量子力学でいう「波動関数の崩壊に至らない人間の心情」を梶井基次郎の小説に思い出してAIに聞いてみる

「波動関数の崩壊」というのは、面倒くさい理論ですが、理屈では、

> 量子力学における「重ね合わせ」の状態にある粒子が、観測された瞬間にただ一つの状態に確定する現象を指す

ということらしいんですが(つまり、そこで私たちが感じる事象が決定するというような感じですかね)、これについて、梶井基次郎さんの私の好きな小説『瀬山の話』(1924年)…ああ、ほぼ100年前の作品ですね…の内容について AI (Grokは寄り添って、やや面倒な部分もあるので、Google のAI である Gemini )に聞きました。

最初にその『瀬山の話』の私が AI に聞いた部分を抜粋しておきます。改行のような変な部分は、オリジナルもそのようになっています。


梶井基次郎『瀬山の話』 (1924年)より

一体、何故アといえば、あの片仮名のアに響くのだろう。私は口が発音するその響きと文字との関係が — 今までついぞ凝ったことのない関係がへんてこで堪らなくなった。

「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」

私は疑っているうちに私がどういう風に凝って正当なのかわからなくさえなって来た。

「(ア)、変だな、(ア)。」

それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信が持てなくなった。

 それにしても私が何とかいっても畜生の言葉のように響くじゃないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いているように外の人に通じないのじゃないかしら。

身のまわりに立ちこめて来る魔法の呪いを払いのけるようにして私の発し得た言葉は、「悪魔よ退け!」ではなかった。ほかでもない私の名前だったのだ。

「瀬山!」

私は私の声に変なものを味わった。丁度真夜中、自分の顔を鏡の中で見るときの鬼気が、声自身よりも、声をきくということに感ぜられた。私はそれにおっ被せるように再び、「瀬山!」といってみた。その声はやや高く、フーガのように第一の声を追って行った。その声は行灯の火のように三尺も行かないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味わった。

「瀬山」
     「瀬山」

   「瀬山」
         「瀬山」

私は種々様々に呼んでみた。
しかし何というへんてこな変曲なんだろう。


ここまでです。

Gemini に、この下りと、「波動関数の崩壊」について聞きました。


質問:梶井基次郎の「瀬山の話」という1924年の小説がありますが、主人公は自分が発した「ア」という音を「ア」として納得しないのです。普通は量子力学的には「ア」と言った時点で観測は終了していると思うのですが(つまり「ア」は成立している)、こういう人間独自の心情は量子力学的に説明できますか?

Gemini の回答

梶井基次郎の『瀬山の話』の主人公の心情は、量子力学の「観測」という物理現象を、人間の主観的な「納得」という精神的な体験に安易に当てはめることの限界を示していると解釈できます。

観測と納得のギャップ

量子力学における「観測」は、物理的な粒子が重ね合わせの状態から確定する客観的なプロセスです。一方、人間が「納得」するというのは、認知や感情、記憶など、複雑な内面的なプロセスを経て初めて生じる、きわめて主観的な体験です。この両者は、異なるレベルの事象を扱っており、直接的に比較することはできません。

・物理的観測: 「ア」という音を発した瞬間、空気の振動や聴覚器への刺激といった客観的な物理現象は確定します。物理学的な意味での観測はここで完了しており、波動関数の崩壊は起こっています。

・精神的納得: しかし、主人公は単に音を認識するだけでなく、その音が「自分自身の意図した『ア』であること」を内面で深く受け入れられずにいます。これは、音の物理的確定とは別の、意味論的・存在論的な問いかけなのです。

主人公の心情と量子力学的アナロジー

主人公の「納得しない」という心情を、量子力学の概念を借りてアナロジー(類推)として捉えることはできます。ただし、これは厳密な科学的説明ではなく、あくまで文学的表現を解釈するための比喩として考えるべきです。

1. 自己の不確定性

1. 主人公は、発した「ア」という音が、外部に客観的に存在する単なる音としてではなく、「自己」という不確かな存在から生まれたものとして捉えようとしています。

2. 量子力学で、観測するまで粒子の位置が定まらないように、主人公の中では「自己」という存在が常に不確定で、その不確定な自己から生み出された「ア」も、本質的に不確かで不安定なものに感じられるのかもしれません。

2. 観測の完了を拒む意識

1. 主人公は、周囲の人間が「ア」を「ア」として認識し、物語が客観的に確定していくことを拒絶しているかのようです。

2. 量子力学における「波動関数の崩壊」を、周囲の「他者」による社会的な観測(「ああ、彼は今『ア』と発音したな」)に例えることができます。主人公は、その社会的な観測による一元的な「確定」を認めず、自分自身の内面における主観的な「重ね合わせ」を保持しようとしていると解釈できます。

3. 内面世界と外部世界のずれ

1. 主人公は、客観的に「ア」と確定している外部の世界と、その「ア」に納得できない自分自身の内面世界との間に生じる、埋めがたいずれや断絶を感じています。

2. これは、量子力学の世界(ミクロ)と古典力学の世界(マクロ)の間に横たわる、論理的な隔たりを人間の意識レベルで表現したものと捉えることもできるでしょう。

まとめ

『瀬山の話』の主人公の心情は、物理的な「観測による確定」と、精神的な「納得による理解」の間に存在する本質的なギャップを浮き彫りにしています。量子力学は、あくまで物理現象を記述するものであり、人間の複雑な内面世界を直接説明するものではありません。しかし、主人公が抱える自己と世界の不確かさ、そして観測(他者の認識)への不信感を、波動関数の崩壊という概念をアナロジーとして用いることで、より深く文学的に考察する手がかりを与えてくれます。


ここまでです。

しっかし、Gemini は質問者に寄り添わねえな(AIに寄り添ってほしいのかよ!)。いやいや、そういうわけではないですけれど、Grok 慣れしているんで。