ロシア RT のインタビュー記事を読んでいましたら、
> 現在の検索プラットフォームは、「事実上、現代のダムナティオ・メモリアエを課している」
とありまして、何のことだろう? と調べて知りました。私のブログもずいぶんと、ダムナティオ・メモリアエを受けました。
以下のようなものです。
ダムナティオ・メモリアエ(Damnatio Memoriae)とは、古代ローマで反逆者とされた人物に対して行われた、その人物の記録の破壊処置のこと。
元老院はその支配体制へ反逆した人物に対して記録の破壊を行い、その対象は古代ローマ人全般に及び、少なくとも2名の皇帝がダムナティオ・メモリアエを受けた。日本語訳は「記憶の破壊」、「名声の破壊」など。
概要
ダムナティオ・メモリアエを受けた人物は、その一切の存在がなかったとして、自らが遺したあらゆる痕跡を抹消された。社会的な体面や名誉を重んじた古代ローマ人にとって、ダムナティオ・メモリアエは最も厳しい措置と見なされた。
以下にある硬貨には、元々はティベリウス帝時代にプラエフェクトゥス・プラエトリオを務めたルキウス・アエリウス・セイヤヌスの名前が刻まれていたが、ティベリウスへの謀反が発覚しセイヤヌスが処刑された後に、硬貨から「セイヤヌス」の名前が削られた。
古代ローマで、ダムナティオ・メモリアエは元老院議員や皇帝を死後に批判する根拠であった。ただし、元老院がダムナティオ・メモリアエを課した場合でも、後の時代の皇帝によって、名前や彫像が再び制作されることもあった。
カリグラ(カリギュラ)の死後、カリグラに対して元老院はダムナティオ・メモリアエを下そうとしたが、後継皇帝のクラウディウスはカリグラに対するダムナティオ・メモリアエを防いだ。
68年に自殺したネロは元老院によってダムナティオ・メモリアエを課されたが、69年に皇帝となったアウルス・ウィテッリウスはネロの立派な葬儀を行った。ネロを含む幾人かの皇帝の像は死後に破壊されたが、後に作り直された。
公式にダムナティオ・メモリアエを受けたことがわかっているのは、ドミティアヌスとプブリウス・セプティミウス・ゲタ(カラカラの共同皇帝)の2人である。