かつての話ですが、夜の街を飲み歩いていた時に、私が知り合う女性の人たちに妙に集中するタイプの人たちがいました。
それは「メンタルが危うい、あるいは明確に病んでいる」という女性たちの一群でした。
みんながそうだったということではないにしても、普通に考えれば、そういう女性の方々と出会ったり、あるいは、そういう方々に気に入られたりするということが多かったのは事実です。
特に多かったのは、リストカッターとか、あとはベンゾジアゼピン系などの「依存」の人とか、いろいろでしたけれど、「なぜ、そんなにピンポイントで知り合ったのだろうなあ」と今でも不思議に思い出します。
最近、中島らもさんが生前に書かれた(死んだ後に作品書く人がいるかよ)……ああ、そういえばそうですね。普通は生前に作品を残すわけですが、中島らもさんのそういう作品の中に『今夜、すべてのバーで』というものがあります。
ご自身がアルコール依存症で 50日間だか入院をしていた時のことをベースにして、その前後の生活や周囲の人のことなどを小説として書いているものです。
この小説の中に出てくる女性で、それは中島らもさんの知り合いの知り合いの女性として出てくるのですけれど、彼女が自分の部屋で言っていた台詞が、今から十数年前に私が夜のお店の女の子から聞いた言葉と同じだったのです。
中島らもさんの小説に出てきた台詞は以下のものでした。
「私はお酒ってほんとうにだめなのよね。お肉もお魚も食べられないし。お菓子とおクスリで生きているようなものなの」
これを読んだ時に、
「わあ、まったく同じ人って、他にたくさんいるんだ」
というようなことを知りました。
その女の子は、吉祥寺のお店で会った女の子ですけれど、最初にお店で会った時に、
「この子、リストカットしてる…」
と、会った瞬間に確信した記憶があります。
彼女は、過度にスリムでしたけれど、しかし、お顔がものすごくお美しいので、おそらく多くの男性客たちは、そちらに目が行ってしまい、彼女を襲っている問題の根幹がすでに体型に出ていることはわからない人も多かったかもしれません。
なぜか、私はその女性から(恋愛とかそっち系のことではなく)好かれまして、よく電話をもらっていましたけれど、最初に出会った時に出た言葉が先ほどと、ほぼ同じだったのでした。
「お肉もお魚も食べられないし。お菓子とおクスリで生きているようなものなの」
ここにある中で「クスリ」というのは、その吉祥寺の彼女は言っていません。
なので、正確には、
「お肉もお魚も食べられないし。お菓子で生きているようなものなの」
になるかもしれないですが、しかし、あの状態で、メンタル系のクリニックにかかっていなかったとは、ちょっと思えないですし、In Deep などで書くこともありますけれど、メンタル系のクリニックで処方されるベンゾジアゼピン系の薬というのは、結局、ほとんどの人たちが依存に陥りますので、彼女も「お菓子とおクスリで生きているようなものなの」ということだったのだと思います。
それは聞きませんでしたけれど。
「お肉もお魚も食べられないし」と言われた時に、私は、
「あ、じゃあ、野菜を食べる?」
とききますと、
「野菜を食べる機会がないから」
と彼女は言っていました。
基本的に「何も食べないで毎日生きている」というような方でした。
彼女からは頻繁に電話がかかってきたりしたこともあり、電話で話したりはしていましたけれど、そのディープさは「底が見えない」感じで、少しずつ疎遠になりました。
私は人生において、「パンドラちゃんを引き寄せる」ことにはどうも長けているようなのですけれど、そのパンドラちゃんたちとの対応に苦慮し続けているという人生でもありそうです。
それでも、多くのパンドラちゃんたちは魅力的であり、そして、ほぼ全員が「特別に寂しがっている」人々でした。
そういう女の子たちが救われればいいなとよく思います。
でも、言うほど簡単なことでもないですし。