二十代によく聴いていた曲(24) – M / ポップ・ミュージック(1979年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

M – Pop Muzik (1979)

少し前に、デヴィッド・ボウイさんのボーイズ・キープ・シンギングという曲を取りあげたことがあります。

当時、高校2年くらいだった私が北海道のクソ田舎で(クソはつけなくていいから)、深夜に、全日本プロレスの後に放映されていた音楽番組を見ていたことを書いたのですが、このM(エム)という、どこかぞんざいな名称の音楽ユニットの曲を聴いたのも、その番組でした。

最初に音楽を貼っておきますと、以下のものです。

たとえば、テクノポップとかシンセポップとか、いろいろなカテゴライズはありましたけれど、そういう中で、「ヒットチャート全米1位」とか、そういうのって、あまりないと思うんですよ。

日本でなら、YMO とか、プラスチックスとか有名なユニットはたくさんありましたけれど、ヒットチャートとは基本的には関係なかったのですけれど、このMのポップ・ミュージックという曲は、英語版の Wikipedia を見ますと、ヒットチャートで、全米(ビルボード) 1位と全英シングルチャートで 2位を記録している曲なんですね。

だから、北海道のクソ田舎で(だから、クソは要らないから)高校生の私がテレビで偶然見ることができたのだと思います。

なのに、今では驚くほど、この歌の話題が出ることがないなあ、と。

何となく忘れ去られたヒット曲になってしまっている。

実は、その 16歳だか 17歳の時に、この音楽を聴いて、

「ああ、なんかこういう曲を作ってみたい」

と思いまして。まあ、そんなのは作ることは出来なかったかもしれないですが、Mはちょっとした「心の師匠」なのです。

誰でも楽しめて、すぐ覚えられて、一回聴いたら忘れられないような曲。

日本だと、北島三郎さんの『与作』なんかもそうですよね(ジャンルは違いますが)。一回で覚える。

ただ、北島三郎さんのほうは、顔も一回で覚えられますが、このMに関しては、顔を覚えていないのです。

曲自体は好きで、その後もわりとよく聴いていましたけれど、歌っている人の顔が全然思い出せない。

今回、久しぶりにプロモを見ていて、「こんなだっけ?」と思った次第で、顔の印象も大事だよなあと。

そんなこともあり、「Mと北島三郎さんなら北島三郎さんの勝ちだよなあ」と改めて思いました(何だか、よくわからない話になってるじゃねえかよ)。

しかし、曲そのものは、与作より、このポップ・ミュージックが勝っていると思います。

ちなみに、このM(主催者の本名は、ロビン・スコットさんという人)は、坂本龍一さんの 3作目の『左うでの夢』というアルバムをプロデュースしていたことが書かれています。

テレックスもそうですが、40年以上前は、テクノポップをよく聴いていたなあと思い出します。