三十代によく聴いていた曲(17):暴力温泉芸者 – タイトルなし(1996年)

二十代後半からロックを聴かなくなり…というか、29歳くらいの頃から全然音楽を聴いていない時期が続いたことは書いたことがありました。

そして、三十代中盤になって、ヒップホップなどというものと出会ってから、また音楽視聴生活が開花したのですけれど、その頃、レコード屋に行ったときに、変なジャケットのアルバムがあったんですね。

以下のジャケットです。

書かれてある文字を読みますと、Violent Onsen Geisha とある。

ああ、暴力温泉芸者」と何だか無意味に感動して購入した記憶がありますが、暴力温泉芸者というのは、文字通り日本の音楽家で、結局は有名な人にもなるんですけれど、中原昌也という方の一人ユニットでした。1980年代の後半からありましたかね。

ちゃんと Wikipedia にも出ている人で、

> 中原 昌也は、日本の音楽家、映画評論家、小説家、随筆家、画家、イラストレーター。1988年頃から音楽活動を始め、1990年にノイズユニット暴力温泉芸者を立ち上げ、海外公演などを通じて日本国外でも活動している。音楽活動と並行して映画評論も手がけ、1998年には小説家としてデビュー、2001年に『あらゆる場所に花束が…』で三島由紀夫賞、2006年に『名もなき孤児たちの墓』で野間文芸新人賞を受賞。

などという華々しい経歴が出ていますが、つまり「ノイズの人」だったんですけれど、このユニット名の強烈さから記憶に残り続ける人でした。

このアルバムをレコード屋で見たのは 1990年代の中盤でしたが、まだ作品を出しているのだなあと感銘しまして、購入しますと、まあ、ノイズなんですけれど、その頃、ヒップホップばかり聴いていた私には、むしろ新鮮で、「ああ、青春の音だなあ」としみじみとしたものです。

このアルバムは、すべての曲にタイトルがついていないですが、以下はそのうちのひとつを、ずいぶん前に(確かコロナの頃)に適当な映像をつけて私がアップしたものです。

これをアップしたコロナの頃は、マスクだの緊急事態宣言だので、こちらも頭がおかしくなりそうな頃でしたので、頭のおかしくなりそうな音楽はむしろ幸いでした。

映像は、ソ連の 1970年代の映画『ざくろの色』(なんとなく持っていました)から適当に抜粋して、色などを過度に修飾したものです。監督の名前をどうしても思い出せなかったのですが、「セルゲイ・パラジャーノフ」という名前だということを、半日くらいかけて思い出しました。

暴力温泉芸者 – The Midnight Gambler -Track3 (1996)

どこからどう聴いてもノイズですが、私が十代二十代を過ごした中で、ノイズは他のさまざまな音楽ジャンル、それはロックとかジャズとか沖縄民謡とか歌謡曲とか浪曲とか(浪曲までかよ)と変わらないほど影響を受けたものです。

でも、やっぱり変な音楽ですよね(苦笑)。