115年前のルドルフ・シュタイナーの講義「病気の本質」より

 

太字はこちらで施しています。In Deep のこちらの記事にもう少し長くあります。


「病気の本質」 (1908年の講義)より

ルドルフ・シュタイナー

一般に人間は、病気になってはじめて病気のことを気かけるものです。そして、病気になったとき、なによりも病気が治ることに関心を持ちます。

病気が治ることが問題なのであって、「どのように」癒されるかということはどうでもいいと思っています。現代人の多くはそのように考えています。

今日では、宗教より医学の領域に、権威への信仰が見られます。医学的な権威者の有する権限は大きく、将来さらに大きくなっていくでしょう

このような現状は、一般人に責任がないとはいえません。病気で苦しんでいないと、このようなことについて真剣に考えないからです。

医学的な権威者がさまざまな事柄、たとえば子供の教育や学校生活について語るのを、人々は平静に聞いています。その背後にどのような事柄が存在するのかを、気にかけていないのです。

病院がどのような法律によって作られるかというようなことを、人々は傍観しています。人々は、そのようなことに真剣なまなざしを向けようとしません。

通常の唯物論的な医学では治らない人々も、なぜそうなのかを深く考えず、ただ治るかどうかを気にしています。

神秘的な治療法に頼る人々も、なぜそうかを深く考えず、ただ治るかどうかを気にしています。

…単に利己主義的な治癒への欲求だけではなく、病気と治療に関して、その深い原因を認識し、その認識を広めることが、ほんとうの精神運動の課題です。

今日のような唯物論の時代には、病気についての教義が唯物論的な思考方法の大きな影響を受けています。ある方法を特別のものだとすると、道を誤ります。

…人間は複雑な存在であり、人間に関するものはすべて、その複雑さと関係するということを、なによりも明らかにしなければなりません。

人間が単に肉体からなる存在であると見るなら、治療をすることは不可能になります。健康と病気は、肉体だけに関することではなく、人間の心と精神にも関係しています。