ルドルフ・シュタイナーさんのおっしゃることには難しいことが多いですが、この講義の部分は、わりとわかりやすいです。『天地の未来』という本の「死者への思い」という部分からの抜粋です。
第一次世界大戦の渦中である1915年の講義で、当時おびたただしく出ていた「死者」にどういう思いで接して生きていくといいかというようなことを述べています。これからの社会も同じようになる可能性があるため、と思い、掲載させていただきます。
1915年11月22日のシュタイナーの講義より
大切な友だちが長いあいだ遠いところにいて、皆さんがその友だちのことを愛情を込めて思いながらも会えないでいるとき、その友人が写真を送ってくると、皆さんはその写真を大事にするでしょう。
その写真は皆さんの心を暖かくします。その写真は皆さんに必要なものです。
皆さんにとってその写真が貴重であるように、人間の目覚めた昼の意識のなかに生きる死者への思いは、死者にとって貴重なものです。
死者は地上を眺めるときに、「ありえないもの」でありながらも「なくてはならないもの」に精神プロセスが貫かれるのを感じます。そうでないと、死者は持続する精神プロセスを感じるだけです。
持続する精神プロセスが地上にいる心魂から発するものに貫かれるのを死者が感じると、それは愛する人々の写真のようなものになります。
ですから,「死者慰霊日や万霊節に墓地に行って、貴重な死者たちのイメージに満たされた多数の人々を見、そして、思い出されている心魂たちを見上げると、そのイメージは死者たちにとって芸術作品、大聖堂である」ということができます。
上から輝いてくるものが死者を照らします。
その死者たちにとって世界は素晴らしい大聖堂のようなものです。その大聖堂は私たちにさまざまな秘密を語り、世界に光を注ぎます。
あるいは、そのイメージは大切な写真のように、愛する人をありありと私たちに思い浮かべさせます。
…地上生活と霊的世界における生活とのあいだには、深く感動的な対照性があります。