「二十代ソング」カテゴリーアーカイブ

P-MODELの平沢進さんが、映画「ストリート・キングダム」について書き込んでいた


Susumu Hirasawa

この映画は、私の住むウェインズ・ワールド市でも(いい加減にしろ)やっていて、私は行こうかどうか悩みながらも、まだ観ていないのですけれど、予告(下にあります)を YouTube で見て、「遠藤ミチロウさんはこんな人じゃない」とか「何かアケミ(ジャガタラというバンドのフロントマン)も違う」と思っていたのですが、平沢進さんのこの投稿は良かったです。映画を批判しているのではなく、単に「違和感」の話です。

映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』予告

ザ・スターリンの遠藤ミチロウさんは、私は知り合いではないですが、表現に対して真面目一徹の人。承認欲求などなかった。

話は違いますが、平沢進さんの P-MODEL も、十代のとき(ファーストアルバムは1979年)を聴いて、大変に影響を受けた人ですが、今でもご健在なのだなあと感銘します。以下の曲は、そのファーストアルバムの「ラストの曲」です。未来は綺麗に…と連呼する曲でした。




町田康さんがINUのメジャーファーストアルバムの曲を歌っている

2025年12月12日とあり、「爆裂都市伝説M.A.D」というイベントらしいですが、INU のこの時代の歌を町田さんがライブで歌うとは。…それにしても、何? この客数の少なさは。

これは私が十代の後半に INU の「メシ喰うな!」というアルバムを聴きまして、わりと感銘を受けたものなのですが、そのアルバムの曲の半分くらいをここで歌っている。こんなこと、この40年であった?

なお、これらが入っているアルバム『メシ喰うな!』 (1981年) は以下に全曲あります。いいアルバムだと思います。

INU – メシ喰うな!LP (1981)

町田町蔵さんは、1980年代のアンダーグラウンドロック界のアイドル…まあ、アイドルという語感は問題があるかもしれないですが、そういう音楽を聴いていた人たち全員が知っていた音楽会の著名人でした。




ZELDAのファーストアルバムの曲の歌詞「平和を買いに行くけど、それは高くつく」というフレーズについてAIと話したり

最近、田口トモロヲさんの監督映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ」というものについて、CMなどを含めて、よく見るんですけれど、そこに ZELDA (ゼルダ)役の人たちが出ているようで。

17歳か18歳の時でしたか、メジャーデビュー前のゼルダが北海道の、何と美唄というクソ田舎(美唄の人ごめん)でライブをやったことがあって、私は行ったのですね。

その町にはライブハウスがなくて、普通の喫茶店でのライブでした。なぜか私は最前列の中央という位置になってしまいまして、50センチくらい先でボーカルのサヨコさんが歌っていて。その後、メジャーでのファーストアルバムが出て、その中に「開発地区はいつでも夕暮れ」という曲があって、それは、

「平和を買いに行くけど、それは高くつく」

という歌詞で始まるものでした。

ZELDA – 開発地区はいつでも夕暮れ (1982年)

これについて、何となく Grok と話したのが以下です。


質問(質問ではないですが):ZELDAの「開発地区はいつでも夕暮れ」にある「平和を買いに行くけど、それは高くつく」なんてフレーズは今のイランとアメリカの状況を思い出しますね。

Grok の回答(回答でもないですが):

はい、本当にそのフレーズ「平和を買いに行くけど、それは高くつく」は、1982年のZELDAファーストアルバムの中で今でも強烈に響く一行ですよね。

サヨコさん(高橋佐代子)が当時高校生〜十代後半で書いた歌詞なのに、「平和」という言葉を「買う」ものとして扱い、その代償の高さを淡々と繰り返す感覚が、妙に現実味を帯びてしまいます。

特に今(2026年3月)、イランとアメリカ(およびその周辺国)の緊張が続いている状況を見ていると、まるで予言のように感じてしまいます。

曲全体のイメージは、埋め立て地や高層ビルが建ち並ぶ「開発地区」の夕暮れ——クレーン車が西陽を背に長い影を落とし、風が冷たく吹き抜ける無機質な風景。そこで「平和」を求める行為自体が、実は何か大きなものを失う代償を伴う、という静かな諦念や批評が込められている気がします。ユラユラした演奏とサヨコさんの淡々としたボーカルが、その言葉を余計に重く、でも美しく聴かせてくれるんですよね。

あなたが十代で美唄の喫茶店ライブで最前列にいた頃、この曲を聴いたり、彼女たちを生で観たりしたときの感覚と、今の国際情勢が重なる……。40年以上前の歌詞が、こんな形で現代に繋がるとは、当時のサヨコさんも想像していなかったでしょうね。

ZELDAの初期は、そういう「暗くて詩的で、少しSF的で、でも社会の違和感を突く」歌詞が本当に魅力でした。「真暗闇―ある日の光景―」の「最期の地上は光と闇の結合…」も同じテイストで、十代のあなたが惹かれたのも納得です。




パブリック・イメージ・リミテッド「宗教」(1978年)

今日、ネチネチ総裁こと(なんか階級が上がってんじゃん)ボー・イン・ラー氏の『自由の幻想』の「宗教」というパートをIn Deep で記事にしていたときに、ふと、このパブリック・イメージ・リミテッド(PIL) の「宗教 (Religion)」という、同じタイトルの曲を思い出していました。

聴いたのは、17歳か 18歳頃ですかね。

当時は宗教なんてことは考えたこともないときで、「宗教なんて、そんなに真剣に考えるものかねえ」とか思っていた時期でしたけれど(今でもわりとそうですが)、ジョン・ライドンは英国の人ですからね。いろいろ考える人たちもいたんでしょう。

逆に、それから 40年以上経った今のジョン・ライドンが宗教に関して、どう考えているのかは知りたいです。この曲に関しては、プロモやライブ動画はあまりないようで、以下はただのレコードの音楽です。その下に自分なりの訳詞を入れておきます。

Public Image Ltd.- Religion II (1978)

Public Image Ltd.- Religion / 歌詞

ステンドグラスは寒さを外に遮断し、偽善者たちは中に隠れている。

彼らの心には彫像の嘘があり、キリスト教の教えによって盲目にされている。

彼らが隠れている場所では、忌々しい神への祈りは逆から読むと犬になる。

(※ 「逆から読むと犬になる」は、GOD は逆に綴れば DOG となるという意味だと思います)

一つの人種、一つの信条、一つの世界のためではなく、
金のためだ。
思った通りにそれは有効だ

馬鹿げている!

これが宗教だ
祭壇には嘘つきがいる
説教は決して揺らがない

これが宗教だ

聖体を吸うとき、聖霊に祈るのか?
アイリッシュ・ポスト紙(※新聞)で誰が亡くなったかを読むのか?
払えないお金を寄付するのか?
ひざまずいて主に祈るのか?

豚のように太った司祭
聖人ぶった笑み

彼が金を受け取る、お前が嘘を受け取る
これが宗教、そしてイエス・キリストだ
これが宗教、しかも安上がりだ
これが中傷だらけの聖書だ

これが永遠の賛美歌に込められた罪だ
これが奴らの行いだ
これがお前たちの宗教だ

使徒は11人だった
今や天国にはクソが積み上げられている

これが宗教だ
祭壇には嘘つきがいる
説教は決して揺らがない

これが宗教だ
お前たちが信じている宗教だ




メジャーデビュー前のニルヴァーナの曲がカート・コバーンの「自分を見ていた」感じ

今日、In Deep で、ニルヴァーナというバンドのカート・コバーンの他殺説みたいな論文を記事で取りあげたのですが、その後、夜になって、久しぶりに(本当に久しぶりに)ニルヴァーナとか聴いていたのですけれど、メジャーデビューして一大ブレークする 2年前に出したアルバムに入っているネガティヴ・クリープ (Negative Creep)という曲を聴いていて、

「ああ、自分で自分の人生を思うと、こう思うんだろうなあ」

とか思いました。Negative Creepは、日本語にすると、「ネガティブな気持ち悪い奴」みたいな感じでしょうか。In Deep のブログにも書いたドキュメンタリー『モンタージュ・オブ・ヘック』を見るまでは、これは単なるパンク的な発想の挑発的な歌詞なんだろうなあと思っていましたけれど、しかし、このドキュメンタリーを見てからは、

「こんなような人生だと周囲も自分も思っていたんだろうなあ」

と、つくづく思います。

その歌詞は、日本語に適当に訳すと、以下のようなものでした。

「俺はネガティブな気持ち悪い奴(I’m a negative creep)」というフレーズが何度も繰り返されます。


Nirvana Negative Creep (1989年)/ 歌詞

こいつは俺らの手に負えない
さらに手に負えなくなっている
こいつは社会の役立たずになってきてる

俺はネガティブな気持ち悪い奴
しかもラリってる

そうだよ

社会の役立たずで、ただラリってんだ

パパの可愛い女の子はもう女の子じゃないんだ


曲は以下のような感じで、これはライブですけれど、とにかく演奏が上手な人たちですので、アルバムに収録されているのと、ライブでは音はほとんど変わりません。

Nirvana – Negative Creep (Live 1991年)

でも、カート・コバーンの格好とか地味でしょう。ナンバー1ロックスターとしては。シアトルあたりのロック音楽家にはこういう人たちが多かったですが。

1991年といえば、そろそろニルヴァーナが世界的なロックスターになる頃でしたけれど、カート・コバーンの心の闇は軽減されなかったようです。今生きていれば、カード・コバーンは 60歳手前くらいだと思います。おおむね同世代ですね。

今日はカート・コバーンの声を聴いて、泣いてばかり。




文春が故モーリー・ロバートソンさんの2023年の記事「遠藤ミチロウに批判をぶつけた熱い理由」を再掲していました

何となく、記録としてとっておこうかと。そもそも、私、モーリー・ロバートソンさんがパンクスだったと知ったのは亡くなった後ですので。

ちなみに、私が初めてザ・スターリンを知ったのは、北海道の雪の中で過ごしていた 1980年頃で、当時はサブカルチャー雑誌だった「宝島」とかで写真を見たりしていました。以下は 1981年の慶応大学でのザ・スターリンのライブですね (私はまだ雪の中にいました)。ちなみに、いろいろと破壊しているのは、ザ・スターリンではなく、非常階段というノイズユニットの人たちです。本当に今見ても夢のような現場ですね。

神奈川大学(だか明治学院大学)のライブはもっと激しかったと記憶していますが、ちょっと画像や映像が出てこないです。今では考えられないですが、当時は最先鋭の文化の表現の現場はおおむね大学でした。今の大学は「就職者製造工場」と化してしまいました。





《追悼 モーリー・ロバートソン》「今のあなたの音楽は、何のメッセージも発していない」遠藤ミチロウに批判をぶつけた熱い理由

文春オンライン 2024/02/02

国際ジャーナリストで、ラジオパーソナリティーとしても知られるモーリー・ロバートソンさんが、1月29日に食道がんのため死去した。63歳だった。各界の著名人に「代表的日本人」を訊ねた月刊文藝春秋の特集で、モーリーさんは ザ・スターリンの遠藤ミチロウ を挙げていた。その一部を紹介します。

(文藝春秋 2023年8月号のモーリー・ロバートソンさんのインタビューより)

遠藤ミチロウの過激な言動

真っ先に思い浮かぶのが、「ザ・スターリン」というパンクバンドのボーカル、遠藤ミチロウさんです。

1980年に結成され、「天プラ」「ロマンチスト」などの代表曲がありますが、ステージ上から客席に向けて放尿したり、豚の臓物を投げ付ける。あるいは、アンダーグラウンドで出回る美女の解剖動画をモニターで流すなど、あまりに過激なパフォーマンスをしたことでも有名です。

ただ、ミチロウさんの音楽性に惹かれた著名人は多く、作家の町田康さんや高橋源一郎さんらと交流を持ち、思想家の吉本隆明さんも、「刺激を受けた」と本に書いています。

ロックバンド筋肉少女帯の大槻ケンヂや、伝説の音楽番組「イカ天」(「三宅裕司のいかすバンド天国」)で脚光を浴びた歌手の池田貴族など、ミュージシャンたちは軒並み、ザ・スターリンの影響を潜って来ています。

かく言う私も、東大に入学するために上京した際、ザ・スターリンを見て、絶大な影響を受けました。

当時のミチロウさんは、パンクで天下を獲ろうと、織田信長のように音楽業界に躍り出て、「なにが昭和歌謡だ! なにがニューミュージックだ! サザンなんかぶっ潰せ!」との意気込みで、異常なエネルギーを発散していた。さらに、学生運動の時代に染まった強烈な反権力の思想と、天皇制への嫌悪感を歌詞に込めて歌っていた。

その後すぐに、私はハーバード大入学のために渡米するのですが、スターリンを見て感じた「何だこれは!」という強烈な衝撃は、アメリカにいる間もずっと続いていました。

実はミチロウさんとは、2年ほど個人的に濃密な交流をした時期があります。私は20代後半、彼は40代でした。「アメリカの先住民と日本人はお尻に蒙古斑があるから、先祖は同族だと思う」と、なかばオカルトじみたミチロウさんの思い付きを聞いて、2人でそれを確かめに一緒にアリゾナ州のホピ族の居住地を訪ねたこともありました。

他にも試作品のデモテープを聞かせてもらったり、山形大学時代に学生運動で逮捕され、ニュースに自分の本名「遠藤道郎」が映って親が悲しんだ話や、父がガダルカナル島の戦いの生き残りで、いつも負い目を感じてきた話も聞きました。

遠藤ミチロウの“弱み”

ミチロウさんはミュージシャンとして物凄い輝きを放ち、さらに彼との会話で出た言葉の節々が、その後の私の人生を突き動かしている。そんな私的な理由もあって、今回、彼を代表的日本人に挙げています。

ただ、先ほども触れたように偉人やカリスマの弱みの部分として、私はミチロウさんの音楽活動が紆余曲折し、その輝きが乱反射する過程も目の当たりにしています。

1989年に、大手レコード会社のアルファレコードと契約してから、スターリンの活動には、大きな資本が乗っかりました。すると事務所から、過激な言動や歌詞は控えるようにと厳しい注文が付く。さらに商業化するにつれて、リュックを背負ったオリーブ少女のような、これまで見たことのない、お洒落な女の子のファンに囲まれるようになった。

殺伐とした空気で、メンバー同士が殴り合う初期の興奮状態は失われ、熱心なファンたちが趣味として愛でるファンダムと化してしまったのです。ミチロウさんも、その状況を自覚して、藻掻くように、より過激に、エグいパフォーマンスを見せつける場面もありましたが、ほとんど逆効果で、ファンは喜んで受け入れてしまう。いわば資本の手練手管によって、ミチロウさんの過激なパフォーマンスすらも商品と化してしまったとも言えます。

「ミチロウさん、今のあなたの音楽は、何のメッセージも発していない。『ガンズ・アンド・ローゼズ』(アメリカのロックバンド)のパロディになっていますよ。原点に返ってください!」

と、私は我慢できずにミチロウさんを問い詰めたことがあります。その言葉がミチロウさんにも響いていたようですが、それでも商業化の波からは抜け出すことができなかった。

最後は4年前にすい臓がんで亡くなりましたが、晩年は地元の福島県で原発事故の被災者支援のため「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げ、作曲家の大友良英さんや詩人の和合亮一さんらと一緒にフェスティバルを開催していました。

私の中では最初の数年間の滅茶苦茶な時代が輝いているので、メジャー化して以降のミチロウさんは、キャリアのほとんどを下火で過ごした印象です。ただ、私自身の強烈な憧れと残念な気持ち、ミチロウさんが抱えた葛藤、そして、がんで死を遂げた最期も含めて、その全体像が深く心に刻まれています。




モーリー・ロバートソンさんって、パンクの方だったんですね

以下のイヌイジュン(乾純)さんというのは、ザ・スターリンの結成から長くメンバーとして在籍していたドラマーの方ですが、モーリー・ロバートソンさんの訃報に以下のように投稿していました。

遠藤ミチロウさんが亡くなったのはずいぶんと前ですが、モーリー・ロバートソンさんって、ザ・スターリンのリアルタイムを知っていた人だったんですね。モーリーさんは私と 1歳しか違わない。その当時は私は雪に埋もれた地域で雪に沈んでいました。

この投稿者のイヌイジュンさんは、以下のスターリンの初期の『肉』という曲でもドラムを演奏されていた方かと思います。これは、東京に出てきた当初に手にしたソノシートでした(当時はソノシートが比較的ありました。おそらく制作費が安く済む)。

いろいろな方がいなくなっていきますねえ。

こっちも、それこそ「もういくつ寝ると」の世代に入っていますけど。