アメリカ西海岸の天然ガス価格が突然 5倍から 10倍に上昇。市場としてはほぼ崩壊状態

 

12月8日の北カリフォルニアのスポット天然ガス価格

naturalgasintel.com

(※) 理由はよくわからないですが、西海岸としては珍しい「冬の嵐」が近づいていることと、あとは、基本的に圧倒的に天然ガスの在庫が少ないことを米ゼロヘッジは述べています。

コンサルティング会社の CEO は、以下のように述べていました。

「このようなことは、これまでに一度もありませんでした。さまざまなことが同時に起こっていて、それらはすべて同時に崩壊しています」

ロシアからもウクライナからも公式発表がなされないままの「正確な兵士の死者数」

 

(※) ウクライナのキエフ・ポストの記事です。


ウクライナはロシアの侵略で何人の軍隊を失ったのか?

KYIV POST 2022/12/02

How Many Troops has Ukraine Lost in Russia’s Invasion?

ウクライナでの現在の紛争の最大の謎の 1 つは、これまでの戦闘で死亡または負傷した兵士の数だ。

ウクライナ、ロシア双方とも公式の数字を発表することに消極的であり、戦争が 1か月にまで長引くにつれて、一般大衆は知ることがほとんどなかった。

最近のニュースは?

ロシアが2月24日に本格的な侵攻を開始して以来、12月1日までに、13,000人のウクライナ軍が殺害されたと主張されていると、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領の上級顧問は述べた。

「我々は参謀本部からの公式の見積もりを持っています。それらは 10,000 から 13,000 の死者の範囲です」と、上級顧問ミハイロ・ポドリャク氏はウクライナの Channel 24 に語った。

これは正確なのだろうか?

我々としては、この声明を信じる以外の方法がないが、難しいところだ。 ポドリャク氏は、ゼレンスキー大統領が「適切な時期が来たら」公式データを公開するだろうと付け加えたが、それがいつになるかについては何も示さなかった。

ウクライナにとっては、士気の問題があり、国民と軍隊の両方の間で、ウクライナの士気は高いままだが、戦争が長引くにつれて必然的に苦しんでいる。

したがって、ウクライナ当局は、ロシアの侵略に対する国の抵抗に悪影響を与える可能性があることを恐れて、公式の死傷者数を発表することに消極的だった。

双方は今まで公式に何を言ったのか

6月、ロシア軍が最東端のルハンシク地域を完全に制圧しようと戦ったとき、ゼレンスキー大統領は、ウクライナは「1日に 60人から 100人の兵士が戦死している」と述べた。

彼は合計の数字を出さなかったが、この数はポドリャク氏が与えた13,000人の見積もりとほぼ一致している可能性がある。

ロシアの公式数値は、ほぼ確実に現実よりも大幅に低い。セルゲイ・ショイグ国防相は 9月、それまでの約 7か月間の戦闘で 5,937人のロシア軍兵士が死亡したと述べた。

これがこの問題に関するロシアからの最後の公式声明だ。

国際的な見積もりは?

米軍トップのマーク・ミリー将軍は先月、10万人以上のロシア軍人がウクライナで死亡または負傷しており、ウクライナ軍も同様の犠牲者を出している可能性が高いと述べた。

個別に確認できなかったこれらの数字は、米国政府によるこれまでで最も正確なものだ。

過去数十年のヨーロッパで最悪のこの戦闘で、何千人ものウクライナの民間人も殺されている。

オーストラリアで12月の観測史上最低気温が記録される (真夏に -7℃)

 

12月9日のオーストラリアの気温

weatherzone.com.au


2022年12月9日はオーストラリアの歴史的な日となった

Extreme Temperatures Around The World 2022/12/09

Just in: 9 December 2022 is a historic day in Australia

2022年12月9日はオーストラリアの歴史的な日となった。

ペリッシャー バレー (海抜 1738 m) の観測点の気温は -7.0℃ に下がり、これは 12月としては、シャーロットパス で、1999年12月20日に観測された気温を更新する記録で、夏全体の気温としても、1979年2月17日にペリッシャー バレー で記録されたオーストラリア大陸の最低気温と並ぶ。

ストラングラーズ関係ラスト。最も好きだった「夜間外出禁止令」という44年前の歌

 

この歌は40年以上前の曲ですけれど、2020年に思い出しまして。

歌詞で、

Stay in your homes

と繰り返されるのですよ。

ロックダウン時の「ステイ・ホーム」ですね。

いい加減にしろと思っていた頃です。

1978年の歌です。

戦争を示しているのかどうか知らないですが、歌は、イギリスもドイツも侵略されることを描いています。


ストラングラーズ – Curfew (1978年

敵はすべての力を切り捨てた
テムズ川以南のロンドンは侵略される
ウェストミンスターは完全に破壊される

政府は逃げた
政府は、スコットランドに逃亡した

グレーがブラックホワイトになる
彼らの言うことは本当か?
彼らは昼を夜に変える
黒と白になる

政府は宙の中へ逃げた
我々の軍隊の残りはスコットランド人に加わった
北を越えて防御するために

家にいろ
家から出るな
夜間は通りに出るな

グレーがブラックホワイトになる
彼らの言うことは本当か?
彼らは昼を夜に変える
黒と白になる

ドイツは国境を守れなかった
ドイツはアメリカンドリームで柔らかくなった
シベリアの男たちはバキュームを届けた

新しい種類の自由
がんじがらめという名の新しい自由
たぶん俺は何もすることがないときに愛を見つけるだろう

グレーがブラックホワイトになる
彼らの言うことは本当か?
彼らは昼を夜に変える
黒と白になる

「ヨベルの年」って 43年前に聴いてた模様。ストラングラーズの歌で

 

この前の記事で、私が初めてライブに行ったストラングラーズというバンドのオリジナルのドラマーの方が亡くなったことを取りあげました。

[ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが死去]という報道

当時聴いていたストラングラーズの歌を何曲か聴いていたんですけれど、「ヨベルの年 (jubilee)」という言葉の入った歌があることに気づきました。

「ヨベルの年」は……今がそうなのかどうなのかは曖昧なのですけれど、その可能性が高いとは思われます。以下の記事などに書かせていただいています。

つい先日までユダヤ暦の「シュミータ」の期間で、そして今、49年サイクルの「ヨベルの年」に入った可能性があることを今にして知る。……荒れそうです
In Deep 2022年10月1日

「ヨベルの年の概念自体は16歳の頃に耳にしていたのだなあ」と今知りました。

その歌です。

このレコードジャケットの真ん中にいる方が亡くなったジェット・ブラックさんです。事業が成功してからバンドに入ったこともあり、メンバーの中でも飛び抜けて高齢でした。

 

ストラングラーズ – Do You Wanna (1979年)


木こりと結婚したいか?
凍死したいか?
ビューティクイーンになりたいか?
そして王国を治めるとか?

すべての囚人を解放しろ
ヨベルの年なのだから

会社社長と結婚したいか?
仕事に行きたいか?
ビューティクイーンになりたいか?
そして王国を治めるとか?

すべての囚人を解放しろ
ヨベルの年なのだから

お金と結婚したいか?
お前自身の体を使いたい?
それとも家にいたいか?
可能な範囲でか?

感動したいか?
新しいことをしたいか?
試験を壊したいか?
穴が開いてる俺のマフラーを修理したいか?

[ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが死去]という報道

 

(※) 一般的にはどうでもいい報道ではあるのですけれど、このザ・ストラングラーズというのは、私が初めて「ライブ」に行ったバンドだったんですよ。1979年のことで、16歳のときでした。43年前ですね。

探しますと、10年前の「クレアなひととき」に記事が残っていました。

「なんとなく感じてたことがはっきりとわかってきた」ことを知る 1979年から 2013年までの自分の時間

亡くなったドラマーのジェット・ブラックさんは、その1979年の札幌のライブで、音響設備に不備があり(音が出なくなった)、途中で怒って、ドラムを蹴ってステージから退席していました(あとで戻ってきました)。

しかし、思い出すと、彼らの歌詞には「今」を思わせるものが多いですね。

報道の後に、この1979年に出したアルバムの中のとても変な一曲の歌詞を翻訳します。


ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが死去

BARKS 2022/12/09

UKのロックバンド、ザ・ストラングラーズの創設メンバーの一人、ドラマーのジェット・ブラックが亡くなった。

バンドは12月8日、オフィシャル・サイトを通じ、「ザ・ストラングラーズのドラマー、ジェット・ブラックが84歳で安らかに息を引き取った。ジェット・ブラック(ブライアン・ジョン・ダフィ)は12月6日、家で安らかに亡くなった」と訃報を伝えた。

50~60年代、セミプロのドラマーとして活動していたブラックは、アイスクリームや酒類販売などのビジネスで成功後、70年代半ばに音楽活動に専念することを決め、ヒュー・コーンウェル(Vo)、ジャン・ジャック・バーネル(B)らとザ・ストラングラーズを結成。1975年にデイヴ・グリーンフィールド(Key)が加わり、バンドは1977年にデビュー・アルバム『Rattus Norvegicus』をリリースし、全英4位を獲得した。

70年代後半から80年代前半にかけ「Peaches」「Something Better Change」「No More Heroes」「Golden Brown」「Strange Little Girl」など数々のヒット曲が誕生。

メンバーは「60年代はジャズ・ドラマーだったジェットの演奏スタイルは、ザ・ストラングラーズのユニークなサウンドを形成するのに一役買った」と称えている。

バンドの柱だったジェットだが、2007年からは健康面の問題から公演に参加できなくなることが増え、2015年に事実上、引退した。

ジャン・ジャック・バーネルは「ジェットはようやく、長年の健康問題から解放された。彼は自然の力、インスピレーションだった。彼がいなかったら、ザ・ストラングラーズはなかっただろう。最高に博識な男。多くの大義を持つ反抗者。デイヴによろしく言っといてくれ」と、追悼の言葉を送っている。

バンドは2020年にキーボード・プレイヤーのデイヴ・グリーンフィールドを喪っていた。


 

ストラングラーズ – Meninblack (1979年) 歌詞

我々は破壊するためにここにいるのではない
人を獲得するためにここにいる
あなたがたを役に立つ存在にさせるために来た
我々はあなたがたを役に立つ食品にできる

我々はメン・イン・ブラック

情報は破壊できる
だから、あなたがたを玩具のようにも扱える

あなたがたには健康な家畜になってもらう
人肉は豚肉 ヒヒヒヒヒ

我々はメン・イン・ブラック

我々は人工の食品を認めない
我々は自身のためにあなたがたを育てる

最初に車を与えた
次に、殺すためにあなたがたを生き延びさせた

だからこそ最高の肉塊だけが生き残る
生きたまま食べられるほどの新鮮な肉塊が

我々はメン・イン・ブラック