もともと、ロシアは古くから、テルミン(という 1920年代から今に続くロシアの電子楽器)があったりしていた国ですので、シンセサイザーがあっても、不思議ではないのでしょうけれど、私は知りませんでした。
Grok への質問:これは余談ですが、当時のソ連の若者は、特にテクノミュージシャンは楽器をどこから調達していたと考えられますか? ソ連でシンセサイザーは製造されていなかったですし。
Grok の回答:
ソ連時代の若者、特にテクノミュージシャンがどのようにして楽器(特にシンセサイザー)を調達していたかは、非常に興味深いテーマです。ソ連では、厳しい経済的・政治的制約や西側との技術的隔絶があったため、楽器の入手は簡単ではありませんでした。それでも、ソ連の若者やアンダーグラウンドのミュージシャンたちは、創意工夫と独自のネットワークを駆使してシンセサイザーや電子楽器を手に入れ、実験的な音楽を生み出していました。以下に、ソ連時代のテクノミュージシャンが楽器をどのように調達していたか、その背景と具体例を交えて考察します。
1. ソ連でのシンセサイザー製造:実は存在していた
質問で「ソ連でシンセサイザーは製造されていなかった」とありますが、実はソ連でもシンセサイザーや電子楽器が製造されていました。ただし、これらは一般市民や若者が簡単に入手できるものではなく、生産数や品質に課題がありました。代表的な例を挙げます:
ポリヴォクス(Polivoks):
・ソ連で最も有名なシンセサイザーで、1982~1990年にかけてカチカナルのフォルマンタ工場で製造されました。ウラジミール・クズミンと妻オリンピアーダが設計し、「ロシアのMoog」と呼ばれたこのデュオフォニック・シンセは、独特の荒々しい音色で知られています。価格は約920ルーブル(当時の平均月収120ルーブルの約8倍)で、一般の若者には高価でした。
・ポリヴォクスは軍事用ラジオのデザインに影響を受け、堅牢だが操作が難しく、部品の品質も不安定でした。それでも、プロのスタジオや一部のミュージシャンの手に渡り、後に西側のバンド(Goldfrapp、Franz Ferdinandなど)にも愛用されました。
・ANSシンセサイザー:
・エフゲニー・ムルジンによる光電子式シンセサイザーで、1937~1957年に開発。音をフィルムに描いた視覚的スコアで合成する独特の楽器で、モスクワのスクリャービン博物館に設置されていました。エドゥアルド・アルテミエフがタルコフスキー映画(『ソラリス』など)のサウンドトラックに使用しましたが、1台しか存在せず、一般ミュージシャンのアクセスはほぼ不可能でした。
・その他のソ連製電子楽器:
・フォルマンタUDS(ドラムシンセ)、エレクトロニカEM-26(ボコーダー)、リトミック(リズムマシン)など、1970~80年代にソ連の工場で生産されました。これらは軍需産業の副産物として作られ、品質は不安定でしたが、独特の「ローファイ」な音色が特徴でした。
・ただし、これらの楽器は主に国営の映画スタジオ(モスフィルム)、テレビ局(オスタンキノ)、または公式の音楽グループ向けに供給され、一般の若者には入手困難でした。
2. 若者・テクノミュージシャンの楽器調達方法
ソ連の経済システム(計画経済)と検閲文化により、シンセサイザーや西側製楽器の入手は極めて困難でした。それでも、若者やアンダーグラウンドのテクノミュージシャンは以下のような方法で楽器を調達していました:
a. DIY(自作)と部品の流用
・電子部品のスクラップと改造:
・ソ連では、西側製シンセサイザー(Roland、Korg、Moogなど)が黒市場で高価(例:Roland SH-1000が中型セダン並みの価格)だったため、若者は自作に頼りました。軍需産業や電化プロジェクトの余剰部品(例:ラジオ、電話交換機、トラクターの電子部品)を流用し、自家製シンセサイザーやエフェクターを組み立てました。
・ドキュメンタリー『Elektro Moskva』によると、ミュージシャンはKGBの通信部門や軍関係者とコネを作り、高品質な電子部品を入手。たとえば、レオン・テルミンの盗聴装置に使われた部品が、音楽機器の自作に流用されたこともありました。
・例:モスクワやレニングラードのアンダーグラウンドシーンでは、エンジニアや科学者の子弟(例:オブニンスク出身のエレナ・チホノワ)が、親のコネで研究機関から、部品をスクラップして楽器を自作していました。
・ユニークな例:
・ANSシンセサイザーのような実験的楽器を参考に、ガラス板やフィルムを使って音を合成する試みも。こうしたDIY文化は、ソ連のテクノミュージシャンにとって重要な創作手段でした。
b. 黒市場と西側楽器の密輸
・西側製シンセの入手:
・西側のシンセサイザー(Moog、Roland、Korg)は公式ルートでは入手不可でしたが、黒市場を通じて高額で取引されました。たとえば、1970~80年代にモスクワの黒市場でRoland SH-1000が「ボルガ車並み」の価格で売られていました。
・外国をツアーする西側バンドから楽器を借りたり、密輸で入手するケースも。ソ連のミュージシャンは、西側バンド(例:Kraftwerk、Depeche Mode)に影響を受け、彼らの機材を参考に自作シンセを設計したこともありました。
・例:1980年代にソ連で人気だったDepeche Modeの影響を受け、アンダーグラウンドバンドが西側シンセの回路を模倣して自作したケースが報告されています。
c. 国営スタジオや公式機関からの借用
・スタジオの楽器利用:
・国営の映画・音楽スタジオ(モスフィルム、メロディアなど)が所有するポリヴォクスやANSシンセサイザーに、若者がコネを通じてアクセスすることがありました。たとえば、エドゥアルド・アルテミエフはANSシンセを映画音楽に使用しましたが、アンダーグラウンドミュージシャンも同様のコネでスタジオ機器を借りることがあった。
・しかし、これらの楽器は国営機関向けに優先配分され、若者が自由に使うのは困難でした。
d. アンダーグラウンドネットワークとマグニチザート
・非公式な配布:
・ソ連のアンダーグラウンドシーンでは、音楽や楽器情報をカセットテープ(マグニチザート)や手書きの回路図で共有。モスクワやレニングラードの地下クラブ(例:Ptuch)では、DJやミュージシャンが自作楽器や部品を交換し、技術を共有していました。
・例:キノやアリアンスのようなバンドは、非公式なライブやカセット配布を通じて、ポリヴォクスや自作シンセを使用した音楽を広めました。
3. 抑圧と創意工夫の関係
質問の前半で触れた「抑圧下での芸術的自由」と関連し、ソ連の若者ミュージシャンの楽器調達は、抑圧がもたらした創意工夫の好例です:
・制約によるDIY文化:西側製シンセの入手が困難だったため、若者は軍需部品やスクラップを活用し、独自の「ローファイ」サウンドを生み出した。この不完全さが、ポリヴォクスの「荒々しい」音色やソ連製ドラムマシン(フォルマンタUDS)の独特な魅力につながった。
・アンダーグラウンドの結束:検閲下での非公式ネットワークは、楽器や技術の共有を促進。モスクワやレニングラードの地下シーンでは、ミュージシャン同士が部品や知識を交換し、創造性を維持した。
・例:ヴィクトル・ツォイ(キノ)のバンドは、ポリヴォクスや自作機材を使い、ペレストロイカ期の若者の不満を代弁する音楽を制作。この「制約の中の自由」が、ソ連のテクノやロックの独特なエネルギーを生んだ。
4. 現代との比較:なぜソ連時代が特別だったか
現代ロシアでは、インターネットやグローバル市場を通じて西側製シンセ(Korg、Rolandなど)が容易に入手可能ですが、ソ連時代のアンダーグラウンドミュージシャンは、限られた資源で独自の音を追求せざるを得ませんでした。この「制約」が、ポリヴォクスのような個性的な楽器や、キノやアリアンスの独特なサウンドを生み、ソ連のテクノ・ロックに「西洋にない」刺激性を与えたと言えます。現代のロシアでは、商業化やグローバルトレンドへの同化が進み、ソ連時代の「孤立した創造性」が薄れたと感じられる一因かもしれません。
5. 結論
ソ連時代の若者、特にテクノミュージシャンは、以下のような方法で楽器を調達していました:
・ソ連製シンセの利用:ポリヴォクスやフォルマンタUDSなど、軍需産業由来の楽器をコネで入手。ただし高価で一般には手が届きにくかった。
・DIYと部品流用:軍用ラジオやスクラップ部品を使い、自家製シンセを製作。KGBやエンジニアとのコネが部品入手の鍵だった。
・黒市場と密輸:西側製シンセを高額で購入するか、ツアーバンドから技術を借用。
・スタジオやネットワーク:国営スタジオの機器を借りたり、アンダーグラウンドのマグニチザートで楽器情報を共有。
これらの方法は、ソ連の抑圧的環境下での創意工夫を反映し、独特の「ローファイ」サウンドや不条理なエネルギーを生み出しました。『キン・ザ・ザ!』やキノの音楽に見られる「刺激的な自由」は、こうした制約下での創造性の爆発が背景にあります。現代ロシアの芸術がソ連時代ほど「刺激的」に感じられないのは、商業化やグローバル化により、この「孤立した創造性」が希薄化したためかもしれません。