(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。
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Danielle Dax – Evil Honky Stomp (1984)
22歳くらいの時のことになりますか。私は当時、学生表現団体のようなところに所属していたのですが、この頃は、もう私自身は、あまり関わっていなかった頃で、それでも、たまに稽古場とかに遊びに行くことはありました。
ある日、稽古場に行った時に、
「オカよお…」
と、その劇団の人が話かけてきたんですね。
「この脚本見てくれよ」と。
声をかけてきたのは次の公演の演出家で(その劇団は、公演ごとに脚本家と演出家をそれぞれ内部で公募するという方式でした)、「この脚本」というのは次の公演の脚本らしいのですが、劇団内のある人物が書いたもので、1、2ページだけ読んで私は「こ、これは…」と絶句しました。
私 「小学生の書き物かよ」
相手「そうなんだよ。どうしたらいい? これ」
私 「本当にこれで舞台やんの?」
相手「決まっちゃったことだし」
小学生というか…ちょっと頭のいい幼稚園児が書いた脚本のようなもので、「大学生も幼稚園児も同じような時代だな」と感嘆しましたが、そこに音楽担当の人が来て、「なあ、オカ、何とかしてくれよ」と (私はこの人と後にバンドを組みます)。
私 「音楽でどうこうできるモンじゃないよ、これは」
音楽「どんな曲使えばいいと思う?」
しかし、私はなぜか「よし」と思いました。
「だったら、徹底的に音楽だけ良くして、観た人に音楽しか頭に残らないようにしよう」
と私は言いまして、その音楽担当の人とタッグを組むことにしたのです。
下の学年の人たちに、音楽にかなり詳しい人たちがいて、「何でもいいから、自分が『良い』と思うレコード持ってきてくれない?」と頼むと、何人かがいろいろと持ってきてくれました。
当時は、舞台用の音響はオープンリールというものに録音して編集していた時代で、作業場にオープンリールとターンテーブルを持ち込み、さまざまな音楽を聴き続けました。
オープンリールとは以下のようなもので、テープの編集は「ハサミで切って、セロテープみたいなので留める」という時代です。
持ってきてもらったアルバムの中に、ダニエル・ダックスという女性シンガーの『Jesus Egg That Wept』というのがあったんですね。それをかけた時に、最初の 1曲目で、
「舞台のオープニングはこれで決まり」
と、イントロを聴いた途端につぶやきました。
それが以下のイービル・ホンキー・ストンプ(邪悪なホンキーストンプ)という曲です。
私はこのアルバムを聴くまで、ダニエル・ダックスという人が誰だか知らなかったのですが、他の曲も秀作揃いでした。
どうでもいいですが、とてもおきれいな方です。
ダニエル・ダックスさん(当時)
その後も、この曲は今にいたるまで、よく聴く曲のひとつとなっています。
舞台ですか? そりゃもう、やはり音楽だけで内容を凌駕するのは難しかったようで、グダグダに進行して終わっていました。
そういえば、この作業のとき、年下の男の人で、「当時のソ連のテクノポップのレコード」を持ってきてくれた人がいて、これがもう最高に素晴らしい曲だったのですが、ロシア語だったこともあり、今もどうしても曲名を思い出すことができません。
当時のソ連の音楽は自由で素敵なものが多かったです。
ちなみに、この公演で私は後に sel23 をふたりで結成することになるジローさんと出会いました。