「二十代ソング」カテゴリーアーカイブ

三十代によく聴いていた曲(19):ディック・デール – Misirlou(1963年)

この曲自体は、私が生まれるかどうかあたりの古い時代の曲ですけれど、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』を見たのは、1994年頃で、30を過ぎた頃です。そこで初めて聴いたのです。

このオープニングで使われたこの曲が(おそらく多くの人に)相当強い印象を与えまして、その後、この曲が 1960年代のディック・デールという人たちの Misirlou という曲だと知ったのでした。これは、当時あった(今でもあるのかもしれないですが)サーフ・ロックというジャンルで、つまり、本来はサーファーたちのロックというような感じですかね。

この Misirlou というタイトルの英語が読むことができなくて、後に聞いてみましたら、これは英語ではなく、トルコ語で「エジプトの娘」という意味だそうです。読みは「ミザルー」とか言うらしい。以下のように、ワイワイと踊りながら聴くような享楽的なものだったようです。

Dick Dale & The Del Tones – Misirlou (1963)

この頃から、サーフ・ロックなんてのもたまに聴くようになりました。

それにしても、映画というのは、音楽がいかに大事なものかを…まあ、もともとそうは思っていましたけれど、パルプ・フィクションはそれを徹底的に押し出していた映画でした。

この Misirlou が使われたパルプ・フィクションの冒頭は以下です。今見てもいいですね。

パルプ・フィクションのオープニング(日本語字幕)

爽やかな時代でした。




三十代によく聴いていた曲(18):エフタークラング – Step Aside(2004年)

1999年頃からは HIP HOP ばかり聴くようになっていったのですけれど、たまにレコード屋などに行って、「お、これは?」とか、適当に買うこともまた多かったです。

もともと実験音楽とかテクノ系サウンドが十代から好きだったこともあり、これはデンマークのユニットなんですが、「ほお、デンマーク」と、欧州系のユニットには、どこか惹かれるものはありました。そして、こういうのをたまに聴くと、なんか自分の十代の頃の音楽指向性とどこか似ていて、安心したものです。

「ちゃんと洗練されると、こんな素敵な曲にもなるもんなんだなあ」と。私は音楽を洗練させることができなかったので、どうやっても、こうは行かなかったのですけれど。

Efterklang – Step Aside(2004)

このエフタークラングというのは、どこか「実験音楽のマイ・ブラディ・バレンタイン」みたいな感じも受けまして、三十代の頃にマイ・ブラディ・バレンタインを聴いていると、二十代の時によく遊びに行っていた東京の下北沢を思い出したものですけれど、陳腐な表現ですと、青春的なイメージもなくはないです。

二十代の私の生き方は、一般の価値観から見ればどうだったかはわからないですが、自分としては、自分の思うなりにストレートに生きていたと思いますので、思い出としては、いい思い出ばかりです。




YMOとスロッビング・グリッスルのメンバーが一緒に写っているすごい写真を発見

この組み合わせはすごい。こんな写真があったんですねえ。

Xへの投稿より

Bill Pourquoimec

いつ頃どこで撮影されたものだろうと AI (GEMINI)に写真分析を依頼しますと、「特定はできませんが、1979年末から1980年初頭にかけての写真である可能性が非常に高いと思われます」との回答でした。

そして、GEMINI はひとりひとりのメンバーを説明してくれているのですが、基本的に間違っていました(苦笑)。

GEMINI は、

> 左下でタバコを吸っているのが、TGのジェネシス・P・オリッジさんである可能性が高いです。

と言っていますが、タバコを吸っているのは、高橋幸宏さんです (GEMINI は他の人もほとんど間違えていました)。顔認識弱いですね、GEMINIは。

私がわかる部分では、以下だと思われます。真ん中の背の小さな女性は矢野顕子さんでしょうか。右側の白いシャツを着たおふたりは正確にはわからないですが、後ろの方はシンセサイザープログラマーの松武秀樹さんですかね。

高橋幸宏さん、かっこいいなあ。

ちなみに、GEMINI によれば、

> 坂本龍一さんはスロッビング・グリッスルのアルバム『20 Jazz Funk Greats』(1979年12月リリース)を当時お気に入りの一枚として挙げており、この時期に両グループの交流があったことは知られています。

とあり、それは知りませんでした。

スロッビング・グリッスルのこのアルバムは「二十代によく聴いていた曲(83)」で取り上げたことがあります。




三十代によく聴いていた曲(17):暴力温泉芸者 – タイトルなし(1996年)

二十代後半からロックを聴かなくなり…というか、29歳くらいの頃から全然音楽を聴いていない時期が続いたことは書いたことがありました。

そして、三十代中盤になって、ヒップホップなどというものと出会ってから、また音楽視聴生活が開花したのですけれど、その頃、レコード屋に行ったときに、変なジャケットのアルバムがあったんですね。

以下のジャケットです。

書かれてある文字を読みますと、Violent Onsen Geisha とある。

ああ、暴力温泉芸者」と何だか無意味に感動して購入した記憶がありますが、暴力温泉芸者というのは、文字通り日本の音楽家で、結局は有名な人にもなるんですけれど、中原昌也という方の一人ユニットでした。1980年代の後半からありましたかね。

ちゃんと Wikipedia にも出ている人で、

> 中原 昌也は、日本の音楽家、映画評論家、小説家、随筆家、画家、イラストレーター。1988年頃から音楽活動を始め、1990年にノイズユニット暴力温泉芸者を立ち上げ、海外公演などを通じて日本国外でも活動している。音楽活動と並行して映画評論も手がけ、1998年には小説家としてデビュー、2001年に『あらゆる場所に花束が…』で三島由紀夫賞、2006年に『名もなき孤児たちの墓』で野間文芸新人賞を受賞。

などという華々しい経歴が出ていますが、つまり「ノイズの人」だったんですけれど、このユニット名の強烈さから記憶に残り続ける人でした。

このアルバムをレコード屋で見たのは 1990年代の中盤でしたが、まだ作品を出しているのだなあと感銘しまして、購入しますと、まあ、ノイズなんですけれど、その頃、ヒップホップばかり聴いていた私には、むしろ新鮮で、「ああ、青春の音だなあ」としみじみとしたものです。

このアルバムは、すべての曲にタイトルがついていないですが、以下はそのうちのひとつを、ずいぶん前に(確かコロナの頃)に適当な映像をつけて私がアップしたものです。

これをアップしたコロナの頃は、マスクだの緊急事態宣言だので、こちらも頭がおかしくなりそうな頃でしたので、頭のおかしくなりそうな音楽はむしろ幸いでした。

映像は、ソ連の 1970年代の映画『ざくろの色』(なんとなく持っていました)から適当に抜粋して、色などを過度に修飾したものです。監督の名前をどうしても思い出せなかったのですが、「セルゲイ・パラジャーノフ」という名前だということを、半日くらいかけて思い出しました。

暴力温泉芸者 – The Midnight Gambler -Track3 (1996)

どこからどう聴いてもノイズですが、私が十代二十代を過ごした中で、ノイズは他のさまざまな音楽ジャンル、それはロックとかジャズとか沖縄民謡とか歌謡曲とか浪曲とか(浪曲までかよ)と変わらないほど影響を受けたものです。

でも、やっぱり変な音楽ですよね(苦笑)。




三十代によく聴いていた曲(16):ラスプーティナ – トランシルバニアの妾(1996年)

何がどうというあれではないですけれど、過去 30年近く聴き続けている曲だなあと、ふと思いまして。

ニューヨークのバンドでですね。チェロとかをベースにしているユニットで、本人たちは、以下のように結構いさましいです。

Rasputina

以下がプロモですが、私は self23 とは別に、女性だけの表現ユニットをやっていましたが、いつも、こういうイメージがどこかにありました。

Rasputina – Transylvanian Concubine (1996)

女性、あるいは女の子だからこそ解き放つことができる表現性というのは重要ですよ。

確かにアメリカにはかつていろいろなバンドがありました。今もあるんでしょうけれど、私はもはや音楽情報を知らないです。




三十代によく聴いていた曲(15):ロブ・スウィフト – Something Different(1999年)

ヒップホップを聴き始めて、わりとすぐの頃に知ったのが、X-Ecutioners というスクラッチ・ユニットで、そして、とても気に入ったのが、その 4人のメンバー中のひとりであるロブ・スウィフトという人でした。

その人が 1999年にリリースした「The Ablist」というソロアルバム (フルアルバムが YouTube にあります)をレコード屋で見つけたのが、その 1999年頃でしたかね。

買った理由は、「ジャケットの人の顔が気に入った」こともあります。

アルバム全体としては、基本的に、ソウルなどに準じたリズム感の強いヒップホップアルバムなのですが、X-Ecutioners のアルバムでもそうなんですけれど、好きというより、ロブ・スウィフトには「一種尊敬に近い念」を当時は持っていましたね。

何だかこう…音楽からも本人の顔からも修行僧みたいな雰囲気を強く感じていまして。

私は、実は「尊敬している人」というのが、驚くほどいなくて、まあ、人生の中で 3人もいるかどうかですが、ロブ・スウィフトはその一人の方ですね。

別にそれを意識していたわけではないですけれど、私が尊敬に至る人物というのは、結果としてですが、もちろん、それに値する何らかをしているということがあるのですけれど、その他に、

・眼光に特徴がある(鋭くても、ぼんやりししても)

・白人種ではないこと

などがあります。

尊敬している後の 2人は、全然関係ないジャンルの人たちなので書きませんけれど、一般的には、あまり知られていない人ばかりかもしれません。

ともかく、この The Ablist というソロアルバムもこのジャケットの眼光で購入したようなものです。眼がいい。

The Ablistのジャケットより

そのアルバムの中に、ほとんど前衛にも近いヒップホップが収録されていまして、以下がそれです。

Rob-Swift – Something Different (1999)

それから、何年も十何年も経って、この世に Wikipedia というようなものも出てきて、初めてロブ・スウィフトの生い立ち等を知りますが、他の多くの DJ たちのようにストリートから出てきたと思っていたのですけれど、ニューヨークの大学を卒業していて、それから音楽活動に入ったようです。

その後は、ニューヨーク市の大学の教授をやっているそうですけれど、まあ、ご健在で良かったです。相方とも言えたロク・ライダというロブ・スウィフトの最大の相棒だった DJ は、16年前に亡くなっていますから。

今でも、ロブ・スウィフト関係のアルバムは、ほぼ持っていると思いますけれど、今はレコード(アナログ)を聴く環境にないですので、どこかに仕舞われたままです。




三十代によく聴いていた曲(14):Daft Punk – Technologic(2005年)

よく聴いていたわけではないのですけれど、前回の記事までなどで書きました「大量消費」される音楽が、1999年前後から世にあふれてきて、その中には「テクノ」というものもありました。

ヨーロッパでは、ベルギーテクノだとか、ついにはハードコア・テクノ(ガバと呼ばれていました)なども出てきていましたが、「もはや誰の音楽だかまったくわからない」という同一のジャンルの大量生産。ヒップホップ(というかラップ)の世界もそうでした。

もう何でもかんでも世に出るのですけれど、そうなると、個々の作品の商業的価値はなくなってくるのです。もちろん、商業的価値が音楽を決めるものではないですが「誰の音楽かわからない」というものが増えすぎると、それはそれで何だかなあと。

それぞれはいい曲なんですよ。でも、埋没してしまう。

そういう中で、そういうテクノ的な世界の中で商業的に成功した人の中には、エイフェックス・ツインという人とか、ダフト・パンクとかいう人たちはいました。

私自身はどちらもどんな人だかはよく知らないですけれど、曲はいくつか聴いていました。

Daft Punk – Technologic(2005)

しかしまあ…。

こういうダフト・パンクみたいに成功した人たちより、埋没したミュージシャンとか知名度がほぼないミュージシャンのほうが今でも好きですね。

もともと、そういう得体の知れない表現家たちに憧れて、こっちの領域の世界に入ってきたのですから。どっちの領域かよくわからないですが。