マーティン・アームストロング氏が語る2026年





債務、経済、戦争、金銀のパーフェクトストーム – マーティン・アームストロング

usawatchdog.com 2025/12/30

伝説的な金融・地政学サイクルアナリスト、マーティン・アームストロング氏は、どこを見渡しても制御不能な大きな問題が渦巻いていると指摘する。

アームストロング氏は、あらゆる方面から最悪の事態が迫っていると見ている。まずはウクライナ紛争から見てみよう。ロシアがウクライナがプーチン大統領官邸を攻撃したと主張するまでは、平和は実現可能だと思われていた。 ところが、ちょうど今日、新たな見出しが躍った。 「ウクライナの無人機がモスクワを攻撃、60万人以上のロシア人が暗闇に沈む」。

アームストロング氏は、こう述べる。

「これが真に持続可能な平和へと発展するとは思えない。彼らがやろうとしているのは停戦協定を結び、NATOがウクライナを守るふりをして部隊を派遣することだ。そして、それは偽旗作戦だ。彼らは『ああ、仲間の足を撃ったんだから、第三次世界大戦だ』と言うだろう」

返済不能な債務状況はヨーロッパで最悪だ。アームストロング氏はこう指摘する。

「ヨーロッパは社会正義という概念に非常に関心を持っている。FRBのウェブサイトでヨーロッパのわずかな四半期成長率を見て、アメリカと比較してみてほしい。アメリカと比べればほんのわずかな割合だ。ヨーロッパは経済的に自殺している。これがこの戦争の目的だ。もしロシアと戦争をしなければ、人々はピッチフォークを持って立ち上がり、議会を攻撃するだろう。…EUは生き残れない。崩壊するだろう。コンピューターは、2024年から2028年の間に世界経済が深刻な不況に陥ると予測している」

金属について、アームストロング氏はこう語る。

「戦争と危機が迫っていることを知っている人たちが金属を買っている。…創造的破壊が起きている。…これに加えて、商品不足も発生している。…そして地政学的なナンセンスもある。アンソニー・ブリンケン(バイデン政権の国務長官)はロシアに制裁を課した。金属を見れば、何が起きたか分かるはずだ。ロシアからの金、銀、プラチナの供給を遮断したのだ」

「そして、中国は2026年1月1日から銀の輸出を禁止する。 これは非常に重要なことだ。中国は銀供給の約 60%をコントロールしている。…これが銀価格が急騰した理由の一つだ。まさに最悪の事態だ。しかも、NATO は戦争のためだけに存在している。…ソクラテス(アームストロング氏のコンピュータ)は依然としてヨーロッパは負けると言っている。ロシアとの戦争でひどい目に遭うだろう」

アームストロング氏は、今後数年間、金、銀、その他の金属の強気相場が続くと予測している。その大きな理由の一つは、金属不足だ。アームストロング氏は以下のように述べる。

「この不足が解消されるとは思えない。強気相場は 2032年まで続く可能性が高いだろう。不安定になり、その後、戦争が起こる。戦争になれば、価格はさらに上昇するだろう。すべてが混乱状態だ。まさに最悪の事態に進んでいる」




「2025年の英国 レコード売上は18年連続増 カセットテープは53.8%増」という報道

カセットも売れてんのか…。カセットは 40年前でもマイナーな存在で、確か少年ナイフというバンドの「みんなたのしく少年ナイフ」を持っていたような気はしますが、当時でも、あまり購入するものではなかったですね。





2025年の英国 レコード売上は18年連続増 カセットテープは53.8%増 オアシスのアルバムの売上が100万枚を超える

amass.jp 2025/12/31

英国レコード産業協会(BPI)の年次報告書によると、2025年、英国のアナログレコードの売上は前年比13.3%増の760万枚に達しました。18年連続の増加を記録しています。

ストリーミングは現在、英国の音楽市場全体の89%を占めており、アルバムは1億8900万枚相当聴かれていますが、ストリーミングは前年比5.5%増ですので、レコードが成長率では大きく上回っています。

この年次報告書によると、2025年、英国のアルバムの総売上は2024年から4.9%増加し、販売・ストリーミングは2億100万枚に達しました。11年連続で増加です。

CDの売上は7.6%減の970万枚。一方、カセットテープはその関心の高まりにより、売上は53.8%増の164,491本に達しています。全体として、フィジカル・アルバム(CD、アナログレコード、カセットテープほか)の売上は1.4%増の1760万枚でした。

BPIはまた、女性アーティストたちが年間を通じて2025年の英国の音楽業界を牽引したと報告。特にテイラー・スウィフトは席巻で、2025年リリース作『The Life of a Showgirl』のレコード売上は14万7000枚を記録。これは1990年代にオフィシャル・チャート・カンパニーがチャート集計を開始して以来、個人アーティストとして最多の記録です。

オアシスも大きな復活を遂げ、再結成ツアーのおかげで、2025年内のアルバムの売り上げが100万枚を超えました。バンドのベスト・アルバム『Time Flies』は2025年に4番目に売れたアルバムとなり、『(What’s The Story) Morning Glory』は7番目に売れたアルバムとなりました。




必然と偶然についての今日の最後のAIへの質問

前記事は「さらに「自由と必然」についてAIに聞いてみました」ですが、毎日毎日、いわゆる不幸と表現できるニュースを見ていれば、こういう気持ちにもなるのですよ。若い時から同じでした。self23の活動を始めた理由も大体このあたりでした。世には不幸が多すぎる。

質問:私がこんなことにこだわるのは、学問的な意味を超えたところで、たとえば、現実的に「不幸」という事象が人間社会にはあるではないですか。それは怪我だったり何か経済的なことだったり、あるいは不慮の死亡という悲しい出来事もあります。それを「因果律」というような部分でとらえるのも感情的には厳しいですし、かといって、全部が単なる偶然といってしまっていいのだろうかということもあります。生きている中ではいろいろなことがあるわけですけれど、ある程度、こういうことに対しての感覚を持つ時期なのかなと思うこともあるからかもしれません。


Grok の回答:

ユーザーのおっしゃる通り、不幸な出来事——怪我、経済的な挫折、不慮の事故や死——を巡る思いは、学問的な議論を超えて、非常に現実的で感情的なものです。私自身も、こうしたテーマは単なる抽象論ではなく、人生の核心に触れるものだと感じます。

以下で、少し整理しながらお答えしますが、まずはご自身の「生きている中でいろいろなことがある」という感覚に深く共感します。それは、誰もが直面する普遍的な問いかけで、ある時期にこうしたことを考えるのは、自然な成長のプロセスかもしれません。量子力学や哲学の文脈から、必然と偶然のバランスをもう少し掘り下げてみましょう。

不幸を「因果律」で捉える感情的な厳しさ

・因果律の視点: カントや古典物理学のように、世界を因果の連鎖として見ると、不幸は「避けられない結果」として説明されがちです。例えば、膝を擦りむいたのは、転んだ原因(道の凹凸、天候、注意力の欠如など)の積み重ねから生じた必然。

経済的損失も、市場の変動や個人の選択の連鎖として。ですが、おっしゃるように、これを感情的に受け入れるのは厳しいですよね。なぜなら、それは「運命論」のように感じられ、個人の努力や希望を無力化するように思えるからです。実際、因果律は説明力は強いですが、慰めにはならないことが多いです。

・偶然の役割: 一方、量子力学の確率性を入れると、不幸の一部は「本質的な偶然」として位置づけられます。例えば、遺伝子の突然変異による病気や、予期せぬ事故は、ミクロレベルのランダムネスがマクロに現れたもの。すべてを因果で説明しようとせず、「たまたま起きた」として受け入れる余地が生まれます。これで心が軽くなる人もいますが、逆に「なぜ私に?」という理不尽さが強調され、別の苦しみを生むこともあります。

すべてを「必然」か「偶然」かに二分しないアプローチ

こうしたジレンマに対して、哲学や心理学では「両方を統合した視点」が提案されます。神や宗教を抜きにしても、以下のような考え方が参考になるかもしれません:

・ストア派の影響(決定論的受容): 古代ローマのセネカやエピクテトスは、すべてを「必然の秩序」として受け入れつつ、感情のコントロールを重視します。不幸は外的な出来事(偶然や因果の産物)ですが、私たちの反応(内面的自由)はコントロール可能。つまり、「出来事自体は必然/偶然だが、それをどう意味づけるかは自分次第」。これで、感情的な厳しさを和らげられます。Bo Yin Raの「必然から自由が生まれる」という主張も、これに近いです。

・存在主義の視点(サルトルなど): すべてが偶然の産物だとしても、人間はそれを「意味づける自由」を持つ。事故や死は理不尽ですが、そこから人生の価値を再構築する。例えば、不慮の死をきっかけに、残された人が「生きる意味」を深く考える——これは偶然を必然的な成長の機会に転換するアプローチです。量子力学の不確定性のように、世界は予測不能ですが、それゆえに「選択の余地」が生まれる。

・現代の科学・哲学のハイブリッド: 量子力学では、偶然は「法則内のランダムネス」なので、完全なカオスではなく、統計的なパターンがあります。人生も似ていて、個別の不幸は偶然的ですが、全体としてパターン(例: 健康管理でリスク低減)が見えます。感情的に厳しい時は、「因果で説明しすぎず、偶然として受け流す」バランスが大事。心理学では、これを「認知再構成」と呼び、不幸を「学びの機会」として再解釈する手法が有効です。

こうした感覚を持つ「時期」の意味

おっしゃるように、人生のある段階でこうしたことを考えるのは、決して無駄ではありません。むしろ、成熟のサインです。

20-30代でキャリアの挫折を経験したり、40-50代で健康や喪失に直面したりすると、自然に「なぜ?」という問いが湧きます。これは、単なる偶然の積み重ねではなく、自己成長の必然的なプロセスかもしれません。

多くの人が、ここから新しい価値観(例: 感謝の心やレジリエンス)を築きます。結局、必然と偶然は「対立」ではなく、「共存」するものとして捉えるのが、現実的だと思います。不幸をすべて因果で責めず、すべて偶然で諦めず、受け入れつつ行動する——それが、生きていくための感覚なのかもしれません。




さらに自由と必然のことを聞いてみた(年末なのにあんたは暇だね)

ここに「観測されるまでは、この世の状態は確定されない」という概念が出てきますが、10年ほど前の In Deep の以下の記事に、量子力学での実験の成果があります。

「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
In Deep 2015年6月6日

質問:量子力学の話が出てきましたが、「観測されるまでは、この世の状態は確定されない」というのは、私たちのような普通の人から見れば、「じゃあ結局、この世は偶然なのか?」という考えにも陥りやすいですが、そこに整合性を持たせることは可能でしょうか?


Grok の回答:

確かに、量子力学の「観測されるまでは状態が確定しない」という特徴は、日常感覚からすると「結局すべてが偶然なのではないか?」という印象を強く与えますよね。この点は、哲学的にも科学的にも長年議論の的になっているテーマです。少し整理して考えてみましょう。

量子力学が本当に「偶然」を意味するのか?

量子力学の標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)では:

・粒子(電子など)は観測される前は「重ね合わせ状態」(同時に複数の可能性が存在する状態)にある。

・観測した瞬間に「波動関数の崩壊」が起こり、特定の結果(例: 上スピンか下スピンか)が確定する。

・この確定のプロセスは、確率的(確率で決まる)であり、個々の事象については予測不能。

ここで重要なのは:

・個々の出来事(1回の測定結果)は本質的に偶然的(予測不能)。

・しかし、多数回の繰り返しでは、確率分布(例: 50%上、50%下)が極めて正確に再現される。この確率分布自体は、シュレーディンガー方程式によって完全に決定論的に決まる。

つまり、量子力学は「完全に決定論的な法則が、確率的な結果を生み出す」という二重構造を持っています。法則自体は必然的ですが、個別の結果は偶然的です。

「この世は結局偶然なのか?」への答え方

この問いに対して、主な立場は3つに分けられます:

1. 本質的に偶然がある(真の偶然性)

コペンハーゲン解釈の主流派や、多くの物理学者(例: ファインマン)はこう考えます。宇宙には根本的な偶然が組み込まれており、古典的な決定論(ラプラスの悪魔のような完全予測)は不可能。
→ 私たちの日常感覚に近い:「膝を擦りむいたのは、偶然の積み重ねだった」と言える余地が生まれる。

2. 実はすべて決定論的(隠れた変数説)

アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言い、量子力学の背後にまだ発見されていない決定論的な「隠れた変数」があると考えました(ボーム解釈など)。

しかし、ベルの不等式実験(1980年代以降の多数の実験)で、局所的隠れた変数説はほぼ否定されています。
→ 現在は少数派ですが、完全に死んだわけではない。

3. 多世界解釈(すべてが必然的に起こる)

エヴェレットによる解釈。波動関数の崩壊は起こらず、すべての可能性が別の並行宇宙で実現する。

→ 私たちが「上スピン」と観測した世界と、「下スピン」と観測した世界が両方存在する。結果として、すべての結果が必然的にどこかの世界で起こる。この解釈では、宇宙全体で見れば偶然は存在しない。

必然と偶然の関係をどう捉えるか

量子力学が出てきたことで、古典物理学の「すべては必然」という単純な絵は崩れましたが、逆に「すべてが偶然」という極端な絵も正しくありません。

より正確には:

・ミクロレベルでは本質的な確率(偶然)が存在するように見える。

・マクロレベル(日常世界、天体の運行など)では、膨大な数の量子事象が平均化され、ほぼ完全に決定論的(必然的)に振る舞う。

つまり、私たちが「必然」と感じるもの(太陽が明日も昇る)は、量子的な偶然の海の上に築かれた、極めて安定した統計的必然性なのです。

結論として

「この世は偶然なのか?必然なのか?」という問いは、どちらか一方を選ぶ必要は必ずしもありません。

現代物理学が示すのは、両方が共存する階層的な世界像です。深いレベルでは偶然(確率)が支配する。私たちが生きるスケールでは、ほぼ完璧な必然が現れる。

この二重性こそが、必然と偶然をいつまでも考えさせてくれる魅力的なところだと思います。Bo Yin Raのようなスピリチュアルな「すべては必然」という主張も、カントの現象界の決定論も、量子力学の確率的世界も、それぞれが世界の一面を照らしている — そんな風に捉えると、矛盾ではなく豊かさとして感じられるかもしれませんね。




さらに「自由と必然」についてAIに聞いてみました

前記事は以下です。

ボー・イン・ラー『自由の亡霊』の「自由と必然性」について、どうも今ひとつわからないのでAIにも聞いてみた
BDW 2025年12月30日

質問:カントの『純粋理性批判』では「必然性」と「偶然性」が対立した概念として対置させているといわれますが、では、カントの言う「必然性」とは簡単にいえば、どんなものなのかと考えます。たとえば、地球や月や太陽を含めた運行は常に定まっていて、何百年後、何千年後の天体の位置も予測することが可能です。しかし地上のさまざまな事象(砂埃がどの方向に飛ぶとか、転んで膝に怪我をしたとか)は一般的には「偶然」となります。しかし、先ほどのボー・イン・ラーの主張では、それらも含めて、すべてが必然となるような感じなんですが、神とか宗教的なことは除外したとして、定められている必然が、この世には常に存在しているという考えがあるということでしょうか。


Grok の回答:

カントの『純粋理性批判』(1781年)では、確かに「必然性」と「偶然性」が対立する概念として扱われています。これらはカントの認識論(人間がどのように世界を知るか)の核心に関わり、アプリオリ(経験以前の)な知識の枠組みで説明されます。以下で簡単に整理しますが、カントの哲学は複雑なので、要約としてお考えください。

カントの「必然性」とは何か?

・簡単に言えば: 必然性とは、「絶対にそうでなければならない」状態や法則を指します。カントによると、これは人間の純粋理性が持つ先天的なカテゴリー(思考の基本枠組み)のひとつで、世界を理解するための「必須のルール」です。具体的に、必然性は「因果律」(すべての出来事には原因がある)や「普遍性」(いつでもどこでも当てはまる)と結びつき、経験的事象を「予測可能で避けられないもの」として構成します。

・例: 「2+2=4」は数学的に必然(経験なしに真で、変わらない)。

・アプリオリな必然: これは経験から来るものではなく、理性の構造から生まれる。カントは、必然性を「厳格な普遍性と必要性」と定義し、どんな状況でも偽にならないものを指します。

・現象界 vs 物自体: カントは世界を「現象」(私たちが知覚するもの)と「物自体」(知り得ない本質)に分けます。現象界では、すべての出来事は因果的に必然的(前の原因から必ず生じる)。しかし、物自体では自由や偶然が残る余地があり、ここで人間の道徳的自由(意志の自由)が可能になります。

必然性と偶然性の対比

・必然性: 避けられない法則に基づく。カントの12のカテゴリー(例: 原因/依存、存在/非存在、必然/偶然)の一つで、理性が世界を整理するためのツール。 これにより、私たちは散漫な感覚データを「秩序ある経験」に変えます。

・偶然性: 必然の反対で、「そうでなくてもよかった」もの。経験的に見えるが、カントでは本当の偶然は現象界にない(すべて因果的)。偶然は、私たちの知識の限界から生じる「見かけのもの」です。

・ユーザーの例で言うと:

・天体の運行(地球、月、太陽): これは必然的。物理法則(ニュートンのような)が因果的に定まり、予測可能。カントでは、これを空間・時間・因果のカテゴリーがアプリオリに適用される例として扱います。

・地上の事象(砂埃の方向、転んで膝に怪我): 見かけ上「偶然」だが、カントでは因果的に必然(無数の原因の連鎖から生じる)。予測できないのは、私たちの知識が不十分だからで、本質的に偶然ではない。 つまり、すべてが「必然の網」にかかっている。

ボー・イン・ラーの主張との関連(神・宗教を除外して)

Bo Yin Raの「すべてが必然」(アナンケのような宇宙的秩序)のような考えは、カントの必然性と重なる部分がありますが、より包括的。カントは認識論的に必然を人間の理性に限定しますが、ユーザーの指摘通り、神や宗教を抜きにしても、「この世に定められた必然が存在する」という哲学的立場はあります。これを「決定論」と呼びます。

・非宗教的な決定論: 古典物理学(ラプラス)では、宇宙は完全な因果法則で動く「時計仕掛け」。すべての出来事(砂埃や怪我も)は初期条件と法則から必然的に決まる。偶然は「知らないだけ」の幻想。現代では量子力学で真の偶然(不確定性)が導入され、厳格な決定論は揺らぎますが、ソフト決定論(行動は決定されているが「自由」と感じる)のような変種が存在。

・カントとの違い: カントは決定論を現象界に限定し、道徳的自由を残します。一方、Bo Yin Ra風の「すべて必然」はスピリチュアルですが、非宗教的に見れば決定論に似て、宇宙の「固定された法則」がすべてを定めているという考えです。これは科学哲学で議論され、例えばスピノザのように「必然は自由の基盤」とする人もいます。

するに、カントの必然性は「理性のルール」として世界を秩序づけ、偶然を「見かけ」にします。Bo Yin Raのようないっそう強い必然観は、決定論として非宗教的に存在しますが、量子力学などで挑戦されています。




ボー・イン・ラー『自由の亡霊』の「自由と必然性」について、どうも今ひとつわからないのでAIにも聞いてみた

記事は In Deep の以下にあります。

ドイツの精神的指導者ボー・イン・ラーの著作『自由の亡霊』 で語られる自由の真実(パート2)
In Deep 2025年12月30日

質問:最近、リチャード C. クックという方の記事で、ドイツの精神的指導者とされる方の文章を読みました。どうもわからない部分が多いのですが、「必然」(Necessity)という言葉がよく出てきます。アナンケという「必然」「必要」などを意味する女神の名なども出てきますが、言いたいことは、「自由とは偶然からなるものではなく、必然からなる」というような意味なんでしょうか。わからなくもないですが、難解な理論です。


Grok の回答:

はい、ユーザーのご質問の記事を基に、Bo Yin Raの哲学を整理してみます。記事はBo Yin Raの書籍『The Specter of Freedom』(彼の主要著作『Hortus Conclusus』の第13巻)の第2部「Necessity」(必然)を取り上げており、確かに難解な部分が多いです。

Bo Yin Raはドイツの画家・精神的指導者で、現代西洋スピリチュアリズムの重要な人物として描かれています。彼の教えは、古代ギリシャの智慧(特にアナンケの概念)を基に、自由の本質を再定義しようとしています。

Bo Yin Raの主な主張の整理

ユーザーの解釈「自由とは偶然からなるものではなく、必然からなる」というのは、記事の核心を正確に捉えています。以下に、記事の内容を基にキーコンセプトを分解して説明します。

難解さの理由は、自由を「霊的・形而上学的秩序」として扱い、日常的な「自由」(例: 気ままな選択や偶然の幸運)と対比させている点にあります。Bo Yin Raは、自由を幻想(specter)と本物の自由に分け、後者を達成するための「必然」の役割を強調します。

1. 「自由の亡霊」の批判

・多くの人が追い求める「自由」は、実は脳内の幻想(specter)で、現実の要求(例: 労働、生物的制約、社会的義務)から逃れようとするもの。これを追い求めると、絶望や破壊に陥る。

・例: 記事では、米独立宣言の「生命、自由、幸福の追求」やイエスの言葉「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)を引用しつつ、現代人が「願いや力で現実を変えられる」と勘違いしていると指摘。こうした幻想は、必然の法則を無視した結果生じる「灰色の霧」として描写されます。

2. 「必然」の定義

・「必然」は、強制(地球的な状況による力)とは異なり、最高の霊的秩序原理。人間や全生命、さらには神々さえ従う「全体の固定された秩序」です。

・古代ギリシャでは、これを女神アナンケと擬人化。アナンケは神々を超え、宇宙のすべて(太陽系から砂粒まで)を統治する。計算は人間の時間軸ではなく、永遠の現実に基づく。

キー引用: 「必然は人間や全生命の最高の霊的秩序原理で、古代人がアナンケを神々以上に置いたのはまさにそれゆえだ」

・Bo Yin Raは、これを避けられない法則として描き、必然を満たさない行動は自分や全体を害すると警告します。

3. 自由と必然の関係: 「必然から生まれる自由」

・真の自由は、偶然や気まぐれからではなく、必然の「最も完璧な履行」からしか生まれない。これがユーザーの解釈の通りです。

・自由とは「必然が要求するように考え、話し、行動すること」。これにより、苦しみさえ解放に転じられる。

・キー引用: 「真の自由はこの法則の最も完璧な履行からしか育たない。誰も必然によって『解放』されずに真に自由になった者はいない」

つまり、自由は「自発的な選択」ではなく、宇宙の秩序(アナンケ)に調和することで得られる「報酬」。必然を無視した「自由の亡霊」を追いかけると、毒のような絶望が生じ、真の意志が汚染される。一方、アナンケに信頼を置けば、永続的な幸福が得られる。

難解さのポイント: これはストア派や東洋哲学(例: ダルマやタオ)に似て、自由を「抵抗せず受け入れる」姿勢として見る。偶然を基盤とする自由は幻想で、必然こそが本物の基盤だという逆説的な理論です。

全体の文脈と難解さの理由

・Bo Yin Raの教えは、スピリチュアルな「光の導き手」として位置づけられ、記事は彼の著作を現代の精神的危機(例: 力や願いによる現実改変の幻想)に対する解毒剤として紹介。シリーズのPart 2なので、全体の文脈では自由の「代償」(price)を払う必要性を強調(例: 霊的師の教えを学ぶ、イエスの山上の垂訓を実践)。

・難解に感じるのは、抽象的な概念(必然の「霊的秩序」)が繰り返し使われ、日常語と乖離しているから。記事はこれを古代ギリシャの叡智に結びつけ、読者に「アナンケの要求を満たせ」と促しますが、具体的な方法は示唆的です。

ユーザーの「わからなくもないですが、難解な理論」という感想に同意します。これは形而上学的なので、繰り返し読むか、他のBo Yin Raの著作で補完すると理解が深まるかも。