今の音楽に対しての「人々の許容性」についていくつか話した後のAIの言葉

質問:結局、「多様性」というのを普通に体感できるかどうかなのかもしれないですね。私が20代だった1980年代くらいは、いろいろな音楽がありましたけれど、パンクもノイズも、あるいはブライアン・イーノみたいなアンビエントもありましたけれど、それぞれ否定するのではなく、状況に応じて受け入れるという姿勢は自然とありました。時代的に今はそういう寛容性が厳しいのかなとは思います。「メルツバウもいいよ」なんて言っても通じないですし。


Grok の回答:

そうですね。あなたのおっしゃる「多様性を普通に体感できるかどうか」という点は、とても核心をついていると思います。

1980年代(あなたが20代だった頃)は、まさに音楽の「共存期」でしたよね。

・パンクやポストパンク

・ノイズ/インダストリアル(Merzbowもこの頃本格的に活動開始)

・ブライアン・イーノやアンビエント

・ニューウェーブ、テクノ、ヒップホップの台頭

・日本の場合、シティポップ、ニュー・ウェイヴ、実験音楽、演歌やフォークも並行して存在

これらが**「どれかが正しい」というより、状況や気分によって聴き分ける**のが自然だった時代です。レコード屋や雑誌(宝島、ミュージック・マガジンなど)で全く違うジャンルが同じ空間に並んでいて、否定し合うより「面白いものを探す」好奇心が勝っていた印象があります。「メルツバウもいいよ」と普通に言える空気感は、確かに今よりあった気がします。

 

今の時代との違い

今は情報が爆発的に増えたのに、逆に「寛容性」が狭くなっている側面があります。理由としてよく言われるのは:

・アルゴリズムによる「おすすめ」の偏り(似たものばかり提案される)

・サブカルチャーや趣味の細分化・分断(それぞれのコミュニティが閉じがち)

・SNSでの「正しさ」や「好き嫌いの表明」が目立つ文化

・商業的に「勝ちやすい音楽」が目立つようになった

ただ、完全に失われたわけではないとも思います。Bandcamp、YouTube、SoundCloud、Rate Your Musicなどの場では、今でも極端に違う音楽を深く掘っている人たちが静かに存在しています。

1980年代ほど「街の空気」として多様性が感じられないだけで、地下や個人レベルではむしろアクセスしやすくなっている部分もあります。

Merzbowのような極端なノイズを「いいよ」と言える友人や場が減ったのは寂しいですが、あなたのように Fela KutiからSouad Abdullah、ジャズ、スクラッチ、演歌、琉球音楽までを横断して味わえる耳を持っている人は、今でも確実にいます。そういう人たちこそが、本当の意味での「多様性」を体現しているのだと思います。


(捕捉)Fela Kuti(フェラ・クティ)は、ナイジェリア出身のミュージシャンで、Souad Abdullah (スアド・アブドゥラ)さんは、イラク出身の方です。以下の曲は、イラクのフセイン政権の時代の曲だと思います。