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一晩で焼酎を瓶で60本? …元横綱の白鵬さんの言葉

以前、元大関の魁皇さん(現・浅香山親方)が「一晩で日本酒4升飲んだ」という話は本人の談話で読んだことがありますが、焼酎 60本とは…。





白鵬翔さん、自分より酒が強い著名人を実名告白しスタジオから悲鳴、自己ベストは一晩で焼酎60本

日刊スポーツ 2026/02/05

大相撲元横綱の白鵬翔さん(40)が5日、TOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜午後5時)にゲスト出演。自分より酒が強い著名人を実名告白した。

一晩で飲み干した焼酎の瓶の数は60本だと明かした。MCの垣花正から「自分より酒が強いと思った人はいますか?」と聞かれ、白鵬さんは「いますね。X JAPANのYOSHIKIさん」と打ち明けた。その瞬間、スタジオからは悲鳴が飛んだ。

「強いというか、体が細いじゃないですか。どこに入っていくのかと。同じ量飲むじゃないですか。それ見て、あ、強いんだって」としみじみ語った。




四半世紀以前に自分が書いていたことが今の自分の心境とさほど変わらないという進化のなさ

1999年に行った『人間サイズ』という公演のパンフレットが出てきまして、そこに以下のように書いていました。今と変わらないのはともかくとして、知識としても、今も進歩がないあたり、さすがだなあと思います。


セルフ23本公演「人間サイズ」を迎えるにあたって

1999年9月6日 岡 靖洋 / self23

ここ何世紀も何千年にもわたって地球上には「自分がなぜ殺されているのか」を理解できないままに死んでいくたくさんの人が存在します。戦前の多くの国も粛正下のソ連にしても中国やカンボジアにしても、あるいは数年前のルワンダにしても、ほんの少しでもその理由が分かっているのは、まるで一握りの人々だけで、末端の大抵の人々は何がなんだかよく分からないままに、半ば投げやりに殺されたり、立場によっては殺したりしていたような気がします。

高度なシステムの下にそれらが行われようと、システムがあまり介在しないフリーの大量惨殺であっても、根本はさほど変わりません。もちろん、民族浄化が理由であってもイデオロギーが理由であっても、殺される側があまり納得できないのは同じことでしょう。

殺されたり死んでいったうちの割と多くの人々は、「生きてる方がマシ」と考えていたような気がします。もちろん、そう考えるのは死ぬまでのいくつかの瞬間だけで、死んだ後は誰も何も考えることはできません。人間はただ待っていても老いて死にます。それは人間が生物であることの証であることとして歓迎するべきことなのでしょう。しかし、実際はそんな高度な生命感覚に忠実に生きている人などいません。

私たちは毎日毎日、個人の小さな営みから国家戦略に至るまで、必死になって自分たちの死を回避しています。

ところが、場合によっては自分の死を回避するために自分ではない者へ死を提供しなければならない時があります。
まだまだ地球はこの繰り返しで、夥しい人が死んでいくのでしょう。それを否定できないところに人類の生物らしい可愛らしさがあります。

歴史に手を加える力は我々のほとんどにはありません。できることといえば、不本意な死を迎えた多くの人々に対して、少しだけでも追悼してあげることくらいでしょう。いつかは自分も追悼されることを覚悟して。

長い前置きになりましたが、self23が久々に本公演をおこないます。数年前よりテーマをストレート化させているself23は、今回も非常に単純なテーマとストーリーを展開させます。上の前置きに書いた人間の殺戮の状況から、そこに付随する様々な要因を排除した、いわば「純粋殺戮空間」の話です。

その、あまりに殺伐とした暴力的風景は、多くの人々にとっては何の娯楽にもなり得ないかもしれないし、不快にさえ感じるかもしれません。それでも、今の私にとっては、現時点での地球の歴史を描くにはこういう方法しか思いつかないのです。

私たち self23に、痙攣した笑いや屈折した廃墟の創造の時代は終わっています。今の私たちは単純に悲劇に涙する粗暴な生き物の集団であるのかもしれません。

1999.9.6 oka

先日行ったself23の新年会の写真をアップしたのですが、やはり美観的に耐えられなくて白黒反転しました

なんだかんだと、多くが Rock Jew 代前後ということで老いが見え隠れしていて、自分的にどうも感心しないですので、モノクロ画像としています。なお、右端に写っているのは、新年会に巻き込まれてしまった私の子どもです。

以下は、40年近く前の上と同じ 4人です。




「吉田拓郎「よく殴り合いのケンカ」過去の武勇伝語る」という記事で思い出すフォークとかラブソングの人たちの暴力性

吉田拓郎さんはよく知らないので、この話自体はどうでもいいんですけど、二十代の頃によく東京の下北沢という街で飲んでいまして、そこは演劇の人や音楽をやっている人たちのたまり場のような街だったんですけど、喧嘩をしかけてくるのは、とにかくフォークの人とかポップソングをやっている人たちで、(たまに演劇の人)、巻き込まれたなら仕方なくも応じていましたけれど、パンクの人と喧嘩になったことは一度もありませんでした。

いきなり殴りかかってくるのは、ラブソングとかやっている人が多くて。「こいつらなんでこんなに暴力的なん?」と、いつも思っていましたね。私は喧嘩なんかに興味はないのですが、この記事には「殴り合いのケンカ」とかありますが、いきなりビール瓶で殴りつけられたりするのですね。「いや、そこまでされると、こっちも応戦しないと」というような状況もありました。力の強い人に殴られて、耳たぶが半分ちぎれたこともありました。

ラブ&ピースみたいな概念を歌っている連中は危険だなあ」と、当時思いました。本当に粗暴でした。もちろん、みんなではないでしょうけれど。暴力なんて、武勇伝になりませんよ。応じたこっちも、結局暴力なんですけれど。





吉田拓郎 「よく殴り合いのケンカ」過去の武勇伝語る “たきつけていた”のは大物ミュージシャン

スポニチ 2024/02/02

歌手の吉田拓郎(79)が、2日放送のニッポン放送「吉田拓郎のオールナイトニッポンPremium」に出演。過去の武勇伝について語った。

思い出話に花を咲かせるなか、吉田は「何年ごろでしょうね。ペニーレーンって所でお酒を飲んでいた時代があるんですが、そこで僕よく他のお客さんたちと殴り合いのケンカをしてるんですよ」と語り出した。

「殴り合いのケンカに自信があるかっていうと、実はね…あるんですよこれが。よくないことに」という吉田。広島の学生時代に応援団愛好会に入っており、親友が応援団長だったためケンカを覚えてしまったという。

「店で飲んでると“おもて出ろコノヤロー”っていうのが口癖でした。よくない口癖」

腕っぷしに自信があったため、新宿で酔っぱらいを相手にたびたびケンカ。「用心棒のような暮らしをしてたときが売れる前にあった」と振り返った。

「吉田拓郎は意外とケンカ強いぞ」 そんな噂を聞きつけたのが、友人でミュージシャンの“ムッシュ”かまやつひろしさん(享年78)だった。「拓郎、あいつをやっちゃえって。かまやつさんが気に入らない奴を俺にやらせるわけ。凄い悪友だと思わない?(笑い)」。

そんなある日、六本木で某プロデューサーとケンカに。「調子こいて“おもて出ろコノヤロー”ってまた言っちゃったんです。そしたら彼がケンカを買った。で、コノヤローって言った瞬間に、彼の右の回し蹴りがビューンって。僕の左のまぶたの上をシュッて通った。そしたらバーッて凄い血が出た。そしたらそれを見て、僕どうしたと思う?泣いちゃったの(笑い)。それっきり俺、ケンカやめました」と懐かしそうに笑った。




文春が故モーリー・ロバートソンさんの2023年の記事「遠藤ミチロウに批判をぶつけた熱い理由」を再掲していました

何となく、記録としてとっておこうかと。そもそも、私、モーリー・ロバートソンさんがパンクスだったと知ったのは亡くなった後ですので。

ちなみに、私が初めてザ・スターリンを知ったのは、北海道の雪の中で過ごしていた 1980年頃で、当時はサブカルチャー雑誌だった「宝島」とかで写真を見たりしていました。以下は 1981年の慶応大学でのザ・スターリンのライブですね (私はまだ雪の中にいました)。ちなみに、いろいろと破壊しているのは、ザ・スターリンではなく、非常階段というノイズユニットの人たちです。本当に今見ても夢のような現場ですね。

神奈川大学(だか明治学院大学)のライブはもっと激しかったと記憶していますが、ちょっと画像や映像が出てこないです。今では考えられないですが、当時は最先鋭の文化の表現の現場はおおむね大学でした。今の大学は「就職者製造工場」と化してしまいました。





《追悼 モーリー・ロバートソン》「今のあなたの音楽は、何のメッセージも発していない」遠藤ミチロウに批判をぶつけた熱い理由

文春オンライン 2024/02/02

国際ジャーナリストで、ラジオパーソナリティーとしても知られるモーリー・ロバートソンさんが、1月29日に食道がんのため死去した。63歳だった。各界の著名人に「代表的日本人」を訊ねた月刊文藝春秋の特集で、モーリーさんは ザ・スターリンの遠藤ミチロウ を挙げていた。その一部を紹介します。

(文藝春秋 2023年8月号のモーリー・ロバートソンさんのインタビューより)

遠藤ミチロウの過激な言動

真っ先に思い浮かぶのが、「ザ・スターリン」というパンクバンドのボーカル、遠藤ミチロウさんです。

1980年に結成され、「天プラ」「ロマンチスト」などの代表曲がありますが、ステージ上から客席に向けて放尿したり、豚の臓物を投げ付ける。あるいは、アンダーグラウンドで出回る美女の解剖動画をモニターで流すなど、あまりに過激なパフォーマンスをしたことでも有名です。

ただ、ミチロウさんの音楽性に惹かれた著名人は多く、作家の町田康さんや高橋源一郎さんらと交流を持ち、思想家の吉本隆明さんも、「刺激を受けた」と本に書いています。

ロックバンド筋肉少女帯の大槻ケンヂや、伝説の音楽番組「イカ天」(「三宅裕司のいかすバンド天国」)で脚光を浴びた歌手の池田貴族など、ミュージシャンたちは軒並み、ザ・スターリンの影響を潜って来ています。

かく言う私も、東大に入学するために上京した際、ザ・スターリンを見て、絶大な影響を受けました。

当時のミチロウさんは、パンクで天下を獲ろうと、織田信長のように音楽業界に躍り出て、「なにが昭和歌謡だ! なにがニューミュージックだ! サザンなんかぶっ潰せ!」との意気込みで、異常なエネルギーを発散していた。さらに、学生運動の時代に染まった強烈な反権力の思想と、天皇制への嫌悪感を歌詞に込めて歌っていた。

その後すぐに、私はハーバード大入学のために渡米するのですが、スターリンを見て感じた「何だこれは!」という強烈な衝撃は、アメリカにいる間もずっと続いていました。

実はミチロウさんとは、2年ほど個人的に濃密な交流をした時期があります。私は20代後半、彼は40代でした。「アメリカの先住民と日本人はお尻に蒙古斑があるから、先祖は同族だと思う」と、なかばオカルトじみたミチロウさんの思い付きを聞いて、2人でそれを確かめに一緒にアリゾナ州のホピ族の居住地を訪ねたこともありました。

他にも試作品のデモテープを聞かせてもらったり、山形大学時代に学生運動で逮捕され、ニュースに自分の本名「遠藤道郎」が映って親が悲しんだ話や、父がガダルカナル島の戦いの生き残りで、いつも負い目を感じてきた話も聞きました。

遠藤ミチロウの“弱み”

ミチロウさんはミュージシャンとして物凄い輝きを放ち、さらに彼との会話で出た言葉の節々が、その後の私の人生を突き動かしている。そんな私的な理由もあって、今回、彼を代表的日本人に挙げています。

ただ、先ほども触れたように偉人やカリスマの弱みの部分として、私はミチロウさんの音楽活動が紆余曲折し、その輝きが乱反射する過程も目の当たりにしています。

1989年に、大手レコード会社のアルファレコードと契約してから、スターリンの活動には、大きな資本が乗っかりました。すると事務所から、過激な言動や歌詞は控えるようにと厳しい注文が付く。さらに商業化するにつれて、リュックを背負ったオリーブ少女のような、これまで見たことのない、お洒落な女の子のファンに囲まれるようになった。

殺伐とした空気で、メンバー同士が殴り合う初期の興奮状態は失われ、熱心なファンたちが趣味として愛でるファンダムと化してしまったのです。ミチロウさんも、その状況を自覚して、藻掻くように、より過激に、エグいパフォーマンスを見せつける場面もありましたが、ほとんど逆効果で、ファンは喜んで受け入れてしまう。いわば資本の手練手管によって、ミチロウさんの過激なパフォーマンスすらも商品と化してしまったとも言えます。

「ミチロウさん、今のあなたの音楽は、何のメッセージも発していない。『ガンズ・アンド・ローゼズ』(アメリカのロックバンド)のパロディになっていますよ。原点に返ってください!」

と、私は我慢できずにミチロウさんを問い詰めたことがあります。その言葉がミチロウさんにも響いていたようですが、それでも商業化の波からは抜け出すことができなかった。

最後は4年前にすい臓がんで亡くなりましたが、晩年は地元の福島県で原発事故の被災者支援のため「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げ、作曲家の大友良英さんや詩人の和合亮一さんらと一緒にフェスティバルを開催していました。

私の中では最初の数年間の滅茶苦茶な時代が輝いているので、メジャー化して以降のミチロウさんは、キャリアのほとんどを下火で過ごした印象です。ただ、私自身の強烈な憧れと残念な気持ち、ミチロウさんが抱えた葛藤、そして、がんで死を遂げた最期も含めて、その全体像が深く心に刻まれています。




モーリー・ロバートソンさんって、パンクの方だったんですね

以下のイヌイジュン(乾純)さんというのは、ザ・スターリンの結成から長くメンバーとして在籍していたドラマーの方ですが、モーリー・ロバートソンさんの訃報に以下のように投稿していました。

遠藤ミチロウさんが亡くなったのはずいぶんと前ですが、モーリー・ロバートソンさんって、ザ・スターリンのリアルタイムを知っていた人だったんですね。モーリーさんは私と 1歳しか違わない。その当時は私は雪に埋もれた地域で雪に沈んでいました。

この投稿者のイヌイジュンさんは、以下のスターリンの初期の『肉』という曲でもドラムを演奏されていた方かと思います。これは、東京に出てきた当初に手にしたソノシートでした(当時はソノシートが比較的ありました。おそらく制作費が安く済む)。

いろいろな方がいなくなっていきますねえ。

こっちも、それこそ「もういくつ寝ると」の世代に入っていますけど。




世界的な「健康概念の統一化」について聞いていた中のAIの回答の最後のほう

まあ、要するに、父親なんかは90代で大酒をまだ楽しく飲んでいるし、大量に塩を摂取しているし、みたいな話から始まった話で、お酒に関しては「ALDH2遺伝子型」というのが関与しているんですが(この遺伝子によりお酒が強いか弱いかが決まる)、それはともかく、モーリー・ロバートソンさんも63歳で亡くなったりしているのを見ると、自分も近いかなと感じて、聞いた最後の方の話です。

これは、場合によっては、最近投稿した In Deep のボー・イン・ラーの話とも関係するかもしれません。


質問:あなたの医療理念としておっしゃることはすべて理にかなっていて、その通りだと思います。ただ、私もそうですが、人間ですので、仮に早く死んだとしても「有意義な一瞬やひとときがあった」ということは大事なように思います。今の時代は人の生き方を一律に語られることが多いですが、みんなが勤め人であるわけではないし、みんなが同じ身体の状況のわけでもない。人間はみんな「死はイヤ」なんですけれど、それを完全に避けることは不可能です。その中で「生きること」をもう一度考えてみますね。あるいは、「自分の人生は有意義だったか」を考えてみたいと思います。今日はありがとうございました。

Grokの回答:

あなたの言葉、本当に心に響きます。ありがとうございます。

確かに、理屈やデータで「これが正しい生き方」と決めつける時代ですが、人間は結局、数字や平均値ではなく、「その瞬間に感じた何か」を積み重ねて生きているんですよね。

早く死ぬかもしれないリスクを背負っても、「あの時、あのひとときがあってよかった」と思える瞬間があれば、それがその人にとっての「有意義」になる。あなたがおっしゃるように、勤め人でもないし、体質も状況もみんな違うのに、一律の「健康で長生きが正義」という枠組みに押し込められるのは、なんだか息苦しい部分があります。

「死はイヤ」だけど、完全に避けられない。だからこそ、「生きること」をもう一度、自分なりに考えてみる。「自分にとって有意義な人生はあったか」を振り返ってみる。それって、すごく尊い営みだと思います。

誰かに評価されるためじゃなく、自分自身が「これでよかった」と思えるかどうかが、最後に残るものなのかもしれません。

お子さんのこと、あなた自身のこれまでの経験、そしてお父様の長く気持ちのいい飲酒の姿——それらすべてが、あなたの人生の色々な色を織りなしているんだなと感じます。

無理に「正解」を探さなくても、ただ「今ここで、自分なりに生きている」ということが、すでに十分に意味のあることだと思います。今日は本当に深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。