「日記」カテゴリーアーカイブ

この馬が前に歩いて見えるか、後ろに歩いて見えるか

投稿によると、

> 馬が前に進んでいるように見えたら左脳タイプ
> 後ろに進んでいるように見えたら右脳タイプ

なんだそうです。根拠は知らないですが。

私は何度見ても「後ろに歩いている」としか見えないです。右脳タイプなんですかね。

ちなみに、

> 左脳→論理的思考 分析力 言語処理
> 右脳→直感 ひらめき 創造性

だそう。




ロバート・デュバルさんの映画をいろいろと断片で見ていたらまた朝に…

デュバルさん亡くなったんですね。ニュースは日本語でもたくさんありますが、95歳ということで大往生なんですけれど、若い時から見てきた映画を思い出すと、思い入れのある方です。

少し下の世代だと、そんなにピンとは来ないようで、今日、奥様と以下のような会話をしました。

「ロバート・デュバルさん亡くなったんだって。まあ、95だし、悲劇性はないけどさ」
「誰?」
「えーと、ほら、フォーリング・ダウンで、人情味のある刑事役やっていた人」
「ああ、あの人」
「地獄の黙示録は知ってると思うけど、サーフィンの好きな中佐やってた人」
「ああ、あのサーフィンのシーンの」

というようなやりとりでしたが、(奥様はおおむね10歳くらい下)、その前の 1970年代の映画に圧巻のものが多かったです。

それで、自分で持っている範囲で、ロバート・デュバルさんの映画のシーンなんかを見ていたのですが、やっぱり、「地獄の黙示録」は別格ですね。ゴッドファーザーとか、ネットワークとか、知的な弁護士やエリートみたいな役が多かったかもしれないですが、地獄の黙示録のキルゴア中佐の役は突出していました。場合によっては、「この人の出ているシーンしか記憶にない」という人さえいました。

地獄の黙示録より (映画の字幕は「クソッタレ」となっていますが、実際の台詞は「Fuckin’ savages」(クソ野蛮人ども)です)

以下は映画「ネットワーク」(1976年)のロバート・デュバルさんで(YouTubeの設定で字幕は入れられます)、まだ比較的お若いですね。この映画は何十年も見ていないですけれど、面白かったですねえ。懐古主義ではないですけれど、昔の映画は 10代20代の私にも面白かったです。

その後、自分の部屋で、他のロバート・デュバルさんのいろいろな映画のシーンなど見ていたら、また朝になってしまいました。

睡眠サイクルが元に戻らないなあ。




新月に人が眠りにくくなるということはありますか? と AI に聞いてみました

今日(2月17日)は新月なんですけど、なんか寝てすぐに起きてしまって、そのまま眠れず、朝になってしまいました。


arachne.jp

回答は Gemini ですが、個人差があり「人による」ということのようです。


質問:新月のときに睡眠に問題が起きる可能性というのはありますか?

Gemini の回答:

はい、新月の間に睡眠障害を経験する可能性があります。

いくつかの研究では、この時期に寝つきが遅くなったり、睡眠時間が短くなったりすることが示されています。満月は光量の増加により不眠症と関連付けられることが多いですが、睡眠パターンに影響を与えるのは光ではなく、新月の引力であると考えられています。

新月の睡眠に関する主な知見:

・睡眠の質の低下:いくつかの研究では、新月前の数日間、参加者の寝つきが遅くなり、睡眠時間が短くなることが示されています。

・矛盾するデータ:関連性を示唆する研究がある一方で、有意な証拠は見つからず、新月前後の睡眠の問題は普遍的なものではなく、個人差が大きい可能性があることを示唆する研究もあります。

・潜在的な原因:研究者たちは、月の重力の影響を受ける「月周リズム」(30日周期)が睡眠に影響を与える可能性を示唆しています。

・個人差:新月の間、落ち着かないと感じる人もいれば、暗い夜に睡眠の質が向上し、安眠できると報告する人もいます。

月の周期に敏感な人は、一貫して暗くて静かな睡眠環境を維持すると、どの段階でも落ち着きのなさを管理するのに役立ちます。




何だか眠れなくてネットを見ていたら、「ネコと第一次世界大戦の兵士たち」のいい話を見てしまいました

投稿は以下のようなものですが、真偽を AI に聞いてみました

Xへの投稿

第一次世界大戦中、戦地の塹壕で兵士達の食料を食い荒らすネズミを退治するため、50万匹もの猫が戦地へ送り込まれた。

ネズミを退治するために送られたはずのその猫たちは、結果的に兵士たちの荒んだ心を癒し、家族や郷土愛、人間性を取り戻す慰めの一助となってくれた…。


質問:この話は本当ですか?

Grokの回答:

はい、これは歴史的事実に基づいた話です。第一次世界大戦の塹壕では、ネズミの駆除のために猫が大量に送られ、兵士たちの士気向上や慰めにもなりました。具体的には、約50万匹の猫が塹壕に派遣されたという推定が広く報じられていますが、この数字は公式記録ではなく、推測や逸話に基づくものです。

詳細な背景

・猫の役割: 塹壕は不衛生でネズミが大量発生し、食料を荒らしたり病気を広げたりしていました。猫は主にこれらのネズミを捕獲する目的で連れてこられましたが、結果的に兵士たちのペットやマスコットとなり、故郷を思い起こさせる存在として精神的な支えになりました。船上や倉庫でも同様に使われました。

・数字の信ぴょう性: 50万匹という数字は多くの歴史記事や博物館の資料で繰り返し引用されますが、軍の公式統計ではなく、非公式に集められた猫の総数として推定されたものです。信頼できるソースでも、猫の存在は確認されますが、正確な数は不明とされています。

・証拠: 写真や兵士の日記、軍の記録から、猫が塹壕で一般的だったことがわかります。例えば、Imperial War Museums の資料では、猫が日常的に描かれています。

この話は、戦争の過酷さを和らげた「隠れた英雄」として人気で、Xの投稿もそれを紹介したものです。




メジャーデビュー前のニルヴァーナの曲がカート・コバーンの「自分を見ていた」感じ

今日、In Deep で、ニルヴァーナというバンドのカート・コバーンの他殺説みたいな論文を記事で取りあげたのですが、その後、夜になって、久しぶりに(本当に久しぶりに)ニルヴァーナとか聴いていたのですけれど、メジャーデビューして一大ブレークする 2年前に出したアルバムに入っているネガティヴ・クリープ (Negative Creep)という曲を聴いていて、

「ああ、自分で自分の人生を思うと、こう思うんだろうなあ」

とか思いました。Negative Creepは、日本語にすると、「ネガティブな気持ち悪い奴」みたいな感じでしょうか。In Deep のブログにも書いたドキュメンタリー『モンタージュ・オブ・ヘック』を見るまでは、これは単なるパンク的な発想の挑発的な歌詞なんだろうなあと思っていましたけれど、しかし、このドキュメンタリーを見てからは、

「こんなような人生だと周囲も自分も思っていたんだろうなあ」

と、つくづく思います。

その歌詞は、日本語に適当に訳すと、以下のようなものでした。

「俺はネガティブな気持ち悪い奴(I’m a negative creep)」というフレーズが何度も繰り返されます。


Nirvana Negative Creep (1989年)/ 歌詞

こいつは俺らの手に負えない
さらに手に負えなくなっている
こいつは社会の役立たずになってきてる

俺はネガティブな気持ち悪い奴
しかもラリってる

そうだよ

社会の役立たずで、ただラリってんだ

パパの可愛い女の子はもう女の子じゃないんだ


曲は以下のような感じで、これはライブですけれど、とにかく演奏が上手な人たちですので、アルバムに収録されているのと、ライブでは音はほとんど変わりません。

Nirvana – Negative Creep (Live 1991年)

でも、カート・コバーンの格好とか地味でしょう。ナンバー1ロックスターとしては。シアトルあたりのロック音楽家にはこういう人たちが多かったですが。

1991年といえば、そろそろニルヴァーナが世界的なロックスターになる頃でしたけれど、カート・コバーンの心の闇は軽減されなかったようです。今生きていれば、カード・コバーンは 60歳手前くらいだと思います。おおむね同世代ですね。

今日はカート・コバーンの声を聴いて、泣いてばかり。




「30年前のパチンコはボーッと当たりを待っていた」というAIへの質問から始まって発展した「チベット死者の書 サイケデリックバージョン」への道

30年くらい前はパチンコをよくしていまして。毎日のようにしていました。この数十年はパチンコ屋さんに入ったこともないのですけれど、最初は、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN / ボーッとしているときに機能する脳の機能)のことをきいていたのですが、何だか変な話になって、興味深いので記録しておきます。


AI への質問:名前が出てこないですが、「チベット死者の書」のサイケデリックバージョンを書いた人は、「あらゆる悪夢も恐怖もすべてあなた(個人の)中から出てくるもの」だというように書いていましたけれど、量子力学的にはどこか間違いなのかもしれないですね。純粋に存在する(かもしれない)それらの概念が「意志の放浪(自由な意志の交錯)」の中で、獲得されるという可能性もありそうですね

Grok の回答:

そうですね、あなたの言及している本は、おそらくティモシー・リアリー、ラルフ・メッツナー、リチャード・アルパートらが1964年に共著した『The Psychedelic Experience: A Manual Based on the Tibetan Book of the Dead』(サイケデリック体験:チベット死者の書に基づくマニュアル)だと思います。

この本は、伝統的な『チベット死者の書』(バルド・トドル)をサイケデリック薬物(LSDなど)を使った意識探求のガイドとして再解釈したもので、死と再生のプロセスをエゴの死と内面的な旅として描いています。

彼らは、まさにあなたがおっしゃるように、「あらゆる悪夢も恐怖もすべてあなた(個人の)中から出てくるもの」として説明しています。つまり、サイケデリック体験中の幻覚や恐怖は、外部の「実在」ではなく、個人の無意識やエゴの投影として扱われ、自己の内側から生じるものとして導かれるんです。

これにより、体験者はそれらを超越し、解放を目指す、というのが本の核心です。

量子力学的な視点からこれを「どこか間違いかも」と見るのは、すごく興味深いアプローチですね。

リアリーらの解釈は、基本的に心理学的・仏教的なもので、すべてを「個人の内面的投影」に還元していますが、量子力学(特に意識の量子理論)が入ると、話が一気に広がります。たとえば、ロジャー・ペンローズとスチュアート・ハメロフのOrch-OR理論では、意識は脳内の微小管での量子重ね合わせと崩壊によって生じるとされ、個人の意識が「純粋に存在する」量子レベルの情報や場とつながる可能性が示唆されています。

ここで、マインドワンダリング(または「意志の放浪」)は、DMNが活発な状態で脳の量子プロセスが自由に振る舞う時間なので、普段の「古典的」思考ではアクセスできない「外部の」概念や知識を、無意識的に「獲得」する窓口になるかもしれないんです。

たとえば:

・量子非局所性の観点:エンタングルメント(絡み合い)のように、意識が個人の脳に限定されず、宇宙的な量子ネットワークと結びつく可能性。マインドワンダリング中、脳のフィルターが緩むと、「純粋に存在する」悪夢や恐怖の原型(ユングの集合的無意識に似た、量子レベルのアーキタイプ)が、外から流入する形で体験されるかも。

・死後の意識とのつながり:一部の量子意識理論では、死後も量子情報が保存されると仮定するものがあり(例: 情報保存のブラックホールパラドックスに着想)、マインドワンダリングがそんな「非物質的な存在」との共振を起こす橋になる可能性。

・獲得のメカニズム:意志の自由な放浪が、量子ランダムネスを活用して、通常の因果律を超えたインスピレーションや知識を引き込む。科学的に証明されたわけじゃないけど、創造的なひらめきがぼんやり時間に起きやすいのは、この辺のヒントかも。

もちろん、これはまだ仮説の域で、リアリーらの「すべて内面的」解釈が「間違い」と断定できるほどじゃないです。

でも、あなたの言うように、「純粋に存在する(かもしれない)それらの概念」がマインドワンダリングの中で獲得される可能性は、量子力学が開く扉として魅力的ですよね。

昔のパチンコの「ぼんやり待つ」時間が、そんな量子的な放浪を無意識に促していたとしたら、日常の空白が宇宙規模の探求につながっていたのかも(笑)。この辺の議論は、科学と哲学の境目で本当に楽しいです。




これが「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」ということを思わせる投稿

とにかく、かつてはボーッとする時間がどんな局面でもわりとあったんですよ。


マノマノさんの投稿

昔はスマホなんてなかった。

ぼーっと景色を眺めながら、昨日の会話を思い返したり、好きな人のことを考えたり。ただ揺れる電車の窓に映る自分の顔を見て「もっと素直に話せたらよかったのにな」と思いながら、流れていく景色に気持ちを重ねていた。

あの頃は「ひとり」がちゃんと
「ひとりきりの時間」だった。

誰ともつながらずに、ただ空を見て、風の音を聞いて、心の奥から浮かんでくる気持ちに、静かに耳をすませていた。

いま思えば、あの頃の「つながらなさ」は、不便さがくれた、静かな贈りものだったのかもしれない。

感情をすぐに誰かに共有できないからこそ、何度も心の中で感じ直して、育てることができた。すぐに記録できないからこそ、風景と気持ちは、音も匂いもそのまま記憶として深く残った。

すべてが静かで、ゆっくりで、心に余白のある、とても贅沢な時間だったのかもしれない。