[ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが死去]という報道

 

(※) 一般的にはどうでもいい報道ではあるのですけれど、このザ・ストラングラーズというのは、私が初めて「ライブ」に行ったバンドだったんですよ。1979年のことで、16歳のときでした。43年前ですね。

探しますと、10年前の「クレアなひととき」に記事が残っていました。

「なんとなく感じてたことがはっきりとわかってきた」ことを知る 1979年から 2013年までの自分の時間

亡くなったドラマーのジェット・ブラックさんは、その1979年の札幌のライブで、音響設備に不備があり(音が出なくなった)、途中で怒って、ドラムを蹴ってステージから退席していました(あとで戻ってきました)。

しかし、思い出すと、彼らの歌詞には「今」を思わせるものが多いですね。

報道の後に、この1979年に出したアルバムの中のとても変な一曲の歌詞を翻訳します。


ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが死去

BARKS 2022/12/09

UKのロックバンド、ザ・ストラングラーズの創設メンバーの一人、ドラマーのジェット・ブラックが亡くなった。

バンドは12月8日、オフィシャル・サイトを通じ、「ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが84歳で安らかに息を引き取った。ジェット・ブラック(ブライアン・ジョン・ダフィ)は12月6日、家で安らかに亡くなった」と訃報を伝えた。

50~60年代、セミプロのドラマーとして活動していたブラックは、アイスクリームや酒類販売などのビジネスで成功後、70年代半ばに音楽活動に専念することを決め、ヒュー・コーンウェル(Vo)、ジャン・ジャック・バーネル(B)らとザ・ストラングラーズを結成。1975年にデイヴ・グリーンフィールド(Key)が加わり、バンドは1977年にデビュー・アルバム『Rattus Norvegicus』をリリースし、全英4位を獲得した。

70年代後半から80年代前半にかけ「Peaches」「Something Better Change」「No More Heroes」「Golden Brown」「Strange Little Girl」など数々のヒット曲が誕生。

メンバーは「60年代はジャズ・ドラマーだったジェットの演奏スタイルは、ザ・ストラングラーズのユニークなサウンドを形成するのに一役買った」と称えている。

バンドの柱だったジェットだが、2007年からは健康面の問題から公演に参加できなくなることが増え、2015年に事実上、引退した。

ジャン・ジャック・バーネルは「ジェットはようやく、長年の健康問題から解放された。彼は自然の力、インスピレーションだった。彼がいなかったら、ザ・ストラングラーズはなかっただろう。最高に博識な男。多くの大義を持つ反抗者。デイヴによろしく言っといてくれ」と、追悼の言葉を送っている。

バンドは2020年にキーボード・プレイヤーのデイヴ・グリーンフィールドを喪っていた。


 

ストラングラーズ – Meninblack (1979年) 歌詞

我々は破壊するためにここにいるのではない
人を獲得するためにここにいる
あなたがたを役に立つ存在にさせるために来た
我々はあなたがたを役に立つ食品にできる

我々はメン・イン・ブラック

情報は破壊できる
だから、あなたがたを玩具のようにも扱える

あなたがたには健康な家畜になってもらう
人肉は豚肉 ヒヒヒヒヒ

我々はメン・イン・ブラック

我々は人工の食品を認めない
我々は自身のためにあなたがたを育てる

最初に車を与えた
次に、殺すためにあなたがたを生き延びさせた

だからこそ最高の肉塊だけが生き残る
生きたまま食べられるほどの新鮮な肉塊が

我々はメン・イン・ブラック