「二十代ソング」カテゴリーアーカイブ

二十代に(苦しみながら)よく聴いていた曲(14) – ホワイトハウス – リッパー・テリトリー (1981年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Whitehouse – Ripper Territory (1981)

これはですね……。1984年くらいでしたかね。当時まだ在籍していた東京の学校の生協で、月に 1度だったか、古本と古レコードのバザーがあってですね、そこでこの Whitehouse の「Dedicated to Peter Kurten (ペーター・キュルテンに捧げる)」というアルバムが  200円だか 300円で売られていて、それをジャケ買いしたのです。

もちろん、この音楽ユニットが誰かは知らなかったです。

ただ、ジャケットに描かれていたのは、ペーター・キュルテン(Wikipedia)という「デュッセルドルフの怪物」といわれていた 1920年代の連続殺人犯の写真だったのですね。

アルバムのジャケット

私は中学生の時にメンタルに異変を感じたことがあり、「ああ、オレは気が狂っちゃうんだろうなあ」と、岩見沢市の図書館に通いまして、「発狂する過程はどんなものなんだろう」と、精神医学の書籍を毎日のように読みに通う日々があったんです。

このことは、ずいぶん以前の In Deep の「チャールズ・ホイットマンの亡霊」という記事の途中でふれていますが、そのうち、読む精神医学の本がなくなってきて (田舎の図書館は専門書の数が少ない)、同じ並びの棚に「犯罪コーナー」というのがありまして、そこに、作家コリン・ウィルソンの『殺人百科』 (1963年)というのがあったんですよ。

そこに、このペーター・キュルテンの項目があったんです。こちらのどなたかの記事でちょっとふれられていますね。

「ペーター・キュルテンがジャケットかあ」と、なんとなく生協でそのレコードを買っちゃったはいいけれど、これが、もうどうしようもならない「ノイズ」で、その頃は、まだ、きちんとしたノイズはあまり聴いたことがない頃でしたので、「なんだこれは?」と思いましたけれど、同時に、当時の私は、すでにパニック障害だったんですね。

しかも、このレコードを買った時期は、梅雨時。

薄暗い気候の中で、どうにもならないノイズを聴いていて、

「オレの東京の生活はどうなっちゃうんだろう」

と思いながら、苦しみながら聴いた記憶があります。

しかし、人間の被虐性というのは、なかなかおさまらないもので、その後もホワイトハウスのアルバムを、いろいろと聴いたりしている始末でした。

確かにノイズという音楽ジャンルの代表的な人たちではありますけれど、英語版 Wikipedia を見ますと、

> ホワイトハウスは、自称「エクストリーム・エレクトロニック・ミュージック」を専門としていた。彼らは、ピーター・カーテンやデニス・アンドリュー・ニルセンといった悪名高い連続殺人犯の視点からサディスティックなセックスやレイプを描いた物議を醸す歌詞やイメージで知られていた。後期の作品では、摂食障害や児童虐待といった他の形態の暴力や屈辱の心理学を探求した。

という人たちで、「悪の思想」に貫かれていた表現でした。

まあしかし、いろいろな音楽への「耐性」をつけてくれたという意味では、思い出深いですね。

以下が、その生協で 200円で購入したアルバム Dedicated to Peter Kurten の最初の曲「リッパー・テリトリー」です。一応貼っておきますが、お聴きになる必要はまったくないです。

でも、20世紀の終わり頃からは、彼らもリズムというようなものを取り入れて、聞きやすくはなりましたけれど、それでも、やはり思想は同じものでした。

とはいえ、思想的に(あくまで「思想的に」という意味で)アンダーグラウンドを突き詰めるということがどういうことか教えてくれたものではありました。

今でも、梅雨空の下で、これを聴きながら苦しんでいた二十代前半の自分の姿を、今となっては微笑と共に思い出します。




二十代によく聴いていた曲(13) ホルガー・シューカイ – クール・イン・ザ・プール (1979年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

これは二十代の時に本当によく聴いた曲でして。

ホルガー・シューカイという人は、ドイツの CAN (カン)という、まあ著名なバンドのメンバーだった方で、この曲は CAN が解散した後の最初のソロアルバムの最初の曲でした。

1979年の曲ですが、私が知ったのは、1980年代の後半で、何の因果かカセットテープアルバムを購入して、それで聴きました。

あまりにも気に入って、ちょうど、その頃はカセットテープのウォークマンの時代でしたけれど、そこに入れて、外出する時はずっとこれを聴いていました。明るくて軽快な、すがすがしい曲でした。病んだ部分がない。

そして、曲の背後で縦横無尽に流れるテープだかサンプリングの音。

いつでも、うっとりと聴いていました。

この動画のバージョンは、私が当時聴いていたものと、少しだけアレンジが違っていて、そっちのオリジナルも聴きたいのですが、見当たりません。

先ほど見たときに、この動画の「いいね」の数が、ちょうど 666 だったのも印象的です。

ホルガー・シューカイが後に手がけた作品には、日本の音楽家のものも多くて、Phew という日本の音楽家(高校時代から好きでした)のアルバムのプロデュースもしています。

実は、このホルガー・シューカイの曲を初めて聴く何年も前に、そのプロデュース作品の Phew のアルバムを聴いていました。

以下は Phew さんのシグナルという曲ですね。




二十代によく聴いていた曲(12) チャールズ・ヘイワード – For Those In Peril On The Sea (1984年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Charles Hayward (The Camberwell Now) – For Those In Peril On The Sea (1984)

これは、二十代の中盤くらいでしたか、偶然手にした「なんかのオムニバスレコード」に入っていた曲で、それはそれは好きになりまして、ふだんもよく聴きましたけれど、舞台などでも何度も使いました。

もともと、この曲が 1860年に最初書かれた英国海軍の賛美歌だということを知ったのはずいぶんあとのことですが、賛美歌をノイズ化したものにも関わらず、それでも十分に美しい。

このユニットを主導していたチャールズ・ヘイワードという人は、英国のディス・ヒートというポストパンクバンドの中心人物だそうです。1回(もうご老人に近いとき)見たことがあります。

この曲に関しては、ノイズでもここまで美しくなるのかと感動した曲のひとつです。

以下の曲です。

そして、以下が本来のこの曲で、「永遠の父よ、救い給う 」というタイトルの賛美歌として知られています。米国海軍によるものです。




二十代によく聴いていた曲(11) あぶらだこ – Farce (1985年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

あぶらだこ – Farce (1985)


ボーカルのヒロトモ氏。

なんだかんだいって、私はこのあぶらだこの音楽に救われていまして。

1985年っていうことは、22歳前後ですかね。当時はすでに学校も中退していて、それはどうでもいいんですが、パニック障害なんていうようなものになっていてですね。何となく厄介な日々もあったり。

そんな頃に、知り合いの人が、「こんなのあるよ」と貸してくれたのが、あぶらだこのこのアルバムでした(あぶらだこには、ひとつひとつのアルバムにタイトルがついていなく、これはジャケットに木の画像が使われていたので、「木盤」とか言われていました)。

木盤のジャケット

そのアルバムの 1曲目がこの Farce (茶番とか道化芝居とか、そういう意味)という曲でした。

それでですね…。この曲を聴くと、「メンタル的に調子の悪いのが消えちゃう」ということが起きたのですよ。

「へええ」とか思って、繰り返し聴いていました。

以下の動画は、10年以上前に、私が歌詞をつけてアップしたものですが、曲はアルバムそのもののものです。

最初の「億の神が…」とあるのは、実際には「憶(記憶の憶)の神…」で私の打ち間違いなんですが、いい歌詞です。歌詞なんて、どこにもないですので、手に入れるのに苦労しました。

パニック障害の人にお勧めの曲です(いや、誰にでも当てはまるわけじゃないから)。

思い出しますと、私が人生で最後に行ったライブが、このあぶらだこの 1986年のライブハウス新宿 LOFT のライブでした。それからライブには行っていないです。今、新宿 LOFT の記録を見たら(1986年11月7日と8日)、前売り 1000円、当日 1200円だ…。

それ以来、 40年くらいライブやコンサートには行っていません。実際、私は 23歳くらいの頃からは、ライブやコンサートを含めて、娯楽を停止しました。




二十代によく聴いていた曲(10) – 映画リキッドスカイのサウンドトラック(1982年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Liquid Sky – Alien’s Theme I (1982)

二十歳を過ぎた頃だったか、当時住んでいた東京の西荻窪から歩いて行けるところに、バウスシアターという映画館がありまして、そこで、この「リキッド・スカイ」というアメリカの独立系映画を見まして。

これが、映画の内容もいいんですけれど、音楽が強烈で。

当時出始めた「デジタルシンセサイザー」というものを駆使した(と思われる)キンキンとしたサウンドが鳴り響いていて、もうそれはそれは刺激的な映画でした。

ストーリーは、何とも一言では言えないのですが、「人間の脳の中に快楽の際に出てくる物質」を求めて、小さなエイリアンがやってくるのです(エイリアンの姿は一度も出ません)。つまり、性行為をしている時とか、ドラッグで恍惚状態の人の脳から、その物質を「吸い上げるエイリアン」の話です。

しかし、実際には、この映画は SF 映画というより、ドラッグと性行為に溺れた、かなしいニューヨークの若者たちを描いた話で、どこまでもかなしい話でした。

この映画を見てすぐに、サウンドトラックを探しに行って、なかなか見つからなかったのですけれど、吉祥寺で見つけて。

それからずっと聴いていました。

以下はその映画のオープニングです。YouTube ではねられたので、某国の動画配信にアップしました。

この映画を見て以来、「こんな感じの曲を作りたいなあ」と思っていました。本当によく聴いていました。

音楽を担当していたのは、監督であったロシア人のスラバ・ツッカーマンという人で、映画の顛末は、英語版 Wikipedia などにありますけれど、「1983年の最も成功した独立系映画」ということになっています。

この映画ね、多くの人に見てもらいたいなと思うんですけれど、「もはや見られない」んですよ。

今やどこにもない。

大手を含めて、動画配信には一切ないですし、そもそも、日本語字幕つきの DVD も、VHS ビデオさえない(何万円だかで売られている中古 VHS ビデオをサイトで見たことはあります)。

昔、この映画のビデオを持っていたんですが、今は手元になく、見られない状態です。

何で見られない? 名作なのに。




二十代によく聴いていた曲(9) フォン・サムラ – ハルユンタ(1982年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。


Von Zamla – Harujänta (1982)

以前も書きましたけれど、二十代の初めの頃、いろいろな国のわけのわからないようなレコードを私のもとに持ってきて、「いいのありましたよ」という人がいまして。

彼が持ってきたアルバムのひとつが、このフォン・サムラというスウェーデンのバンドの曲で、本来は、サムラ・ママス・マンナというスウェーデンのプログレッシブ・ロック・バンドらしいですが (Wikipedia)、その別名義の「フォン・サムラ」というユニット名のアルバムを持ってきたんです。

このアルバムの最初の曲である「ハルユンタ (Harujänta)」というのに、えらく感動しましてね。二十代の最初の頃に、もう本当によく聴いていました。

あるイベントのオープニングに、この曲を大々的にかけたことがあります。

イライラしているときでも穏やかな気分のときでも、どんな気分でも、受け入れられる名曲でした。

今でも聴きますけれど、Harujänta というスウェーデン語のせいで、YouTube で検索しにくいのなんの。

「スウェーデン語なんて、世から消え去れ」と、その頃から思っていました(いい加減にしろ)。ライブ映像も残っていますね。

いい音楽はわりと永遠ですよ。




二十代によく聴いていた曲(9)アルバート・アイラー – ゴースト (1964年)

(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。

Albert Ayler – Ghosts (1964)

私は十代の頃はロックとかを中心に聴いていたとはいえ、ジャズもわりと聴いていました。

東京に出てきた後、20代の初めの頃、年上の知り合いと話していたときに、

「ジャズが好きならこんなのどう?」

と聴かされたのが、このアルバート・アイラーの曲でした。

フリージャズというのか、アバンギャルド・ジャズというのか、よくわからないですけれど、自由な感じが好きになりまして。

高校生の頃に、友人のコバヤシくんという人が、ジョン・コルトレーンの「アセンション」というレコードを持ってきまして、それを聴いて以来、「ああ、ジャズもいろいろなんだなあ」と知ってから数年後のことでした。

ともあれ、アルバート・アイラーさんのこの曲は、その後、Kan Recky を過ぎた今に至るまでよく聴いています。

こういうの今は基本的にはないですよね。