なお、ここで何度も出てくる「アナタナ」という言葉は日本語ではなじんでいないものですが、Grokはよく使います。
意味としては「オルタナティブ」というような意味のようで、メジャーとは異なるというような意味でしょうか。Grokの口癖の「めっちゃ」と「アナタナ」はちょっと多用しすぎですね。
Grokへの質問:しかし、思えば、1980年代のDAFとかTest Deptとかキャバレー・ヴォルテールとかも基本的には「リズム」で人を楽しませる、あるいはノセるという曲調ではあったわけで、あの頃は(アナログを含めて)デジタルが使われていたわけですけれど、2000年代になって、人をノセるものの中にスクラッチのような、比較的純粋なアナログが台頭してきたことは面白いですね。Whitehouseでさえ、後年はリズムを曲に取り入れていましたし、「リズムに乗る」という人間の姿勢は、ポップ音楽全体に繋がるもののようで、これが人間の本性なのかもしれません。ただ、「なぜ人間がリズムに乗るのか」という根本的な問いへの答え(他の動物は基本的にはリズムに乗らない)は学問ではまだわかっていないようですが。
Grokの回答:
めっちゃ面白い視点ですね!1980年代のDAF(Deutsch Amerikanische Freundschaft)、Test Dept、Cabaret Voltaireといったバンドのリズム重視の音楽から、2000年代のスクラッチ文化の台頭、そして「リズムに乗る」人間の本性まで、音楽とリズムの進化をたどるこの考察は、めっちゃ深いテーマに繋がります。Whitehouseのような極端なノイズアーティストが後年リズムを取り入れた点や、「なぜ人間はリズムに乗るのか」という未解明の問いも含めて、以下で掘り下げてみます!
1. 1980年代の「リズム」でノせる音楽
確かに、1980年代のDAF、Test Dept、Cabaret Voltaireは、リズムを核にして聴衆を「ノせる」音楽を作っていましたね。それぞれのスタイルは異なりますが、リズムの力で身体的な反応を引き出す点で共通しています:
・DAF:ミニマルで硬質なエレクトロビートと、挑発的なボーカルが特徴。『Alles Ist Gut』(1981年)の「Der Mussolini」のような曲は、シンプルかつ反復的なリズムでダンスフロアを支配し、EBM(Electronic Body Music)の原型を作りました。アナタナシンセとシーケンサーを駆使し、デジタル技術の初期の可能性をリズムで表現していました。
・Test Dept:インダストリアルなパーカッション(金属や廃材を叩く)と、政治的なメッセージを融合。『Beating the Retreat』(1984年)では、工場の機械のようなリズムが、身体を揺さぶる力を持っていました。アナタナドラムとテープループを多用しつつ、デジタル技術も徐々に取り入れていました。
・Cabaret Voltaire:初期のノイズや実験性から、『Micro-Phonies』(1984年)ではファンクやダンスビートを取り入れ、リズムで聴衆を惹きつける方向にシフト。デジタルサンプラーやシンセ(Roland TR-808など)を使い、インダストリアルとダンスミュージックの橋渡しをしました。
これらのバンドは、アナタナとデジタルのハイブリッド技術を駆使し、リズムを通じて「身体性」を刺激することで、ポップやダンスミュージックの要素を取り入れつつ、前衛性を保っていました。リズムは、実験音楽を大衆に近づける「架け橋」だったわけです。
あなたが指摘するように、この「ノせる」力は、ポップ音楽全体に通じるもので、DAFのミニマルビートやTest Deptの機械的なパーカッションは、後のテクノやハウスにも影響を与えました。
2. 2000年代のスクラッチ文化と「アナタナ回帰」
2000年代に、DJ Craze、Q-Bert、Mix Master Mikeらのターンテーブリズムが、スクラッチという「純粋なアナタナ」な手法でリスナーをノせる現象は、確かに面白い対比です。1980年代はデジタル技術(MIDI、デジタルシンセ、サンプラー)が音楽制作の中心に躍り出た時代でしたが、ターンテーブリズムは、ビニールレコードとターンテーブルという「古い」道具を再利用し、リズムと身体性で新たな驚きを生み出しました。
スクラッチが「リズムでノせる」力を持っていたのは、以下のような要素によるものです:
・即興性と身体性:スクラッチは、DJの手とターンテーブルの物理的な動きに依存し、リズムをリアルタイムで作り変える。即興のリズム操作(crab scratchやflareなど)は、デジタルシーケンサーでは出せない「人間の揺らぎ」を生み、聴衆をノせました。
・再発掘のリズム:スクラッチは、過去のレコードのドラムブレイクやフレーズを「再発掘」し、それを新たなリズムに変換。たとえば、Q-Bertがファンクのブレイクをスクラッチで刻むと、元のリズムが変形され、予測不能なグルーヴが生まれる。この「ノせる」力は、過去のリズムを現代の文脈で蘇らせる魔法でした。
・ライブパフォーマンスのエネルギー:DMCバトルやInvisibl Skratch Piklzのライブでは、スクラッチの視覚的・聴覚的なパフォーマンスが、観客の身体を直接揺さぶりました。デジタル音楽がスタジオ中心になる中、スクラッチは「生の」リズム体験を提供したんです。
この「アナタナ回帰」は、デジタル技術の精密さや均質性に対する反動だったのかもしれません。あなたが愛好する「手作り感」が、スクラッチの身体性や不完全さに強く表れていたわけで、2000年代のターンテーブリズムは、デジタル時代に「人間らしいリズム」を取り戻すムーブメントだったと言えるでしょう。
3. Whitehouseとリズムの取り入れ
Whitehouseのようなパワエレ(パワーエレクトロニクス)のアーティストが、後年リズムを取り入れたのは、めっちゃ興味深い例ですね。Whitehouseは、1980年代の『Birthdeath Experience』(1980年)や『Erector』(1981年)では、耳を劈くノイズと叫び声で、リズムやメロディを徹底的に拒否していました。
しかし、2000年代の『Bird Seed』(2003年)や『Asceticists 2006』(2006年)では、リズミカルなパルスやビートが導入され、ノイズに「ノせる」要素が加わりました。たとえば、「Why You Never Became a Dancer」のような曲では、機械的なビートが繰り返され、聴衆の身体に訴えかける構造が見られます。
これは、Whitehouseが意図的にポップやダンスミュージックの要素を「皮肉」として取り入れた側面もありますが、同時に、リズムが持つ「人間を動かす力」を認めていた証拠かもしれません。ノイズミュージックが極端な反音楽性を追求する一方で、リズムを導入することで、聴衆との新たな関係を築こうとしたわけです。このシフトは、あなたが言う「リズムに乗る」人間の本性が、どんなに前衛的な音楽でも逃れられない普遍性を持っていることを示しています。
4. 「リズムに乗る」人間の本性
「リズムに乗る」ことがポップ音楽全体に繋がる、というあなたの洞察はめっちゃ鋭いですね。DAFのミニマルビート、Test Deptの機械的なパーカッション、Q-Bertのスクラッチ、Whitehouseの後年のリズミカルなノイズ—これらはすべて、リズムを通じて人間の身体や感情を動かす力を持っています。
ポップ音楽が、ビートやグルーヴで聴衆を「ノせる」ことを重視するのは、この本能的な反応を活用しているからでしょう。人類学や神経科学の視点から、リズムへの反応は以下のような要因に関連するとされています:
・進化的な起源:リズムは、集団での協調行動(狩猟、儀式、ダンス)に役立った可能性があります。たとえば、太鼓や足踏みのリズムは、共同体の結束を高め、身体的な同期を生む。現代のダンスフロアやライブ会場での「ノリ」は、この進化的な遺産の名残かもしれません。
・脳の仕組み:脳の運動野や聴覚野は、リズムに敏感で、ビートに合わせて身体を動かすことでドーパミンが分泌され、快感を得ます(これが「ノせる」感覚の源)。fMRI研究では、ビートを予測し、同期する脳の活動が確認されています。
・社会的結束:リズムに合わせて動くことは、集団内での信頼や一体感を高めます。DAFのビートに合わせて踊るクラブの群衆や、Test Deptのライブでのエネルギーも、この社会的結束の現れです。
しかし、ご指摘の通り、「なぜ人間がリズムに乗るのか」の根本的な問いは、学問的に完全には解明されていません。特に、他の動物(一部の鳥やサルはリズムに反応するが、犬や猫はほぼ無反応)と比較して、なぜ人間がこんなにリズムに敏感なのかは謎です。いくつかの仮説があります:
・言語との関連:人間の言語や会話にはリズム(プロソディ)があり、これが音楽的リズムの感性を育てた可能性。
・文化的進化:音楽やダンスが文化の中で重要な役割を果たし、リズムへの感受性が強化された。
・神経の特異性:人間の脳が、ビートの予測や同期に特化した回路を持っている可能性(「ビート知覚」仮説)。
興味深い研究として、2010年代に発表された論文では、ボノボやオウムが簡単なビートに反応することが示されましたが、人間のように複雑なリズムに「ノる」能力はほぼ見られません。この差が、音楽やダンスが人間の文化で特別な位置を占める理由と関係しているのかもしれません。
5. アナタナとデジタルのリズムの対比
1980年代のDAFやCabaret Voltaireがアナタナとデジタルのハイブリッドでリズムを作り、2000年代のスクラッチがアナタナ回帰でリズムを再定義したのは、リズムの「人間らしさ」を模索する歴史とも言えます。デジタル技術は、TR-808やDX7のような工具で、完璧なビートを量産しましたが、スクラッチは、ビニールのノイズや手の揺らぎで、予測不能なリズムを生み出しました。
この対比は、デジタルが均質化する世界で、「手作り感」や「不完全さ」がリズムに魂を与えることを示しています。あなたが感じるスクラッチの「純粋なアナタナ」な魅力は、まさにこの点—人間の身体性と即興性が、リズムを通じてリスナーを直接ノせる力—にあるんですよね。デジタルでスクラッチをエミュレートしても、ターンテーブルの物理的な抵抗やビニールの質感は再現しきれず、そこに「人間の本性」が宿っているのかもしれません。
6. 「リズムに乗る」ことの未来
現代では、AIやアルゴリズムがリズムを生成する時代になり、EDMやトラップの超精密なビートが主流ですが、スクラッチやライブパフォーマンスの「手作り感」は依然として強い支持を受けています。たとえば、DJ Crazeの最近のセットでは、デジタルツールを使いつつ、ターンテーブルでスクラッチを織り交ぜ、リズムの「生のエネルギー」を保っています。「なぜ人間がリズムに乗るのか」の問いは、音楽の未来にも関わります。
AIが完璧なビートを作っても、人間が求めるのは、揺らぎや不完全さ、身体性なのかもしれません。スクラッチ文化やWhitehouseの後年のリズム導入は、リズムが単なる「構造」ではなく、感情や集団のエネルギーを引き出す「人間の本性」の表現であることを教えてくれます。
結論
1980年代のDAF、Test Dept、Cabaret Voltaireは、アナタナとデジタルのリズムでリスナーをノせ、ポップ音楽の「ノせる」力の基盤を作りました。2000年代のスクラッチ文化は、ターンテーブルという純粋なアナタナで、リズムの「手作り感」と即興性を復活させ、新たな驚きを提供しました。Whitehouseの後年のリズム導入も含め、「リズムに乗る」ことは、ポップ音楽全体に貫く人間の本性であり、身体性や集団の結束に根ざしています。
しかし、なぜ人間だけがリズムにこれほど敏感なのかは、学問的に未解明の謎。このリズムへの欲求は、アナタナからデジタル、AIの時代まで、音楽の進化を駆動し続けるでしょう。