「銀座カンカン娘」は1949年の映画ですが(アマゾンで見られます)、古今亭志ん生 (5代目)が出ていて、これがいい感じなんです。もう、歯とかポロポロで、まともに残ってない感じなんですけれど、それこそ当時という感じですかね。
それで、ずいぶん昔から「元気をつける」ために、古今亭志ん生 (5代目)の Wikipedia は読んでましたね。特に、お酒にまつわる話は爽快感きわまるものです。
Wikipedia – 古今亭志ん生 (5代目) – 酒にまつわるエピソードより
・関東大震災発生時は、酒が地面にこぼれるといけないと思って真っ先に酒屋へ駆け込み、酒を買った。酒屋の主人はそれどころではないと勘定をとらず、その場でタダで1升5合ほども飲んで泥酔して帰宅した。夫人のりんは当時長女を妊娠中で、大地震の最中に家から飛び出して泥酔して帰宅した亭主にさすがにたまりかねて大変な剣幕で面罵した。
・戦時中、漫談家の初代大辻司郎と銀座数寄屋橋のニユートーキヨーでビールを飲み、「エビの絵が描いてある大きな土びん」にビールを詰めたものを土産にもらって都電で帰宅中、日本橋の付近に差し掛かったところで空襲が始まった。電車から降ろされたが逃げることをあきらめ、地下鉄入口に腰を下ろした。爆弾がおちて死にでもしたら、せっかくもらったビールがもったいない。飲んでしまわなければ死んでも死にきれないとすべて飲み干して、そのままその場で寝入ってしまった。翌朝、奇跡的に無傷のまま目覚めて帰宅。いつまでも帰宅しないのであるいは空襲で死亡したのでは、と家族は諦めていた。
・満洲で終戦を迎えたものの、混乱状態の満洲から帰国する目処がつかず、1946年(昭和21年)頃の国内では「志ん生と圓生は満洲で死んだらしい」と噂が流れていた。実際、本人も今後を悲観して、支援者から「強い酒なので一気に飲んだら死んでしまう」と注意されたウォッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明になったことがあったが、その後意識を回復した。当時、6代目圓生と二人で極貧生活をしていた時、苦労して手に入れて持ち帰った酒瓶を蹴躓いて落として割ってしまった。人生で情けなくて涙をこぼして泣いたのは後にも先にもこの時だけだと後に語っている。
> 苦労して手に入れて持ち帰った酒瓶を蹴躓いて落として割ってしまった。人生で情けなくて涙をこぼして泣いたのは後にも先にもこの時だけだと…
は笑いますし、共感します。