(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。
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Public Enemy – Welcome To The Terrordom(1990)
ここのところ、アメリカでは混乱というのか暴動というのか、そういうのが起こっていますが、こういうのが起こるたびに思い出すのが、パブリック・エナミーというユニットなんですね。
私はこのパブリック・エナミーの DJ であるターミネーター X という人は天才だと思っている人ですが、「扇動の天才」だと、ずっと思っています。
ラップの DJ は、MC (歌う人たち)のバックにすぎないという見方も多かったですが、ターミネーター X は単純な…下手すると、ノイズ的にしか聞こえない単調な音のループだけで、「次第に反抗的な意味で高揚してくる」気分を作り出すのですね。
これは、MC のほとんど入っていない曲のほうがわかりやすいかと思いますので、以下の曲を貼っておきます。
ウェルカム・トゥ・テラードームという曲です。これが収められた『フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット』というアルバムは、アメリカ国会図書館の重要保存録音物として永久保存されていることが記されています。
Welcome To The Terrordom(1990)
ターミネーター X は、その後、パブリック・エナミーから脱退しますが、一人になってから発売された曲を聴きましても、非常に扇動的です。1991年の曲です。ちょっとした映画ですよ。
Terminator X – Buck Whylin’ (1991)
ロックやパンクの「扇動性」は、どちらかというと直接的なものではないですが、ヒップホップの場合は、曲が優秀であれば、「脳と肉体に直接、扇動が仕掛けられる」感じです。
私は騒乱を望むものではないですが、扇動の方法論は、いろいろとあるのだろうなといつも思います。音楽の観点よりも、心理学的、社会学的観点の話かもしれません。
あるいは、ロックとヒップホップの違いは、理性と感情のどちらに訴えるのか、の違いなのかもしれません。