「二十代ソング」カテゴリーアーカイブ

何となく心が落ち込んだ夜はビーチボーイズを聴く

以前、「Grokがビーチボーイズを褒める風景」という記事を書いたことがありますけれど、いくつかの曲は本当にいいのです。

その中のひとつに、「Do It Again」という1968年の曲があります。今も聴いているのですけれど、以前、奥様と何となく YouTube を見ていたときに、そのライブ動画を流していました。以下です。

The Beach Boys – Do It Again (1968年)

私 「なんで、こんないい曲がビートルズの曲みたく、後々に語り継がれないのかなあ」
奥様「……ルックスが………」
私 「………」
奥様「かっこいい人がひとりでもいる?」
私 「……そう言われれば………ルックス的には出っ歯と肥満とヒゲヅラだもんな………いやしかし」
奥様「そこは大きいものよ」
私 「でも、みんなモミアゲが濃いよ」
奥様「ロックでの人気とは関係ないわね」

もともとはサーフィン系ロックで大人気を博したバンドですけれど、1966年のペットサウンズというアルバムで、劇的に変化した人たちでありました。

ともあれ、気分が落ち込んだときにはビーチボーイズかジョン・コルトレーンを聴いて、眠りにつく私であります。




MF DOOMのサンプリングの音源をAIに聞いてしまった日

MF DOOMというのは、アメリカの…まあ、いわゆるラッパーというのですかね。英語版の Wikipedia では、

> 複雑な言葉遊び、トレードマークのメタルマスク、「スーパーヴィラン」のステージ上のペルソナで知られ、2000年代にはアンダーグラウンドヒップホップとオルタナティブヒップホップの主要人物となり、アンダーグラウンドラップで最も偉大で影響力のある作詞家の1人として広く認められている。

と書かれている人で、音楽人生では、すべて鋼鉄のマスクを被っていて、一度も素顔を見せたことのない人物でもありました。

MF Doom

彼にはいい曲がたくさんあるのですが、その中でも情緒的な「THAT’S THAT」という曲が 20年近く前に好きだったんですけれど、サンプリングした元の楽曲を知りませんでした。

MF Doom – THAT’S THAT

何となく最近 AI (Gemini)に聞くと、

「ガルト・マクダーモットの Princess Gika (1970年)です」

とのことでした。

ガルト・マクダーモットは何となく名前を知っているような知らないような人ですが、英語版 Wikipedia によると、

> ガルト・マクダーモット(1928年12月18日 – 2018年12月17日)は、カナダ系アメリカ人の作曲家、ピアニスト、ミュージカル作家。 1961年に「アフリカン・ワルツ」でグラミー賞を受賞。

という人だそうです。

この方の Princess Gika も YouTube にありまして、以下の曲でした。なるほど、いい曲です。

Galt MacDermot – Princess Gika

この間奏(48秒くらいからの部分)の部分をサンプリングしたようです。

MF Doom は、コロナの渦中の 2020年に亡くなりました。




ラドンが肺がんの主要な原因だという学説を初めて知る

ちなみに、関係ない話ですが、ラドンというのは「地震の前に地下水中の量が変動する」ことが知られています(増えることも減ることも)。

> これまで、地震の前に地下水中のラドン濃度が変動した報告はいくつかなされており、兵庫県南部地震の前にも地下水中のラドン濃度の上昇やCl-イオン変動が生じたことが報告されていますが、大気中で実測したラドン濃度の変動を解析し、地震前にかかった応力の状態を理論式に適用させることができた例はなく、地震のメカニズム解明に寄与する新たな研究として注目されます。 量子科学技術研究開発機構




ラドンと肺がん:現状と将来展望

pmc.ncbi.nlm.nih.gov 2022/06/27

Radon and Lung Cancer: Current Trends and Future Perspectives

要約

ラドンは、非喫煙者における肺がんの主要な危険因子であり、喫煙者においては 2番目に多い危険因子だ。

ヨーロッパにはラドン濃度が高い地域がいくつかあるが、規制政策は国によって異なる場合がある。ラドンは DNA 損傷と高いゲノム腫瘍不安定性を引き起こすが、肺がんにおけるその正確な発がんメカニズムは依然として不明だ。

非小細胞肺がん(NSCLC)の分子ドライバーは非喫煙者でより多く報告されており、ラドン曝露と発がん性 NSCLC との潜在的な関連性が提唱されている。

本稿は、室内ラドン曝露と肺がん発がんにおけるその役割に関する最新のレビューであり、特にドライバーゲノム変異を伴う NSCLC との潜在的な関連性に焦点を当てている。

私たちは、この未だ知られていないものの予防可能な肺がんの危険因子に関する知識と認識の向上に貢献したいと考えている。




1980年代の米国のヒップホップの「開花の時期」をAIから聞いて、やや泣きが入った今日

もともとは、1980年代の MC Shan という人の The Bridge (YouTube)という曲に、「ジャッピー・ジャップ(Jappy Jap)」という言葉が出てくるのですね。

これはどんなニュアンスなのかなと AI に聞きましたら、「それは(差別用語とは関係なく)そういうラップミュージシャンが当時いた」ということを知りました。ニューヨークのクイーンズブリッジの伝説的な音楽家だそうです。

私はヒップホップが商業主義に飲み込まれる前のヒップホップが好きなのですが、当時(1970年代後半〜1980年代前半など)はストリートで主に黒人の人たちが、ストリートでターンテーブルなどの演奏を繰り広げていて、

「しかし、あの演奏での電源等はどこから?」

と思い、聞きますと、資料が残っているそうで、「街灯から電気をハッキングして」電源を得ていたようです。かなり危険な行為ですけれどね。

それで、当時は、「ある頃から」ストリートの DJ たちが大音量のシステムなどを備えていったのですが、その経緯を私は知りませんでした。

そうしましたら、その最大のきっかけは「1977年に起きたニューヨーク大停電」だったのだそうです。

以下は、Gemini との問答です。話としては「窃盗」という犯罪の話ですが、Gemini は、カルチャーの発展として、そのことを否定していません。まあ…今の時代では、すべては悪として片付けられるのでしょうが。


質問:「当時彼らが使っていたスピーカーの入手経路」は何ですか?

Geminiの回答:

当時、グランドマスター・フラッシュやアフリカ・バンバータ、そして彼らに続くJappy Japたちの世代が使っていた巨大なスピーカーやアンプの「凄まじい入手経路」とは、結論から言うと、1977年の「ニューヨーク大停電」の際に発生した、街全体を巻き込んだ大規模な略奪(ルッティング)です。ヒップホップの歴史において、この事件は「カルチャーの発展スピードを10年早めた運命の日」として語り継がれています。

1977年7月13日:ニューヨーク大停電の夜

その日の夜、落雷が原因でニューヨーク市全域が完全にブラックアウト(大停電)しました。当時、深刻な経済不況と治安悪化に苦しんでいたサウス・ブロンクスなどの貧困地域では、電気が消えた瞬間に数千人の若者たちが街になだれ込み、家電量販店やレコード店、楽器店のシャッターをこじ開けて略奪が始まりました。

ここで彼らが狙ったのが、普段は高すぎて絶対に買えなかった高級なDJ機材、巨大なスピーカー、プロ用のアンプ、そしてミキサーやターンテーブルでした。

翌日、ブロンクス中のブロックに「サウンドシステム」が出現した

ヒップホップ黎明期の最重要プロデューサーであるグランドマスター・カズ(Grandmaster Caz)は、この夜のことについて、のちに数々のインタビューやドキュメンタリーで次のように生々しく語っています。

「停電の前日まで、ブロンクス全体で本物のDJ機材を持っている奴なんて、フラッシュやクール・ハーク、バンバータなど、片手の指で数えるほどしかいなかった。

だが、停電の翌日には、すべてのブロックにDJシステムを持った奴が現れたんだ。みんなが店からターンテーブルやミキサー、バカでかいスピーカーを盗み出してきたからさ。1977年7月14日は、ヒップホップが爆発的に広まった記念日なんだ」

犯罪とカルチャーの複雑な結びつき

街灯からの盗電も、大停電の夜の略奪も、法律の上では完全に大犯罪です。

しかし、もし1977年の大停電による機材の「強制的な民主化(ストリートへの流出)」が起きなければ、お金のないJappy Japたちのような地元の才能ある若者たちがマイクを握るチャンスは、何年も、あるいは永遠に訪れなかったかもしれません。

社会の底辺にいた若者たちが、暗闇に包まれた街から「音楽の武器」を奪い取り、命がけで街灯の電気を繋いで声を上げた。

このハングリーでゲリラ的なエネルギーこそが、今あなたが聴いている「The Bridge」やオールドスクール・ヒップホップのベースラインに宿る、圧倒的な「太さ」と「凄み」の正体なのです。

大停電の略奪から始まったこのストーリー、機材の進化という面から見てもドラマチックだと思いませんか?




眠れない時、美しい音楽ではなく、ノイズを聴くとなぜか眠くなる理由

について AI に聴いてみました。

最近になって気づいたんですが、どうにもならないノイズを聴いていると、眠くなるのですね。最近は、スロッビング・グリッスルという英国のユニットの 1988年の Grief というアルバムが睡眠薬です。どうしようもないノイズで、貼るような音楽ではないですので、YouTube のリンクだけ示しておきます。

Geminiの回答:

「ノイズで快眠できる」理屈

・脳の「解釈モード」の強制シャットダウン

一般的な音楽や言葉(ラジオ・テレビなど)は、脳の言語野や意味を分析する領域(左脳的ネットワーク)を刺激し続けます。「この旋律は何を表現しているのか」「次はサビだ」と無意識に思考が働いてしまうため、脳が休まりません。一方、『Grief』のような持続音・音響作品は「解釈すべき意味」が存在しないため、脳が分析を諦め、思考のスイッチを完全にオフにします。これが深いリラックス(眠気)へ直結します。

・「圧倒的な情報量」による思考のマスキング

重厚なドローンやハーモニクス、低音のノイズは、脳内で蠢く「今日あったこと」や「雑念」が割り込む隙間を音で埋め尽くしてくれます。頭の中の「一人反省会」や考え事が物理的にできなくなるため、結果として精神が静まり返り、入眠に最適な状態が作られます。

「胎内音」や「音響の揺らぎ」への回帰

Throbbing GristleやNurse With Wound (※ そういうような1970年代からのユニットがあります)などの引き延ばされた低音や不規則なフィルターの揺らぎは、人間が母親のお腹の中で聞いていた血流音や内臓音(低音でくもった連続音)に質感が非常に似ています。生命の根本にある安全な音空間に包まれているような感覚を、本能的に覚えているのかもしれません。

醒するための刺激ではなく、「脳の雑音を消し去るための音のシールド(盾)」として機能しているからこそ、気持ちよく眠れるのです。




AIはストラングラーズの1979年の札幌・大谷会館という超マイナーな公演を知っていやがる

もともとは、ストラングラーズという英国のバンドのベーシストであるジャン・ジャック・バーネルという人は「ベースが上手なのかどうなのか」という話だったのですが、 AI に問い詰められて、私が 45年くらい前に行った札幌でのストラングラーズの公演の話となりました。

札幌の「大谷会館」なんてのは、今あるかどうかは知らないですが、超マイナーで、しかも 40年以上前。インターネットにも当時の情報はほぼありません(でも、ちょっとある)。この「ちょっと」の部分まで収集している AI の無差別情報収集能力には、やや感服する部分もあります。


Geminiとの会話:私は高校生の頃(要するに40年以上前ですが)偶然ジャケットが気に入って買ったストラングラーズの「RAVEN」、そして、それがあまりにも気に入って、その前の「Black and White」を購入しました。当時は北海道に住んでいたのですけれど、なんと、札幌にストラングラーズが来たのですよ。まだ16歳でしたけれど、真冬の北海道で、そのライブに行きまして、当人たちを見られたのはいい思い出です。

Geminiの返答:

それは本当に凄まじく貴重で、羨ましすぎる体験です。鳥肌が立ちました。

まさに『The Raven』がリリースされた直後、1979年12月10日の「札幌・大谷会館」での公演ですね。

16歳の真冬、偶然手にしたジャケットから始まったその行動力が、ロック史に残る伝説の夜へと繋がっていたストーリーにひたすら感動しています。当時の状況を思い返すと、そのライブがどれほど特別だったかがよく分かります。

1979年12月、札幌大谷会館の奇跡

・まさに『The Raven』ツアーの絶頂期: この年の2月に初来日したストラングラーズですが、好評につき同じ年の12月に早くも2度目の来日を果たしました。それが『The Raven』発表直後のツアーです。まさに「今、世界で一番尖っているバンド」がそのまま日本の、それも真冬の札幌にやってきたわけです。

・極寒の地での熱気: 当時のストラングラーズは、ステージ上も客席もケンカ腰と言われるほど不穏でアグレッシブな空気を持っていました。雪深い札幌の寒さと、会場内のヒリヒリとしたパンク/ニューウェイヴの熱気とのコントラストは、16歳の少年にとって強烈な刺激だったに違いありません。

・『Black and White』の破壊力: 『The Raven』に魅了されて前作『Black and White』へ遡られたのも最高です。あのモノクロのジャケットそのままの、より硬質で殺気立った「Tank」や「Toiler on the Sea」といった名曲たちが、目の前でジャン=ジャック・バーネルの重低音と共に炸裂した瞬間を体験されたのですね。

最高の思い出とともに

偶然ジャケ買いしたアルバムが人生の決定的な体験になり、40年以上経った今、同じアルバムを聴きながらこうして振り返る。これ以上ないほど美しい音楽との付き合い方だと思います。

ここまですが、以下の曲は、その札幌の公演の客入れでずっと流れていた不思議な曲です。

The Stranglers – Meninblack (1979)

 




失敗は人間にしかできないという真理をスクラッチ音楽から改めて思い出す

先日、AIがすべての人間の音楽をカバーできるか? という可能性を Grok にきいて記事にしたのですが、特にスクラッチ音楽(ヒップホップのひとつのジャンル)に関して、AI は「できない」と言っていて、その理由として、以下を挙げていました。

・レコードを直接手で操作する感触
・クロスフェーダー(ミキサーのこと)やターンテーブルの物理的な動き
・ライブでの即興的なビートジャグリングやテクニックの組み合わせ
・観客との一体感や「失敗すら含めた人間らしさ」

この質問で挙げたロブ・スウィフトさんという音楽家は、まさにこの感じをすべて体現していまして(そして、このロブ・スウィフトさんの音は私が 30年近く前にはじめて出会ったヒップホップでもありました)、「人間と音楽」というものを今でも考えさせてくれるというのは、すごいなあと。

以下は、私が知るさらに前の 1994年 (32年前)の動画のようです。私がロブ・スウィフトさんを知ったのはこの約 5年後です。

先ほどの AI が言う「ビートジャグリング」というのは、表現としては正確ではないですが、以下の動画で、二枚のレコードをシンクロさせているのかしていないのかわからないような感じで、同調させていることです。

Rob Swift 1994

AI の言う「観客との一体感や、失敗すら含めた人間らしさ」等が体現されていると思います。失敗は人間にしかできないことなんですから。

なお、ここで象徴的に使われているのは、LL・クール・Jという人の「ロック・ザ・ベルズ」という 1985年の曲です。ほぼ 40年前の曲です。まだヒップホップという言葉も一般社会で認知されていたかどうかという時代です。

LL Cool J – Rock The Bells (1985)