(コメント)最近、昔の知り合いなどと会うと、「初めて会ってから40年 (@_@)」ということに気づくこともありまして、自分も長いことないなあ、とか思う部分もあり、寝る前に思い出投稿をしようと思います。
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The Jimi Hendrix Experience – Are You Experienced (1967年)
高校生のときに、よく麻雀をしていたのですけれど、麻雀をするのはおおむね中学からの知り合いで、中学高校を通じての唯一の友人だったと思っているコバヤシくんという人や、コバヤシくんのすぐ近くに住んでいるという理由で、やはりよく一緒に麻雀をやっていた T くんという人などがいました。
Tくんは中学後も同じ高校だったんですが、その後はよく知らなくて、数十年後に偶然会ったときに聞けば、高校卒業後に東北大学の薬学部に行って、その後はずっと大手の製薬企業に勤めているということでした。
ちなみに、「友人」という基準は大変に曖昧ですが、私としては、「会う理由がないのに会う人同士」だと認識しています。
コバヤシくんには、高校時代(高校は別でした)も意味なくよく会っていましたけれど、コバヤシくんは、高校の時に東京のある大学から「スキーでの推薦入学」の話をもらっていました。
今だと入試もそれなりに難しそうな大学で。
コバヤシくんは何でも得意な人でしたけれど、スキーも、中学や高校時代に何度も地元の大会で優勝したりしていて。
私 「〇〇大学に推薦で入るんだって?」
コバ 「行かねえよ」
私 「だって、入試しないで大学入れるんでしょ?」
コバ 「スキーで入ったら、ずっとスキーやんなきゃいけないだろ。そんなのヤダよ。スキーは単に好きなだけだから」
私 「ああそう。オレなんか何もないからさ、入試受けるしかないんだよ。面倒くせえよな」
そんなこともあり、コバヤシくんは大学に行かなかったんですけれど、そのうち、防衛省に入ったんですね。
まあ、コバヤシくんのお父さんが自衛隊の幹部だったので、そういう絡みもあったのかもしれないですが、よくはわかりません。
その後、ロシア語の能力を上から見出されたコバヤシくんは(当時はソ連が仮想敵国)、本当にソ連に、いわゆる諜報で赴くことになるのです。ソ連が崩壊する少し前の話です。三十数年前の話ですから、書いても構わないでしょう。
しかし、その後は、行方がわかりません。
今も元気だと思うのですけれど、もう連絡先などはお互いにわかりようがないですし(コバヤシくんにはかわいい彼女もいたんですが、そんな人のこともわかりようがないですし)。
コバヤシくんは、サングラスなんかをかけると、ロシア領土周辺の民族とほとんど見分けがつかない人で、欧米の一部を除けば、どこでも「そこの人」として生きていける感じの容貌でした。ギリシャでも現地の人として通じる。
私なんかは所沢を一歩出ると「うわ、変なガイジンだ」とか中傷されますからね(どんなルックスしてるんだよ)。
西荻窪に住んでいる時に、鼻が曲がった不思議な人がいて…(いいから、話の脱線は)。
何がすごいって、コバヤシくんは、とにかく麻雀のゴト(不正)の天才で、サイコロの目も自由に出せるんですよ。
私 「積み込み(イカサマ)はともかく、どうやってサイの目を出すの?」
コバ 「簡単だよ」
と、出したい目を出しちゃうのですね。
私 「ピンぞろ(二個のサイコロの目に、そろって1が出ること)は?」
コバ「こう」
私 「ひぇえ、そんな簡単に」
私は、いかに自分自身に才能がないのかを才覚するしかなく、「なんでもできる人っているよなあ」と感嘆していたものです。
あれ? これは何のコーナーでしたっけ。ああ音楽だ。
実際、コバヤシくんからは非常にたくさんの音楽や音楽家を教えてもらいましたけれど、最初にショックを受けたのは、中学2年の時に教えてもらったジミ・ヘンドリックスの「アー・ユー・エクスペリエンスト?」でしたかね。
ジャケットを見ながら、
私 「このギターの人は顔色悪いね。肝臓悪いのかな」
コバ「そうじゃなくて、黒人だから…」
という会話をしたことをおぼえています。
今ではできない会話ですね。