(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。
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ガセネタ – 宇宙人の春 (1980)
中学生くらいから「いわゆるパンク」というようなものは聴いていたんですけれど、まあ、いろいろと聴いていたようには思いますけれど、決定的に、
「ああ、パンクだ」
と思わせてくれた曲が、このガセネタというバンドの「宇宙人の春」という曲でした。
最初に曲を載せておきますが、十代の私には強烈な印象でした。
このガセネタというバンドのフロントマンの山崎春美という人は、JAM という自販機雑誌の主要編集者でした。
実は、ガセネタの音楽と知り合う前に、高校生の頃だったか、この自販機本の JAM を知っていました。
詳しいことは、2019年11月の以下の記事にあります。
・創造神Jamに16歳で救われた私が40年後に気づいたこと
In Deep 2019年11月23日
このガセネタというバンドの人物と、JAM の編集者が同一だったことを知るのは少し後ですが、今から 12年位前だと思いますが、その山崎春美さんの若い頃の文章をまとめた書籍が出たことがあります。以下の本です。
書き下ろされた前書きは以下のようなものでした。
罪を償う前に
「現代では生者と死者が対立している」というヘルマン・ワイルのことばを、松岡(正剛)さんから聞いた。もはや三十数年も前の昔話だ。その単なる数学者にとどまらない偉人の、あきらかにボクの聞き囓りでしかない一言は、実際には、「自然の最も奥深い謎のひとつは死んでいるものと生きているものの対立である」という。
コトバは飛来し付着する。または旋回しウィルスみたいに伝染する。伝播し憑依し唾も飛ばすし口角も泡立つ。不本意に引用されては変形を余儀なくされ、すり減っては陳腐化する。やたら無駄遣いされたあげく、打っちゃられちゃったりもしよう。その、もともとの物理学や生物学とは無関係に、そして決して神秘学やオカルトにも日和らず与せず、上記のワイル先生の至言は、ボクの「原点」となった。
この本が出た当時、「相変わらずだなあ」と思いました。
山崎春美という人は、1970年代当時に、意味の通らないレトリックを駆使して、私たちのような「概念的にどう生きればいいのかわからない若者たち」を魅了していたのです。
でもまあ…山崎春美さんの、得体の知れない理論に出会わなければ、私は苦境に陥っていたのかもしれません。
「世の中は訳がわからない」という中央の点を知ることができただけで幸いでした。
先ほどの「宇宙人の春」の歌詞を掲載しておきたいと思います。
ガセネタ – 宇宙人の春 (1980年)
空中に沈む見慣れない変なやつ
いつも気づかれない
誰からも素通り
巨大なメガホンを口に当てて
なんだか訳の分からないたくさんのことを
上からばあばあ喚いている
これではまるで雑踏の喧騒だ
もう止めろ
怒鳴るのはたくさんだ
つんぼになる
おしになる
かたわになる
手足のないだるま
のっぺらぼうのふぐ
ステンレスのお腹
三角尖り帽子
一度でも口から離したら
それっきりでおしまいに死んでしまう哺乳瓶の口を銜えて
ただ押し黙ったまま壁を向いて何光年も座り続けているだけ
何もしない
何も出来ない
もはや壁はない
けれど深い空白が閉じている
世界の結び目はつんつるてんに滑る
震える指先
心のブタをクスリの散弾銃でめった打ちに
がんじがらめの眠たいようなクラクションのざわめきに起こされて
凶暴なやるせなさが本気で床の間に座り込む
生きたくないから 突っ立っている
食べたくないから 引きずっている
眠れないから 咳き込んでいる
死にきれないから つばを吐く
交わらないから 腐っていく
遊ばないから 突き飛ばされる
やりきれないから 笑っている
続かないから 壊している
人間だらけの星屑砂漠に
どこからも見えない空中のお前






