[漫画家歴37年、名作ギャグ漫画を数多く生み出した相原コージがコロナ禍でうつ病に。「マンガが描けない‥もう死ぬしかないのか」]という記事

(※) いやまあ、この件についてはともかく、経歴を見ますと「1963年 北海道生まれ」とありまして、「ああ、年も場所も同じかよ」と思いまして。

私はあまり漫画というのを読まない人でしたが、相原コージさんのギャグで今でも覚えているのは、いわゆるラブホテルの前にいる男女ふたりの男性が、

「ホテルに入ると、体がほてるよ」

と女性に言い、女性が、どよーんと、

「・・・・・」

となるシーンでした。


漫画家歴37年、名作ギャグ漫画を数多く生み出した相原コージがコロナ禍でうつ病に。「マンガが描けない‥もう死ぬしかないのか」

集英社オンライン 2023/05/18

『サルでも描けるまんが教室』『勝手にシロクマ』『真・異種格闘大戦』など数々のヒット作を世に放ってきた漫画家、相原コージ。そんな彼だが、実はコロナ禍になってからうつ病になり、マンガを描くことができなくなってしまった。のみならず、自殺を決行するところまでいってしまう…そんな氏が回復するまでのドキュメンタリー作を紹介する。

「うつ病になってマンガが描けなくなりました」(1)

数々のヒット作品を世に放ち、読者から根強い支持を集めるマンガ家、相原コージ。

しかし、氏はコロナ禍をきっかけにうつ病を発症し、自殺を決行するまで追い詰められてしまう…。

「そうですねえ。でもあるとしたら、あんまり「心の病気」と思いすぎないでほしい、ってことですねかね、うつを。仕事のストレスとか、人間関係とかで塞ぎ込んでうつになっちゃう、みたいなイメージが強いと思いますけど、そうとは限らない」

「ある日突然、なるんですよ。棋士の仙崎学の『うつ病九段』でも描かれてましたけど、特に心の問題を抱えていなくても、誰でも突然なる可能性がある病気なんです」(相原)

 

うつ病になってマンガが描けなくなりました(2)

「家の階段を踏み外し、全治3ヶ月の骨折。完治したと思ったら、今後はギックリ腰。
ずっと引きこもっていたところに、コロナ禍がやってきた。

気がつけば眠れない日々が続き…。

もしかしてこれって…。

思えばあれが前兆だったのかも……」(相原)

――闘病生活のことをマンガにしようと思ったのは、闘病中ですか? それとも寛解後ですか?

退院した後ですね。退院して、仕事を再開しようとするんだけど、マンガが描けない。たとえば発病前に連載してた時事ネタの四コマとか、考えてはみるんだけど、本当になにも思いつかない。

「発病編」の冒頭でも少し描いたけど、カラッポになっちゃって。その時に妻から「自分に起こったことをそのままマンガに描けばいいじゃん」って言われて、「それならできるかも」と。

…という相原コージがうつを自覚するまでにはどんな経緯があったのか。

 

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