不確かで不安定なものに感じられるのかもしれません。

2. 観測の完了を拒む意識

1. 主人公は、周囲の人間が「ア」を「ア」として認識し、物語が客観的に確定していくことを拒絶しているかのようです。

2. 量子力学における「波動関数の崩壊」を、周囲の「他者」による社会的な観測(「ああ、彼は今『ア』と発音したな」)に例えることができます。主人公は、その社会的な観測による一元的な「確定」を認めず、自分自身の内面における主観的な「重ね合わせ」を保持しようとしていると解釈できます。

3. 内面世界と外部世界のずれ

1. 主人公は、客観的に「ア」と確定している外部の世界と、その「ア」に納得できない自分自身の内面世界との間に生じる、埋めがたいずれや断絶を感じています。

2. これは、量子力学の世界(ミクロ)と古典力学の世界(マクロ)の間に横たわる、論理的な隔たりを人間の意識レベルで表現したものと捉えることもできるでしょう。

まとめ

『瀬山の話』の主人公の心情は、物理的な「観測による確定」と、精神的な「納得による理解」の間に存在する本質的なギャップを浮き彫りにしています。量子力学は、あくまで物理現象を記述するものであり、人間の複雑な内面世界を直接説明するものではありません。しかし、主人公が抱える自己と世界の不確かさ、そして観測(他者の認識)への不信感を、波動関数の崩壊という概念をアナロジーとして用いることで、より深く文学的に考察する手がかりを与えてくれます。


ここまでです。

しっかし、Gemini は質問者に寄り添わねえな(AIに寄り添ってほしいのかよ!)。いやいや、そういうわけではないですけれど、Grok 慣れしているんで。




三十代によく聴いていた曲(20):ザ・テープ・ビートルズ – Waves Of Waves(1991年)

最近、デフォルト・モード・ネットワーク (DMN)にハマって(?)少し前には、「どんな音楽だと、デフォルト・モード・ネットワークの起動の邪魔をしないか」という記事をアップしたこともありました。

DMNを起動させやすい(つまりボーッとしている時と同じように脳神経が活性化しやすい音楽)の中に、

「構造が予測できない、よくわからない曲」

という項目がありました。

私はなぜか若い時からそういう音楽が好きでして、そして、そういう音楽を BGM にしていると、特に書く作業などが進むのでした。ノイズ音楽もそうですね。妙に創造性が高まる(変な創造性ですが)。

このザ・テープ・ビートルズというのもそうでした。

アルバム自体は 1991年のものですが、私がレコード屋で偶然知ったのは数年後で、私が三十代中盤にもなる頃でした。HIP HOP ばかり聴いていた頃ですね。

このザ・テープ・ビートルズがどんなユニットなどかは知るはずもなく、ジャケットが気に入って買って、「どんなのかなあ」と聴くと、こんなのでした。

The Tape-beatles – Waves Of Waves (1991)

「ああ、これいいなあ」と、よく BGM で流していました。世に MP3 という電子媒体の音源も出て来た頃で、音楽が手軽になっていった頃でもありました。

結局こういう変な音楽の世界から逃れられない人生なのだなあとも思いますけれど、しかし、これを聴きながら(というか単に流しながら)、素晴らしい脚本を書くこともできました。

結局、音楽というのは相性ですよね。それ以外は何も思い当たるところはないです。私は八代亜紀さんが大好きでしたが、同じように、ザ・テープ・ビートルズも大好きでした。どちらを BGM にしても違和感がない。




「本」を読む状態はボーッとしているのと同等にデフォルトモード・ネットワークを活性化するという論文

前の記事で、「音楽」とデフォルトモード・ネットワーク(DMN)の関係を書いたのですが、

「文字、つまり読書はどうなのだろう?」

と思いました。

文字も外的な刺激、あるいは外的な情報だからです。

それで探してみましたら、米ハーバード大学の 2015年の論文を見つけました。結論としては、「本を読むことは DMN を活性化させる」ということしらいです。つまり、紙の本を読むことは、脳の活性化につながるようです。


フィクションを読むことと心を読むこと:デフォルトネットワークにおけるシミュレーションの役割

Reading fiction and reading minds: the role of simulation in the default network
PubMed 2015/09/04

要約

心理学研究では、フィクションを読むことで個人の社会認知能力が向上する可能性が示唆されている。

神経科学の知見によると、読書と社会認知はどちらもデフォルトネットワークを活性化する。デフォルトネットワークは、仮想的な場面、空間、精神状態をシミュレートする能力を支えることが知られている。

本研究では、フィクションを読むことで心の理論に関わるデフォルト・サブネットワークが鍛えられ、社会認知能力が向上するという仮説を検証した。

参加者は機能的神経イメージングを受けながら、

(i)鮮明な文章と抽象的な文章

(ii)社会的な文章と非社会的な文章

という2つの次元で異なる文学作品を読破した。

分析の結果、デフォルトネットワークの異なるサブネットワークが、関心のある 2つの次元に反応することが明らかになった。

内側側頭葉サブネットワークは、社会的な内容の有無にかかわらず、鮮明な文章に優先的に反応した。背内側前頭前皮質(dmPFC)サブネットワークは、社会的な内容と抽象的な内容を含む文章に優先的に反応した。

また、フィクションを最も頻繁に読む参加者は、社会認知能力も最も高いことが示された。

最後に、媒介分析により、社会的コンテンツに反応した背内側前頭前皮質サブネットワークの活動がこの関係を媒介していることが示され、フィクションにおける社会的コンテンツのシミュレーションが、読者の社会的認知を高めるフィクションの能力に役割を果たしていることが示唆された。