フランス政府が崩壊





フランス政府は再び崩壊した。なぜこのような事態に至ったのか、そして今後どうなるのか?

CNN 2025/09/07

France’s government has collapsed again. How did we get here and what’s next?

フランスの首相は、信任投票で敗北して政権が倒れ、国が新たな政治危機に陥ったことを受けて辞任した。

フランソワ・バイルー氏は火曜日 (9月9日)、エマニュエル・マクロン大統領に辞表を提出し、大統領はこれを受理した。前日には、バイルー氏が膨れ上がるフランスの財政赤字を抑制するための不人気な計画を強行しようとしたことを受け、議員 573人のうち 364人が反対票を投じていた。これは必要な 280票を大きく上回る数字だった。

エリゼ宮によると、マクロン大統領は「近日中に」後任を任命する予定で、2年足らずで 5人目の首相となる。

バイルー氏は解任される前に、自身を解任してもフランスの課題は解決しないと警告していた。「政府を倒す力はあっても、現実を消し去る力はない」と議員たちに語った。「現実は容赦なく続く。支出は増え続け、既に耐え難い負債の負担は、さらに重く、さらに高くつくことになるだろう」

マクロン大統領は今、フランスを金融の泥沼から抜け出すという課題に直面している。

なぜフランス政府は崩壊し続けるのか?

この混乱の発端は、マクロン大統領が昨年、総選挙を急遽実施するという劇的な決断を下したことに遡る。

2024年6月の欧州議会選挙で極右政党「国民連合(RN)」が目覚ましい成功を収めたことに刺激を受け、大統領は議会選挙に賭けた。しかし、この賭けは裏目に出て、マクロン大統領率いる中道派連合は極右と極左に議席を失い、フランスは分裂した国民議会と事実上統治不能状態に陥った。

マクロン氏は次に何をするのだろうか?

フランスのことわざに「同じ原因は同じ結果を生み出す」というのがある。マクロン氏にとって、妥協を仲介できる首相を見つけられない限り、歴史はまさに繰り返される危険性をはらんでいる。

問題は、3か月から 9か月の任期で失敗した中道派首相が 3人いる後、野党が新たな首相にチャンスを与える気がないことだ。

つまり、マクロン氏は政治的に板挟みになっている。極左は辞任を求め、極右は早期の総選挙を要求し、主流派の左派と右派は合意に達することができないままである。

パリに拠点を置くシンクタンク、モンテーニュ研究所の上級アナリスト、ドミニク・モイシ氏は、第五共和政においてこれほど深刻な行き詰まりの瞬間を思い出せないと語る。

「ド・ゴールは暗殺未遂事件を乗り越え、アルジェリア戦争にも巻き込まれ、1968年5月のスローガンは『フランスは退屈だ』(La France s’ennuie)だった。しかし今、フランスは不満と激怒に満ち、エリート層への憎悪に満ちています」と彼は CNN に語った。

「政権交代は避けられないように思えますが、それがどのように起こり、誰がその役割を担うのか、私には見当もつきません。私たちは、もはや機能しないシステムと、誰も想像できないシステムとの間の移行期にあります」




紅海の複数の国際海底テーブルが切断される





マイクロソフト、紅海ケーブルの損傷によりAzureサービスが影響を受けると発表

Bloomberg 2025/09/07

Microsoft Says Azure Service Affected by Damaged Red Sea Cables

マイクロソフトは土曜日 (9月6日)、紅海の複数の国際ケーブルが切断されたことを受けて、同社のクラウドプラットフォーム「アジュール」の顧客が遅延の増加を経験する可能性があると発表した。

同社はオンラインに掲載した状況更新情報で、アジアまたはヨーロッパを起点または終点とする中東経由のトラフィックに影響が出ていると述べ、エンジニアリングチームが状況の緩和に取り組んでいると付け加えた。

この通知では、ケーブルがどのように切断されたかについては言及されていない。

「海底光ファイバーの切断は修復に時間がかかることがあるため、その間、顧客への影響を軽減するために、継続的に監視、再調整、ルーティングの最適化を行っていきます」とマイクロソフトは述べた。

紅海は、エジプトを経由してヨーロッパとアフリカ、そしてアジアを結ぶ重要な通信ルートだ。イエメンのフーシ派がこの地域の船舶への攻撃を続けているため、この地域の海底ケーブルの修復は困難を極める可能性がある。




二十代によく聴いていた曲(86)The Goo – Minded(2000年)

The Goo – Minded (2000)

前回のこのコーナーの投稿で、二十代の終わりくらいから、全然音楽に興味を持てなくなってしまったことを書いてしまったんですけれど、しかし一方で、世には「ジャンルやカテゴリー」があふれてきていまして、テクノやヒップホップやエレクトロニックとか、そういう中から、いろいろとまた統合だの、新たな何とかだのがあったのがその時代だと思います。

その後、しばらくしてからですが、ボーッと、「何か、ヘエ、と感心した曲があったなあ」と思い出していましたら、この The Goo というスイスだかどこだかのユニットの曲を聴いて、ああ何かいいなと思ったことを思い出しました。

吉祥寺のディスクユニオンだかタワーレコードだか、どこかでのジャケ買いでした。

Goo – Minded

もっと以前の曲だと思っていましたけれど、クレジットを見ると 2000年で、もう私は二十代どころではないです。バリバリの三十代ですね。

まあ、この西暦 2000年前後はいろいろありました。フランスのミュージシャンというか DJ というのか、DJ CAM という人の 2000年のアルバム Loa Project というのも、誰だか知らないままのジャケ買いでしたけれど、オシャレで、かつ、どこか暴力的でした。

その頃から、数年ぶりに音楽を聴くことにまた意欲が出てきたのでした。

DJ CAM – Millenium (2000)

もう心は完全にロックから離れていましたけれど(約 10年くらいロックは聴かなかったのです)、ジャンルはあまり関係ないですので。音楽は音楽です。




スーダンの土砂崩れでひとつの村の住人のほぼ全員が巻き込まれ、1,000人以上が死亡の恐れ





スーダンの土砂崩れで村全体が壊滅、1,000人以上が死亡の恐れ

Mirror 2025/09/03

Sudan landslide wipes out entire village as more than 1,000 feared dead

戦争で荒廃したスーダンでは、村全体を壊滅させた壊滅的な土砂崩れにより、少なくとも 1,000人が死亡したとみられている。

8月下旬の豪雨の後、タラシン集落は災害に見舞われた。数日間の豪雨により地盤が緩み、マラ山脈の斜面が崩壊した。

スーダン解放運動指導者のアブデルワヒド・モハメド・ヌール氏は、国連と国際援助機関に対し、遺体収容への支援を緊急に要請した。

彼はこう述べた。「最初の情報によると、タラシン村の住民全員が死亡したとみられ、推定 1000人以上。生き残ったのはたった一人だけだ」

スーダンで近年最悪の自然災害の一つとなったこの災害を受け、同村は「完全に破壊された」と同団体は主張した。ダルフール州知事はこの状況を「人道的悲劇」と表現した。

マラ山脈のニュース局が公開したビデオ映像には、山の尾根の間の平坦な一帯と、被災地を捜索する救助隊の姿が映し出されている。

この出来事は、2023年4月に国軍と準軍事組織の緊急支援部隊との敵対行為が本格的な戦闘に突入して以来、首都ハルツームで始まり全国に広がったスーダンを支配してきた残忍な内戦を背景に展開している。




二十代によく聴いていた曲(85)Coil ~ Windowpane(1991年)

Coil ~ Windowpaneo (1991)

1990年前後というのは、あくまで私にとっての感覚ですが「アンダーグラウンド音楽が消えていく時期」でした。

このコイルというバンドも、20代の初め頃に知って、よく聴いていた頃は、まあ…ノイズなのか実験音楽かわからないまま聴いていたんですけれど、この Windowpane という曲が入った 1991年のアルバムは、明確にリズムへの回帰があった頃でした。

この 1990年前後というのは、「それまでアンダーグラウンド的だったリズムサウンド」が大衆音楽、特にダンスやクラブミュージックとして、世界(特に西側社会)に広がっていった時でもありました。

「ハウス」なんて言葉も一般的になったりしていて、まあ、私はクラブなどに行くことはない人でしたけれど、「リズムだけの音楽」が世界中に広がってぃった時でした。

そして、同時に「音楽の大量生産」が始まった時でもありました。どれが誰の何という曲かわからないほど、似たような音楽が世界中に何万曲も拡大していったクラブ音楽時代の始まりでした。

このコイルの Windowpane は実に見事な曲ですけれど(超低音のベースが素晴らしいです)、同時に、この 1990年前後というのは、私が音楽に興味を急速に失っていった時期でもありました。

Coil ~ Windowpane(1991)

この時期には、その後、大変な人気を誇ったエイフェックス・ツインという英国の人だとか、いろんな人が台頭した時期で、ヨーロッパでは、「ベルギーテクノ」なんていうカテゴリーが出てきたときでもありました。

ベルギーテクノも今聴けば、それぞれ個別ではいいのですけれど、何しろ「似たようなものが何千もある」世界となってしまって、次第に音楽から離れていった時期でした。

ベルギーテクノの Pulse – Powerhouse (1990)

その後、数年間(おそらく生まれて初めて)音楽にあまり興味のない時期を過ごしたのですね。

1990年代後半になって、スクラッチミュージックに刮目したときまでの数年間でした。この間に、私は二十代から三十代へとなっています。