政府は、第二次世界大戦後にアルゼンチンに亡命したナチスに関するファイルを機密解除する
batimes.com.ar 2025/03/25
Government to declassify files on Nazis who sought refuge in Argentina post-World War II
アルゼンチン政府は、第二次世界大戦後にアルゼンチンに定住したナチスの逃亡者に関する政府保有のファイルをすべて機密解除する予定であると政府高官が認めた。
ギジェルモ・フランコス内閣官房長官は 3月21日、ハビエル・ミレイ大統領が文書の公開と機密解除を命じたと発表した。
ファイルは「アルゼンチンに避難して長年保護されてきたナチス」に関するものだとフランコス氏はDニュースメディアの独占インタビューで説明した。
この命令には銀行や金融取引の詳細を記した文書やアルゼンチン国防省が保有する記録も含まれていると当局者は述べた。
第二次世界大戦後、多くの悪名高いナチス戦争犯罪者が逃亡し、アルゼンチンに避難した。
逃亡者の多くは、フアン・ドミンゴ・ペロン政権下の戦後間もない時期にアルゼンチンに到着し、数十年にわたって法の裁きから逃れていた。
最も悪名高かったのは、ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させるナチ党の大量虐殺計画「最終解決」の主任立案者の一人、アドルフ・アイヒマンだ。
アイヒマンは1950年、「リカルド・クレメント」という偽名でアルゼンチンに到着した。
彼は「ラットライン」として知られるファシストのための一連の国際逃亡ルートの一つを利用していた。彼は 1960年までブエノスアイレスでひっそりと暮らしていましたが、モサドに捕らえられた。その後、イスラエルに移送され、裁判にかけられ処刑された。
もう一人の悪名高い逃亡者は、アウシュビッツの「死の天使」として知られ、残酷な医学実験を行ったことで悪名高いヨーゼフ・メンゲレだった。
メンゲレは 1949年にアルゼンチンに到着し、10年間そこで暮らした後、パラグアイに逃亡し、その後ブラジルに渡り、1979年に偽名を使って亡くなった。
イタリアのフォッセ・アルデアティーネ虐殺(一般市民335人を殺害した事件)の責任者である元SS司令官エーリッヒ・プリープケも 1948年にアルゼンチンに定住し、1990年代に発見されイタリアに引き渡されるまでバリローチェに住んでいた。