花街とか遊郭の歴史って、どの自治体も隠したがるものなんですよね。私の出身地である北海道の岩見沢市という場所も、大昔は「花街」でしたけれど、今はまったくその歴史にふれられることはありません。
12年前の In Deep の記事「町の遊郭の名残とかロシアの空のミステリーのような光を地元で見た夜のことなど」で書いたことがあります。
北海道の岩見沢という街は、「遊郭」と「賭場」と「鉄道」の北海道の発祥地だったんです。しかし、今は鉄道の発祥だけが歴史に書かれています。遊郭も賭場もどこにも出てきません。
ちなみに、私が現在住んでいる所沢市という場所も、明治から大正時代は「花街」として栄えていましたが、その歴史も公式な部分には一切出ません。良くも悪くも歴史は歴史だと思うんですけどねえ。
遊女や無宿人はどこへ 世界遺産めざす佐渡金山が置き去りにしたもの
朝日新聞 2024/07/27
鉱山近くの寺にある遊女「リカ」の墓。5歳で遊郭のあった水金町へ売られ、24歳で亡くなったという。
インドでいま開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)の会合で、新潟県の「佐渡島の金山」を世界文化遺産に登録するかどうかの審議がある。(※ その後、世界文化遺産として登録されました)
その前に会いたい人がいた。地元の佐渡市(旧相川町)が運営する相川郷土博物館の元学芸員で、2006~08年には館長をつとめた柳平(やなぎだいら)則子さん(76)だ。
自宅を訪ねると、段ボールに詰まった明治時代の古い資料を出してくれた。かつてこの街にいた遊女たちの「外出願」だ。身内の看病や自身の通院などのため出かけたいという内容が和紙に墨書きされている。
遊女と遊郭の主人らによる連名で、地元の警察署に提出された書類だという。生活に困窮したため遊女として登録したいと願い出る文書などもある。
数年前、地元の民家でふすまの下張りに使われているのが見つかり、柳平さんのもとに届けられた。「不要になった文書が警察から表具屋に払い下げられ、再利用されたんでしょう」と柳平さんは推測する。
鉱山労働者がたくさんいた相川地域には江戸時代から幕府公認の遊郭がつくられ、戦後まで営業が続いた。多いときには10軒を超える店が立ち並んだという。
働いた女性たちの多くは地元の出身だった。江戸から来た佐渡奉行は「佐渡で安いものは女と魚」と書き残した。13歳で客を取った、虐待されて死んだ。そんな記録も数多く見つかっている。
柳平さんらは、50年ほど前からこの街の遊女について調べ、郷土博物館で紹介してきた。常設展示のほか、特別展をやったこともある。この鉱山町を語る上で、避けることはできないテーマだと考えていたからだ。
「鉱山と人々の生活とのかかわりの厚みと深み。それがこの街の歴史なんです」と柳平さんはいう。
ところが今年5月に郷土博物館が耐震改修工事を終えてリニューアルオープンすると、遊女にかかわる展示はなくなった。
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