「二十代ソング」カテゴリーアーカイブ

二十代によく聴いていた曲(55) トム・トム・クラブ – おしゃべり魔女(1981年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Tom Tom Club — Wordy Rappinghood (1981)

高校生の頃、レコード屋で以下のジャケットのアルバムを見つけたんですよ。


https://amzn.to/430crCJ

「これは楽しそうなジャケットだ」と購入したのですけれど、このアルバムの 1曲目が以下の表題曲だったんです。

これがプロモなのか、ショーなのかはわからないですが、曲はレコード盤そのままのものです。

ああ、これはいいなあ…と、つくづく思いまして、しかし誰だかわからない。

その後、このトム・トム・クラブが、トーキング・ヘッズのベースをやっていた女性のユニットだと知りました。

トーキング・ヘッズは、このコーナーの「トーキング・ヘッズ – Crosseyed and Painless(1980年)」で取り上げたことのあるバンドですが、そのメンバーの方がやっているバンドだったんです。

ドラムの横で楽しそうにキーボードを演奏している方が、そのトーキング・ヘッズのベースをやっていたティナ・ウェイマスさんという方です。

「これは歴史的にいい曲なのでは」とか思っていましたが、その後、何年も経ってから、トム・トム・クラブの曲は、主にダンスシーンや、ヒップホップムーブメントで広く引用される曲になりまして、十数年も経った後も、このトム・トム・クラブの Genius Of Love という曲は、そういうジャンルの音楽で大変に使われていました。

やっぱり、音楽ってのは楽しいのが一番だよなあ、と認識させてくれた一曲でした。




二十代によく聴いていた曲(54) 23 Skidoo – 修行者ステップ (1986年)

 

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

23 Skidoo – Shugyosha Step (1986)

これは 22、23歳の頃ですかね。中古レコード屋に行っていて、オムニバムアルバムのジャケットに惹かれたんです。

以下のジャケットでした。

Funky Alternatives Vol.1 (1986年)

このアルバムの最初の曲が 23 Skidoo というユニットの Shugyosha Step (おそらく「修行者ステップ」)という曲でした。以下の曲です。

この 23 Skidoo というバンドは、HipHop でもなんでもなく、どちらかというと、アンダーグラウンド寄りのものだったんですが、この曲は見事にダンス音楽になっていて、しかも、「キュッキュッキュッ」とか、スクラッチ音が入っていました。

レコードを前後にコスって音を出す技法であるスクラッチというのは、ハービー・ハンコックの 1983年の大ヒット曲であるロックイット、という曲で、初めてアメリカの多くの人たちが認識することになるものでした。「ロック・イット ( RockIt ) の衝撃」という記事で書いたことがあります。

それでも、スクラッチが一般に広がっていくのは、1990年代中盤以降であり、私もその頃に知ったのですけれど、この 23 Skidoo の曲の 1986年頃には意識もしていないで聴いていました。

この曲が出た 1986年頃というのは、1970年代の終わり前後くらいだったか世界全体で「ディスコブーム」みたいなのがあって、それは、もうほぼなかった時期でした。

一方で、人は「踊る」ということに異様な執念を持ち続けていたみたいで、後にハウスとかテクノとかいう、さまざまなジャンル名で、「新しい踊るための音楽」が出てきた時代です。

そして、その頃には、元々ノイズやアバンギャルドみたいなものをやっていた人だとか、いろいろな人が「踊るための音楽」に入っていた時でもありました。

そういう時期の曲だと思います。

私自身、こういう 23 Skidoo の曲みたいなのは、当時大喜びで聴いていましたもの。

考えれば、この 23 Skidoo というユニットにも「23」という数字が入っているのですけれど、由来はわかりません。

しかし、私が 1年後くらいに始める表現団体に 23 という数字を入れるときに、ちょっと脳裏にあったかも。

23という数字が妙に格好良く思えたのでした。




二十代によく聴いていた曲(53) ザ・テープビートルズ – ザ・グランド・デリュージョン (1993年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Tape-beatles – The Grand Delusion (1993)

コラージュミュージックとでもいうのですかね。いろいろな音を継ぎ接ぎにして曲を成立させる、というジャンルというのか何というのか、そういうものがありまして、その中でも大層気に入ったユニットが、このザ・テープ-ビートルズというものでした。

もっとも好きだったもののひとつが以下の曲で、おそらく、ビートルズのストロベリー・フィールズ・フォーエバー (1967年)に使われていたストリングスの(あるいはその元の音源)を繰り返しサンプリングしていた曲でした。

ストロベリー・フィールズ・フォーエバーは、ビートルズの曲の中でも一番好きな曲のひとつですが、十代のときに、

「このストリングスだけの部分を聴きたいなあ」

とか思っていたことを、まさに再現してくれたものでもありました。

ビートルズのストロベリー・フィールズ・フォーエバーは以下にあります。そのストリングスの部分は、曲の 3:00あたりから出てきます。

ザ・テープビートルズの先ほどの曲は、私がそろそろ 20代を終えた頃の曲ですが、いろんな人たちがいるなあと再認識させてくれたユニットでした。

1990年代の初期は、私にとっては、ロック、パンク、ノイズのフィールドの最後の刺激してくれる音楽の登場の時期でした。

それ以降は私はヒップポップに流れるということになりました。




二十代によく聴いていた曲(52) ダムド – ウェイト・フォー・ザ・ブラックアウト (1980年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

The Damned – Wait for the Blackout (1980)

ダムドは、いわゆるパンクバンドと評されていたバンドのひとつですけれど、高校くらいのときに、人から教えてもらって聴いた時には、そんなに感動しなかったんですが、self23 という表現団体をやっていた、ごく初期の頃、

「なんかラストにスカッとした曲をかけたいなあ」

と思っていましたら、手伝ってくれていた女の子が、「こんなのどうですか」とダムドの曲を聴かせてくれたのでした。

舞台のストーリーとしては、まあいろいろとあった後に、女装した気の狂った男が散弾銃を持って、「これで良かったんだ」と叫ぶようなシーンの直後にかかる曲を探していたのでした。

「なんか爽やかな曲がいいな」

と思っていたら、その女の子が提案してくれた曲はまったくその通りで。

その後、小説家になるH君という人が、女装して散弾銃を持ちながら狂気の笑顔で佇んでいるところにかかるのでした。

以下の曲です。

「ああ、なんかすべてがハッピーエンドで終わりそうだ」と言いながら、この曲を採用しました。

実際はドロドロの舞台でしたけれど、今でもハッピーなロックンロールとして、よく聴いています。




二十代によく聴いていた曲(51) ESG – ムーディ (1981年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

ESG – Moody (1981)

高校生の時から東京に出てきた最初の頃くらいに、よく音楽系のラジオ番組を聴いていたんですけれど、3つくらいの番組は大体聴いていたと思うんですが、番組名は全体的に覚えていないです。

ひとつは、土曜の夜だかにやっていた「トランスミッション・バリケード」という番組で、他のふたつのうちのひとつは、坂本龍一さんがやっていた番組で、もうひとつは…平日の夜にやっていたもののような気がするんですが、タイトルは思い出せません。

まあ、そうやってラジオを聴いているんですけど、番組まるごとをラジカセで録音するとなると、大体、当時の主流カセットテープは 45分とか 60分のものでしたので(それ以上のものは音質がとても悪くなる)、番組そのものを録音することはなかったんですが、「次は〇〇の〇〇です」となったときに、録音を始めるという感じでした。

これも、十代の終わり頃だと思いますが、先ほどのどれかのラジオ番組で流れたんですが、「次は〇〇の〇〇です」をちゃんと聞いていなかったんですね

女性ボーカルが実に叙情的ないい曲で。オシャレな音楽でもあります。

「しかし、誰だ、これ?」

と思いながら、二十代のときには、その録音したものをよく聴いていました。

結局、その曲の演奏者が誰かを知るのは、その後、十数年後ということになりまして、インターネットでその曲が流れたんです。「ああ、ESG っていうバンドなんだ」と知り、レコードを探しに行ったりしていましたけれど、その十代の時に私が聴いたのは、以下の「ムーディー」という曲です。

これも後で知るのですが、普通、こういう感じのバンドって、白人なのかなあ、とか思っていたんですが、何系の人たちかはわからないですが、中心が 3人姉妹によるバンドで、以下のような人たちでした。有色人種系です。

ESG

clubberia.com

あるサイトには以下のように書いてあります。

> ESGはハウス/テクノ/ヒップホップ/ニュー・ウェーブ/ダブの誕生に立ち会いつつ、それらを育んだ母なるバンドである。ESGが現在のミュージックシーンに与えた影響は計り知れない。

「当時の日本は、ふいに良い音楽が流れていたんだよなあ」と、今さらながらに思い出します。

でも、ESG のように、後で偶然知るというのは珍しいほうで、今でも「あの曲良かったなあ」と思っていても、それがどこの国の誰の何という曲かわからないものばかりです。

そういう頭の中にだけ残っている曲がたくさんあります。




二十代によく聴いていた曲(50) ハービー・ハンコック – ロックイット (1983年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Herbie Hancock – Rockit (1983)

この曲は、それから十数年経って、さらにいろいろな後々への影響を知るわけですけれど、このプロモーションビデオを見たときには、結構ショックを受けました。以下です。

これは確か、アメリカで R指定だったか、テレビ放映禁止だったかの対象になったと記憶していますけれど、今見れば、それもわからなくもないです。非常にショッキングなビデオでした。同時に憧れの対象ともなりました。

ここまで挑発的で革新的なプロモーションビデオは見たことがなかったです。

この曲は、この年の米グラミー賞をとりまして、グラミー賞の舞台で演奏されるわけですけれど、何より、この曲が、その後の数年に世に出てきた「スクラッチミュージック」というもののアーティストたちの原動力となったということを後で知ります。

この曲の中で「キュッキュッキュッ」という音が長く入るのですが、それは当時の黒人ストリート音楽の中の人であった、グランドミキサーDXT という DJ による演奏でした。

誰も、レコードを前後にこすって音を出すというような、スクラッチなんてことを知らなかった頃のことです。

グラミー賞授賞式の演奏でのグランドミキサーDXT

このあたりのことは、十数年前に書いたこちらの記事で少しふれています。

ともかく、こういうカルチャーに普通にふれられていた時代ということを考えると、私などは良い時代に生きていたんだなあと思います。

この頃までの黒人の人たちの音楽(あえて「黒人」と書きます)は、どこまで崇拝してもしきれないほど偉大なものばかりでした。もう、そういう人たちが本当に数限りなくいます。




二十代によく聴いていた曲(49) アートベアーズ – ザ・ラッツ&モンキーズ (1979年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Art Bears – Rats and Monkeys (1979)

舞台公演をおこなうときには「客入れ」という状態のときがありまして、つまり、お客さんが劇場に入ってきて、席に座っていくだけの時間なんですけれど、私はいつも、「その時にかける音楽」を真剣に考えました。

お客さんたちは日常からやって来るわけですが、「劇場に入ったときから、それは日常ではない」という感覚を、少なくとも self23 のお客さんたちには経験してほしかったんです。

舞台も日常と似たようなものなら、わざわざ刺激的な公演に足を運ぶ必要なんてないわけですし。

「もう逃げられない空間に入ってきたんですよ」

という意思表示を、客入れのときから行いたかったのですね。

お客さんたちが劇場に入ったときに目にするのは、薄暗い空間に、廃墟でありそうな空間が広がっているという曖昧なもので、そして、self23 の客入れでは、「お客さんを案内する人は誰もいない」のです。

まして、たまに見かけるような「公演中は携帯電話をお切り下さい」とか、そんなアナウンスも一切かかりません。

何が起こるかわからない薄暗い観客席(場合によっては、スモークでほとんど視界がないようなときもありました)に座っていただく。

ですので、このお客さんがたの期待を裏切ることは、客入れの段階からあってはいけないと思っていました。

「得体の知れない何だかリスキーな場所にいる」

と感じてもらう。

ですので、客入れの音楽は緻密に計算していました。

二十代中盤過ぎの頃のある公演で、全体の客入れの音楽の枠組みはできたのですが、「公演そのものに入る直前の曲」がどうしても決まらなかった。

わりと、暴力的な公演で、

「日常から非日常に一発で入ることのできるような曲ってないかなあ」

と思っていましたら、公演を手伝ってくれていた女の子が、

「こういうのどうです?」

と持ってきてくれたのが、英国のアート・ベアーズという前衛バンドの「ウィンターソングス」というアルバムでした(アマゾン見ると、在庫切れか異常な高値のものしかありませんでした)。

それを聴いていた中で、「あ、これ」と思った曲が以下の「ラッツ&スター」(それ別のだから)…ああ違う、ラッツ&モンキーズという曲でした。

ギタリストのフレッド・フリスという人などがやっていたもので、フレッド・フリスさんは、今年、日本にも来たことをこちらの記事でふれたことがあります。

「前衛だねえ」とか言いながらも、日常と非日常の間にラインを引くことのできそうな音楽だなあと、この曲を使った次第です。

少し間違うと「悪夢のような曲」にも聞こえますけれど、満ちあふれる非日常感というのが、前衛ロックの良さでもあるのかもしれません。

ちょっと運命的だったのは、この曲を YouTube で探していましたら、上の動画は 3日前にアップされたもので、まだ 1回しか視聴されていないものでした。

その後、アート・ベアーズの曲はずいぶんと聴きましたけれど、この曲が一番好きですかね。