「覚せい剤で現行犯逮捕、「どん底」味わった元政治家が語る「更生」という言葉の重み」という記事

 

(※) 『幸せはガンがくれた』という私の好きな本がありまして、そこには「ガンになったからこそ幸せを得られた」人たちの自然治癒の記録が数多く載せられていますが、少し同じ感じがしました。

> 「これは、あとから妻に聞いた話ですが、私がこれまでのように『いやな夫・父親』のままだったら、覚醒剤を使っていなくても別れていたそうです。たしかに、私は常に家でピリピリした空気を作っていました…妻や息子は息苦しかったと思います」

[参考記事] 無視され続けたガンの自然退縮に見る「病気を治せるのは自分だけ」という真実と「言葉の重要性」


覚せい剤で現行犯逮捕、「どん底」味わった元政治家が語る「更生」という言葉の重み

弁護士ドットコムニュース 2021/12/12

「刑罰よりも社会的制裁のほうがつらかった」。かつて、覚醒剤を所持していたとして、現行犯逮捕された細川慎一さん(47)は、こう語る。当時、現役の葉山町議(神奈川県)だった。

2016年、覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けて、2019年に執行猶予が満了し、現在は前科があることをオープンにしたうえで、更生支援に関する啓発に取り組んでいる。

しかし、その道のりは決してラクなものではなかった。「自分が笑顔でいることも許されないのではないか」と悩んだこともあるという。

●「社会的制裁の方がつらかった」

細川さんが覚醒剤を初めて使ったのは、10代のころ、交際相手にすすめられてのことだった。だが、使う理由もなかったため、すぐに断ち切ることができた。

その後、がむしゃらに働きながら、政治家を目指し、20代で横浜市議選、30代で神奈川県議選に立候補するも、いずれも落選した。2度目の落選をきっかけに、再び覚醒剤に手を出した。このときは、昼夜仕事に打ち込むために数回使った程度だった。

2015年4月、葉山町議選に立候補し、40歳で念願の当選。「最年少」「最多得票」として注目を浴びた。プレッシャーを感じながらも、仕事に追われる日々。家庭内では、妻や息子に厳しく当たる「いやな夫・父親」だった。

当選から半年後、以前に連絡を取っていた密売人に電話し、覚醒剤に頼った。仕事に没頭するためだ。気づけば週1回は使うようになり、睡眠も取らずに仕事や勉強に励んだ。そして、2016年2月、覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕された。

メディアは、細川さんの逮捕を大々的に報じた。自宅にも報道機関が押しかけたため、妻は家に入ることもままならず、当時小学校中学年だった息子を連れて、実家に身を寄せた。SNSに載せていた家族写真も流出。「出て行け」などの文書も家に届いた。

それだけでは済まなかった。住んでいた家の大家から退去するように言われて、妻と息子は引っ越しを余儀なくされた。細川さんが留置場でそのことを知ったのは、2人が新居に移ったあとのことだった。

「息子は転校することになりました。新しい小学校には年度始めの4月から通い始めましたが、それまでの期間は学校に行くことができませんでした。友だちに何も言えないまま、前の学校を離れることになってしまったんです。妻も体調を壊してしまいました」

●「更生できる社会に変えてくれよ」言葉の重みに気づく

逮捕段階では「デマ」も報じられ、それに対する非難も相次いだ。

「私が『(覚せい剤と注射器は)警察官がポケットに入れた』と主張していることが報じられたんです。そんな事実はないので、裁判でこのことに触れ、否定しました。でも、記事が訂正されたり、裁判の発言が取り上げられたりすることはありませんでした」

議員の資格も失い、妻から離婚を切り出されることも覚悟した。しかし、妻と息子は細川さんを見捨てなかった。

「これは、あとから妻に聞いた話ですが、私がこれまでのように『いやな夫・父親』のままだったら、覚醒剤を使っていなくても別れていたそうです。たしかに、私は常に家でピリピリした空気を作っていました…妻や息子は息苦しかったと思います」

家族と向き合い、夫・父親としても自分を見直すことを決めた。しかし、インターネット上に残る報道がデジタルタトゥーとして、足を引っ張り続けた。現在、前科をオープンにしたうえで活動しているのは、「そもそも、隠すことができない」ためだ。

「仕事の面接を受けても、ことごとく落とされました。検索すれば出てきますからね。ようやく働き始めた飲食店に『犯罪者を雇うのか』とクレームが入ったこともあります」

厳しい現実を目の当たりにし、細川さんは留置場で出会ったある男性の言葉を思い出した。「更生なんて無理だ。更生できる社会に変えてくれよ」。違法薬物を使用し、刑事施設への出入りを繰り返している中年男性だった。

「男性の話を聞いたときは『他力本願ではないか』と苛立ちを覚えました。でも、実際に社会で生きることは難しかった。この国で生きていけるのかと思ったほどです。あとから、彼の言葉の重みに気づきました」

●回復のために「生活保護も受けた」

細川さんは、11月21日におこなわれたオンラインイベント「ことぶき更生サロン」(主催:横浜市ことぶき協働スペース、共催:神奈川県地域生活定着支援センター)に、ゲストとして出演した。

裁判を終えたあとに歩んできた回復の道のりや、現在おこなっている啓発活動などについて語った。

「裁判官に薬物依存症の治療を受けることをすすめられたんです。ただ、病院がどこにあるのかもわからず、受診しても治療を断られ続けていました。妻にも相談して、ようやく病院をみつけてもらい、2カ月に1度の通院を始めました」

薬物依存症の回復支援施設である「ダルク」にもつながり、通い始めた。ところが、プログラムは日中におこなわれるため、生活費をどう工面するかという問題にぶち当たった。悩んだ末に、一定期間は生活保護を受けることに決めた。

「正直、生活保護を利用していた事実は隠したいと思っていました。でも、生活保護という制度があることはもちろん、『利用していい』『利用したほうが社会復帰もスムーズになる』ことを世の中に伝えたいと思い、隠さずに話すことにしました。

私はダルクに通ってよかったですし、効果を感じました。仲間もできましたし、自分に合っていたんですよね。ただ、一言で『依存症』といっても千差万別です。症状や程度も人それぞれですし、人によって合うプログラムなども違うので、これはあくまで私の場合です」

逮捕されてから約1年後の2017年2月、更生支援に関する啓発活動に取り組むため、NPO法人「Hatch」(横浜市)を設立した。

留置場で出会った人たちの中に医療・福祉が必要な人たちがいると知ったこと、自分自身が制度に救われたことなどから、まずは現状を「知ってもらう」ための活動が必要だと考えた。啓発のための動画を配信したり、大学やイベントで講演したりしている。

●「更生」したことの証明がほしい

家族とともに回復の道を歩む細川さんだが、そんな彼を今も悩ませている言葉がある。「社会復帰」と「更生」という言葉だ。

「『更生しろ』『社会復帰を』と世間に言われるたびに、何をすれば『更生』や『社会復帰』したことになるのだろうと考えています。目で見てわかるものでもないと思いますし、私も今『更生した』といえるのか、正直、自分でもよくわかりません。『更生(あるいは社会復帰)証明書』のようなものを発行してほしいと思うことさえあります。

『社会復帰』や『更生』とは『こうあるべき』という確固たる思いがある人もいるでしょう。ただ、たとえそのような思いがあったとしても、それを立ち直ろうとしている人たちに対して、一方的に押し付けないでほしいと思います」

これまでは「反省していないと思われるのでは」などの思いが頭をよぎり、笑顔になることにも抵抗があった。しかし、今は「更生」とは、文字どおり「更に生きる」ことだと考え、とにかく前を向きながら生きることを重視している。「どん底を味わったからこそ、どんな困難があっても前向きに生きていける」と話す細川さん。少しでも生きやすい社会にするために、今日も前に進み続ける。