「二十代ソング」カテゴリーアーカイブ

二十代によく聴いていた曲(75) タコ – 赤い旅団 (1983年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

タコ – 赤い旅団 (1983)

最近、「 TACO 」という言葉を、トランプ氏絡みでよく使うようになりましたが、タコというと、私が北海道にいたときに、初めて自主製作レコードを通販で買ったバンドが「タコ」でした。

何かの自主流通系の雑誌 (「本の雑誌」だったかなんかだと)で広告を見て、「ああ、通販してるんだ」と、そこに現金書留(当時はこれしかなかったのです)で、代金を送ったのでした。18歳くらいの時でしたかね。

ピナコテカ・レコードというレーベルでした。ピナコテカ・レコードの主宰だった佐藤隆史さんという人(吉祥寺でマイナーというライブハウスをやっていた)の経歴は、Wikipedia にも、わりと詳しく書かれています。

私が東京に出てきた頃には、吉祥寺マイナーはもう存在しなかったので、その過激な時流には乗れなかったのですが、それはともかく、まだ北海道にいた時に、ピナコテカ・レコードにレコードを注文したのです。

ところが、いつまで経っても「来ない」のです。

1カ月くらい経って、やや諦めていましたら、その頃に届きまして。

ちゃんとお詫びの手紙が添えられていて、「発送が遅れて申し訳ありません。お詫びとして、もう一枚レコードを入れさせていただきました」と書かれていました。

お詫びで入れてくれたレコードは、日本の NORD (ノール)というユニットのアルバムで、探すとYoutube にもありましたが、十代の私には手の負えないノイズでした。

そんな思い出のあるタコでしたけれど、そのアルバムは、ゲストも多彩で、坂本龍一さんの曲まで入っていたんですけれど(な・い・し・ょのエンペラーマジック)、

「どれが最も好きだったろう」

と考えると、難しいところですが、最もひどい歌詞内容の以下の曲が浮かび上がります。

タコ – 赤い旅団 (1983年)

メンバーは、宮沢正一さん、ザ・スターリンの遠藤ミチロウさん、ザ・スターリンの杉山晋太郎さん、そして、ハイライズというバンドの成田宗弘さんでした。オペラを歌っている女性については、クレジットには、香山リカさんとあるのですが、精神科医の香山リカさんとは関係ない人です。

ひどい歌詞ですが、不思議なことに、こういう曲を聴くたびに、弱い人には優しくしたい、と思うようになりました。

ちなみに、このジャケットは、私が敬愛する漫画家の花輪和一さんによるものです。裏は、以下のようなものでした。

この裏ジャケットも花輪和一さんによるものかどうかは、今でもよくわかりません。




二十代によく聴いていた曲(74) シリータ – ブラック・メイビー (1972年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Syreeta – Black Maybe(1972)

何だか最近は陰惨だったり暴力的な出来事が多いこともあり、何か心の和む音楽なかったっけ? と思い出していましたら、アメリカのシリータというソウルシンガーの曲を思い出しました。

これは最初いつ頃聴いたものでしたかねえ。東京の吉祥寺の店かなんかで聴いたような記憶もありますが、よく覚えていません。お店で流れて「いい曲だなあ」と思いまして、店の人に「誰ですか?」と訊くと、「シリータ」と言います。

「尻が痛い?」
「違います」

Syreeta – Black Maybe

「黒かもしれない」というタイトルですよね。

こういう感じの曲も、パンクやノイズばかりだった荒くれたレコード・コレクションの中に清涼剤として入り始めました。

その後は、ジャズ系の黒人女性歌手の歌もよく聴いていました。

パニック障害の発作でやや疲れていた二十代に、朝からお酒を飲んで聴くには最高でした。朝からウォッカとか(やめとけ)。

なんとなく、そんな二十代でした。




二十代によく聴いていた曲(73) B 52’s – Give Me Back My Man (1980年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

B 52’s – Give Me Back My Man(1980)

高校のときには、この B 52’s というバンドはすでに結構有名で、北海道の田舎でも聴いている人がいたくらいでした。

80年代の北海道といえば、みんな熊の毛皮を着て、鮭を一匹丸かじりしていた時代ですが(やめろよ)、B 52’s と(あと DEVO )は、わりと人気がありましたね。

私も殺された熊の毛をむしりながら、B 52’s を聴いていました(だから、やめろよ)。

まあ、いい曲ですよ。私が一番好きだったのは、プライベート・アイダホという曲でしたけれど、バンドのオジサンが歌っている曲ですので、あえて、女の子のシンディさんという方がボーカルをつとめていた Give Me Back My Man という曲を。

今回、これを書く際に、Wikipedia を見て初めて知ったのですが、邦題は「恋のお願い」だったのですね。…これじゃ売れないよ…。一応は、日本でも、パンク・ニューウェイブのカテゴリーで扱われていた人たちだったですので。

B 52’s – Give Me Back My Man

プロモを見たのは、YouTube が出てきた後ですが、このビデオでおわかりだと思うのですが、この曲のボーカル(他の曲は左横のオジサンのボーカルの曲が多い)のシンディさん、「裸足」なんですよ。

他のプロモでも、裸足での姿を見ました。おきれいな人ですけれど、変わった人なんでしょうね。

B 52’s は結局、大変著名なバンドになりましたけれど、女の子たちの髪型を含めて、いつでも異種感の漂うチャーミングなバンドでした。




二十代によく聴いていた曲(72) ファン・ダ・メンタル – God Evil (1996年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Fun’Da’Mental – God Evil(1996)

「二十代によく聴いていた曲」とかに入れましたが、これを初めて聴いた 1998年頃は、私はバリバリの三十代でしたので、厳密には違うのですけれど、前回のこのコーナーで、「扇動」というキーワードで、パブリック・エナミーというユニットの曲をご紹介しました

その「扇動」つながりということで。「何かを扇動する曲」です。何かは複雑です。

これは、1998年の頃、一緒にデザイン事務所をやっていた人が、事務所でラジカセでかけていましてね。

「何これ?」
「ファン・ダ・メンタルっていうイギリスのユニットですよ」

ということになりまして。

激しいんですけれど、聴いても「ジャンルがわからない」のですね。ヒップホップのようでもあるし、ハードなロックのようでもあるし。Wikipedia (英語版)的には以下のようにあります。

> ファン・ダ・メンタルは、 1991年に結成されたイギリスの多民族ヒップホップ、エスノテクノ、ワールドフュージョン音楽グループ。 東洋と西洋の音楽形式をエネルギッシュに融合させた音楽、率直な政治的スタンス、そしてイスラム教への強い支持と擁護で知られている。

その CD を借りて、ずいぶんと愛聴するアルバムのひとつとなりました。「エロティックテロリズム (Amazon)」というアルバムです。

そこに入っている以下の曲に感銘したのでした。プロモです。

Fun’Da’Mental – God Evil

暴力の時代にとても合う曲だと思いますが、最近になって、またよく聴いているということは、今もまた暴力の時代なのかもしれません。




二十代によく聴いていた曲(71) パブリック・エナミー – Welcome To The Terrordome (1990年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Public Enemy – Welcome To The Terrordom(1990)

ここのところ、アメリカでは混乱というのか暴動というのか、そういうのが起こっていますが、こういうのが起こるたびに思い出すのが、パブリック・エナミーというユニットなんですね。

私はこのパブリック・エナミーの DJ であるターミネーター X という人は天才だと思っている人ですが、「扇動の天才」だと、ずっと思っています。

ラップの DJ は、MC (歌う人たち)のバックにすぎないという見方も多かったですが、ターミネーター X は単純な…下手すると、ノイズ的にしか聞こえない単調な音のループだけで、「次第に反抗的な意味で高揚してくる」気分を作り出すのですね。

これは、MC のほとんど入っていない曲のほうがわかりやすいかと思いますので、以下の曲を貼っておきます。

ウェルカム・トゥ・テラードームという曲です。これが収められた『フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット』というアルバムは、アメリカ国会図書館の重要保存録音物として永久保存されていることが記されています

Welcome To The Terrordom(1990)

ターミネーター X は、その後、パブリック・エナミーから脱退しますが、一人になってから発売された曲を聴きましても、非常に扇動的です。1991年の曲です。ちょっとした映画ですよ。

Terminator X – Buck Whylin’ (1991)

ロックやパンクの「扇動性」は、どちらかというと直接的なものではないですが、ヒップホップの場合は、曲が優秀であれば、「脳と肉体に直接、扇動が仕掛けられる」感じです。

私は騒乱を望むものではないですが、扇動の方法論は、いろいろとあるのだろうなといつも思います。音楽の観点よりも、心理学的、社会学的観点の話かもしれません。

あるいは、ロックとヒップホップの違いは、理性と感情のどちらに訴えるのか、の違いなのかもしれません。




二十代によく聴いていた曲(70) スライ&ザ・ファミリー・ストーン – If You Want Me to Stay (1970年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Sly and the Family Stone – If You Want Me to Stay(1970)

スライ・ストーンさんが亡くなったという訃報を見ました。82歳ですから、十分に大往生ですが、このスライ・ストーンさんの曲を初めて聴いたのは、高校生の時のラジオにおいてでした。

If You Want Me to Stay という以下の曲でした。

誰のラジオ番組だったかはきちんとは覚えていないのですが、確か坂本龍一さんのラジオ番組ではなかったかなあとは思っていますけれど、当時の尖った坂本龍一さんが、こういうタイプの曲を流すかなあとも思ったりして、まあ不明です。

この曲は大変にいい曲だと思いましたけれど、それ以外には、特に、スライ・ストーンさんのアルバムを聴いたりすることはなく過ごしていたのですが、その数年後、東京の学校に出てきたときに在籍していた学生劇団のようなものがありまして、その部室には、カセットが置いてあって、誰でも好きな音楽をかけていいのですね。

そこで、あるときにかかっていた曲に、

「これはいいですねえ。誰ですか」

というと、「知らないの? スライ&ザ・ファミリー・ストーンだよ」ということでした。

「ああ、あの時に聴いたのと同じ人たちなのか」と思いました。

その時に聴いたのは、以下の曲で。「 M’Lady 」という曲です。

その後は、ほとんど名前を聞くこともなかったですけれど、今も訃報が大きく報道されているあたり「なるほど」と思いました。




二十代によく聴いていた曲(69) プリンセス・タイニーミート – スロブランズ (1984年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Princess Tinymeat : Sloblands(1984)

いわゆる表現団体をやっていた時に、いろいろと音楽に詳しい人たちが周囲にいたことは以前書いたことがあります。

そういう中の女の子のスタッフのひとりが「こんなの手にしたんですけど」と持ってきたのが、プリンセス・タイニーミートというバンドのアルバムでした。

「誰これ?」
「ヴァージン・プルーンズというバントにいた人らしくて」
「ヴァージン・プルーンズって?」
「アイルランドにそういう人気のバンドがあったんですよ」
「へえ。アイスランドに」
「アイルランドです」

それで聴いてみましたら、全体的にクセの強い音楽でしたけれど、アルバムの 2曲目に入っていた、このスロブランズ という曲に惚れ込みましてね。

ちょうど、self23 の公演の頃だったので、劇場で大音量でこの曲をかけてみましたら、

「これは…いい!」

ということになって使うことにしたのでした。

以下の曲です。

これは大音量で聴くと、陶酔感が漂う曲だったんですよ。

「いろんなバンドがあるんだねえ」

とか言っていましたけれど、当時、私の周囲にいた人たちは音楽をいろいろと収集していた人たちでした。

そこから得た経験と情報は今でも貴重です。

ありがたいことです。