ここに「観測されるまでは、この世の状態は確定されない」という概念が出てきますが、10年ほど前の In Deep の以下の記事に、量子力学での実験の成果があります。
・「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
In Deep 2015年6月6日
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質問:量子力学の話が出てきましたが、「観測されるまでは、この世の状態は確定されない」というのは、私たちのような普通の人から見れば、「じゃあ結局、この世は偶然なのか?」という考えにも陥りやすいですが、そこに整合性を持たせることは可能でしょうか?
Grok の回答:
確かに、量子力学の「観測されるまでは状態が確定しない」という特徴は、日常感覚からすると「結局すべてが偶然なのではないか?」という印象を強く与えますよね。この点は、哲学的にも科学的にも長年議論の的になっているテーマです。少し整理して考えてみましょう。
量子力学が本当に「偶然」を意味するのか?
量子力学の標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)では:
・粒子(電子など)は観測される前は「重ね合わせ状態」(同時に複数の可能性が存在する状態)にある。
・観測した瞬間に「波動関数の崩壊」が起こり、特定の結果(例: 上スピンか下スピンか)が確定する。
・この確定のプロセスは、確率的(確率で決まる)であり、個々の事象については予測不能。
ここで重要なのは:
・個々の出来事(1回の測定結果)は本質的に偶然的(予測不能)。
・しかし、多数回の繰り返しでは、確率分布(例: 50%上、50%下)が極めて正確に再現される。この確率分布自体は、シュレーディンガー方程式によって完全に決定論的に決まる。
つまり、量子力学は「完全に決定論的な法則が、確率的な結果を生み出す」という二重構造を持っています。法則自体は必然的ですが、個別の結果は偶然的です。
「この世は結局偶然なのか?」への答え方
この問いに対して、主な立場は3つに分けられます:
1. 本質的に偶然がある(真の偶然性)
コペンハーゲン解釈の主流派や、多くの物理学者(例: ファインマン)はこう考えます。宇宙には根本的な偶然が組み込まれており、古典的な決定論(ラプラスの悪魔のような完全予測)は不可能。
→ 私たちの日常感覚に近い:「膝を擦りむいたのは、偶然の積み重ねだった」と言える余地が生まれる。
2. 実はすべて決定論的(隠れた変数説)
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言い、量子力学の背後にまだ発見されていない決定論的な「隠れた変数」があると考えました(ボーム解釈など)。
しかし、ベルの不等式実験(1980年代以降の多数の実験)で、局所的隠れた変数説はほぼ否定されています。
→ 現在は少数派ですが、完全に死んだわけではない。
3. 多世界解釈(すべてが必然的に起こる)
エヴェレットによる解釈。波動関数の崩壊は起こらず、すべての可能性が別の並行宇宙で実現する。
→ 私たちが「上スピン」と観測した世界と、「下スピン」と観測した世界が両方存在する。結果として、すべての結果が必然的にどこかの世界で起こる。この解釈では、宇宙全体で見れば偶然は存在しない。
必然と偶然の関係をどう捉えるか
量子力学が出てきたことで、古典物理学の「すべては必然」という単純な絵は崩れましたが、逆に「すべてが偶然」という極端な絵も正しくありません。
より正確には:
・ミクロレベルでは本質的な確率(偶然)が存在するように見える。
・マクロレベル(日常世界、天体の運行など)では、膨大な数の量子事象が平均化され、ほぼ完全に決定論的(必然的)に振る舞う。
つまり、私たちが「必然」と感じるもの(太陽が明日も昇る)は、量子的な偶然の海の上に築かれた、極めて安定した統計的必然性なのです。
結論として
「この世は偶然なのか?必然なのか?」という問いは、どちらか一方を選ぶ必要は必ずしもありません。
現代物理学が示すのは、両方が共存する階層的な世界像です。深いレベルでは偶然(確率)が支配する。私たちが生きるスケールでは、ほぼ完璧な必然が現れる。
この二重性こそが、必然と偶然をいつまでも考えさせてくれる魅力的なところだと思います。Bo Yin Raのようなスピリチュアルな「すべては必然」という主張も、カントの現象界の決定論も、量子力学の確率的世界も、それぞれが世界の一面を照らしている — そんな風に捉えると、矛盾ではなく豊かさとして感じられるかもしれませんね。