(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。
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Jeff Beck – Led Boots (1976)
以前もどこかで書いたことがあるような気もするんですけれど、北海道の高校生だった頃に、私は他の学校の人たちのバンドに入っていたんです。
そのキッカケは…北海道の岩見沢という場所で、高校生たちのバンドかなんかが集まるフェスティバルかなんかで、私は一緒にやったのが誰だか覚えてもいないんですが、キーボードで参加していたんです。
そのコンサートが終わり、それが行われた岩見沢の市民会館というところの食堂で、一人でカレーライスを食べていたんですね。カレーライスが一杯 200円という時代で、ラーメンも 200円でした。ただし、カツ丼は…(価格の詳細はいいから)。
カレーを一人で食べていると…それにしても、ライブの後に一人で食べていたということを考えると、本当に縁のない人たちとのライブだったのかもしれないですが、よく覚えていません。
とにかく、カレーを食べていると、前に、タンクトップの筋肉隆々の男性が立っているんです。髪型は、GIカットか、あるいは昔のヤクザの髪型でしょうか。
その人「ああ、オカくん?」
私 「いやどうも、すみません、お金はないんですよ、カツアゲなら他の人に…」
その人「そうじゃなくて」
私 「ああ、違うの? なんだよ、誰?」
その人「オカくんさ、さっきのステージでキーボード弾いてたでしょ」
私 「ああ、まあ。そもそも、なんで名前知ってる」
その人「人にきいた」
私 「ルックスから何から全体的に、あんたコワいぞ」
その人「いやまあ、うちのリーダーがさ、あの演奏が気に入ったって言ってさ」
私 「だから、金はないって言ってるだろ」
その人「カツアゲじゃねえよ」
私 「あんた、こわいし」
その人「だからさ、リーダーがさ、話をしたいって」
私 「リーダーって誰だよ」
その人「今日は用事があるから車で帰ったけどさ」
私 「あんたら高校生だろ?」
その人「ああ」
私 「いい加減にしろ、高校生が車で移動するのは」
とか何とか言いながら、結局、その人と北海道の美唄(びばい)というところまで行ったのです。
彼は、バンドのドラムの人でした。
その人「車、待たせてあるから」
私 「だから、高校生がいい加減にしろ」
それで、そのリーダーの人と会いまして、彼が言うには、「いいキーボードの人がほしいんだよ」と。
私 「いやあ、オレは訳のわからない人たちとは付き合いたくないし」
と言うと、そのリーダーの人が何か持って来て、「これ知ってる?」と言うのです。
もちろん知っていて、当時の私にとっては伝説のシンセサイザーであるローランド SYSTEM-100 というものでした。以下のシンセサイザーです。
ROLAND SYSTEM-100 Model-101
私 「これ…」
リーダー「バンド入ってくれれば、これあげるよ」
私 「あげる…? えーと、あげるというのは、金銭的な授受がない状態で物品が譲渡されるということですか?」
リーダー「よくわかんないけど、バンド入ってくれれば、これあげるよ」
私 「…………………」
リーダー「だって、買ったのはいいけど、結局使い方わからなくて」
私 「あんた、これいくらするのか知ってるのかよ」
リーダー「買ったから知ってるよ」
私 「あー…では、バンドに入れさせていただきます」
と、物質的な欲望に負けて、そのバンドに入ることになったのでした。
しかし、時代でいえば、そんな大した金額ではないのかもしれないですけれど、数万とかではないですからね。
手に届かない金額のものだったんですよ。
このリーダーは、地元の不動産会社の社長の息子で超ボンボンだということを後に知るのですが、でも、いい人でしたねえ。純粋な人でした。お金のことは全然わからなくて、好きに使いまくるボンボンでしたけれど。
そのバンドが最初にやったライブの冒頭の曲が、ジェフ・ベックさんのレッド・ブーツだったんですね。
結構、キーボードには難しい曲で、夜中にもずっと練習していました。というより、そもそもシンセサイザーの使い方を知るためにずっと操作していました。徹夜とかよくしてましたしね。
以下はオリジナルの曲です。今でも懐かしいです。
私は、その後、東京に出ることになって、バンドと離れます。メンバーとは全員、音信不通です。
彼らはみんな、いわゆる不良の高校みたいに言われていた学校の人たちでしたけれど、みんな家は裕福だったし、性格も穏やかな人ばかりでした。今もおそらく、楽しく生きていると思います。
これに限らず、音信不通の人は多いですね。携帯のない時代でしたので、ある意味でこれが普通です。