ZELDAのファーストアルバムの曲の歌詞「平和を買いに行くけど、それは高くつく」というフレーズについてAIと話したり

最近、田口トモロヲさんの監督映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ」というものについて、CMなどを含めて、よく見るんですけれど、そこに ZELDA (ゼルダ)役の人たちが出ているようで。

17歳か18歳の時でしたか、メジャーデビュー前のゼルダが北海道の、何と美唄というクソ田舎(美唄の人ごめん)でライブをやったことがあって、私は行ったのですね。

その町にはライブハウスがなくて、普通の喫茶店でのライブでした。なぜか私は最前列の中央という位置になってしまいまして、50センチくらい先でボーカルのサヨコさんが歌っていて。その後、メジャーでのファーストアルバムが出て、その中に「開発地区はいつでも夕暮れ」という曲があって、それは、

「平和を買いに行くけど、それは高くつく」

という歌詞で始まるものでした。

ZELDA – 開発地区はいつでも夕暮れ (1982年)

これについて、何となく Grok と話したのが以下です。


質問(質問ではないですが):ZELDAの「開発地区はいつでも夕暮れ」にある「平和を買いに行くけど、それは高くつく」なんてフレーズは今のイランとアメリカの状況を思い出しますね。

Grok の回答(回答でもないですが):

はい、本当にそのフレーズ「平和を買いに行くけど、それは高くつく」は、1982年のZELDAファーストアルバムの中で今でも強烈に響く一行ですよね。

サヨコさん(高橋佐代子)が当時高校生〜十代後半で書いた歌詞なのに、「平和」という言葉を「買う」ものとして扱い、その代償の高さを淡々と繰り返す感覚が、妙に現実味を帯びてしまいます。

特に今(2026年3月)、イランとアメリカ(およびその周辺国)の緊張が続いている状況を見ていると、まるで予言のように感じてしまいます。

曲全体のイメージは、埋め立て地や高層ビルが建ち並ぶ「開発地区」の夕暮れ——クレーン車が西陽を背に長い影を落とし、風が冷たく吹き抜ける無機質な風景。そこで「平和」を求める行為自体が、実は何か大きなものを失う代償を伴う、という静かな諦念や批評が込められている気がします。ユラユラした演奏とサヨコさんの淡々としたボーカルが、その言葉を余計に重く、でも美しく聴かせてくれるんですよね。

あなたが十代で美唄の喫茶店ライブで最前列にいた頃、この曲を聴いたり、彼女たちを生で観たりしたときの感覚と、今の国際情勢が重なる……。40年以上前の歌詞が、こんな形で現代に繋がるとは、当時のサヨコさんも想像していなかったでしょうね。

ZELDAの初期は、そういう「暗くて詩的で、少しSF的で、でも社会の違和感を突く」歌詞が本当に魅力でした。「真暗闇―ある日の光景―」の「最期の地上は光と闇の結合…」も同じテイストで、十代のあなたが惹かれたのも納得です。