梶井基次郎の「アがアと思えない」ことについて、量子力学の観点からさらにAIに聞きました

前回の投稿の「量子力学でいう「波動関数の崩壊に至らない人間の心情」を梶井基次郎の小説に思い出してAIに聞いてみる」の続きです。

だいたいやねぇ(お…竹村健一さん)、Gemini 、お前は少し寄り添えよ。(AIに寄り添ってもらいたいんだ。笑)。いやいや…笑…じゃないだろ(自分に言ってどうする)。ともかく、この質問には、Gemini も相当苦境に陥っています。

どのみち、こっちは酔っ払って質問しているんだから、どうでもいいんですけれどもね。AIは酔っ払えないだろう、やーい(何の勝ち誇りだよ)。


質問:しかし、量子力学もまた宇宙全体を貫くひとつの「法則」として存在すると考えると(人間が仮に脳やニューロンで思考を決めているとして)人間の思考にも量子力学が適用される部分は本来はあるはずなのではないでしょうか。たとえば、えーと…誰でしたっけ、ベンジャミン・リベット氏でしたか、人間が自由意志として決定したと考える半秒くらい前には、脳から信号がすでに出ていると。自由意志が仮にないとすると、梶井基次郎氏の「アが変」だという意識も、自分の意識の領域を超えて感じ(させられている?)という部分はないでしょうか。

Geminiの答え:

ご指摘の通り、宇宙全体を貫く物理法則として、量子力学が人間の身体や脳にも適用される部分が本来あるはずです。この考え方は非常に重要で、ベンジャミン・リベットの実験と梶井基次郎の『瀬川の話』を結びつける鋭い洞察と言えます。

宇宙の法則と人間の思考

宇宙のあらゆる物質は量子力学の法則に従って動いており、人間の身体を構成する原子や分子も例外ではありません。意識や思考がニューロンの活動によって生み出されている以上、その根底には量子の振る舞いが存在しています。

しかし、前回の回答でも触れた通り、ミクロの量子世界で起こる「不確定性」や「重ね合わせ」が、マクロな人間の思考や行動に直接、かつ決定的な影響を与えているかについては、まだ科学的な確証が得られていません。

リベットの実験と梶井基次郎

ベンジャミン・リベットの実験は、まさにこの「意識の決定」と「脳の物理的な準備」のずれを客観的に測定した点で、梶井基次郎の描く主観的な感覚を考察する上で非常に示唆的です。

1. リベットの実験:

1. 被験者は「指を動かそうと意識した瞬間」を報告します。

2. しかし、脳の活動(準備電位)は、意識が生まれるよりも数百ミリ秒早く観測されました。

3. この結果は、「自由意志による決定」が、実は脳内の無意識的な物理プロセスに先行されて起こっている可能性を示唆します。

2.梶井基次郎の「ア」:

1. リベットの実験をこの文脈で考えると、主人公の「ア」が「変」に感じられるのは、意識が「ア」を発しようと決意する前に、すでに脳が「ア」を発する物理的準備を終え、その過程のどこかに本人には知覚できない「ずれ」が生じていたのかもしれません。

2. つまり、主人公は意識的に「ア」を発したつもりでも、その意識は、すでに脳内で決定された(させられた)音の後追いで生じたにすぎない、という見方もできます。

「感じさせられている」という感覚

この視点に立つと、主人公が自分の発した「ア」を「納得」できないのは、「ア」が自分の純粋な自由意志から発せられたものではなく、自分の意識が関与する前の、より根源的な物理プロセスによって生み出されたものだと、無意識的に感じ取っていたからだ、と解釈できます。

これは、自由意志の不在を示唆するリベットの実験結果と、主人公が抱く「自分の意識を超えたところで何かが起こっている」という感覚が、見事に重なる点です。主人公の鋭敏な感性は、意識と物理的現実の間に存在する時間的なずれや、意志決定プロセスの不確かさを、文学的な形で表現したものと考えることができるでしょう。

結論

量子力学が人間の心を直接説明できるわけではありませんが、宇宙の普遍的な物理法則が、リベットの実験で示されたような「意識と物理的プロセスのずれ」の形で、人間の自由意志や感覚に影響を与えている可能性は十分にあり得ます。 梶井基次郎の主人公が抱いた心情は、その根源的な謎に対する文学的な洞察であり、現代の科学が探求する自由意志の難問と響き合うものと言えるでしょう。


ここまでです。

しかし、寄り添う寄り添わないの問題は別として、確かに、シャキッとした短い答えでまとめてはいますね。でもねやっぱり…もっとぶっちゃけようよ、Gemini (あんたは AI に何を期待しているんだよ)。