指一本ふれないということ
思えば、このホームページをはじめた時に三十代中盤だった私も、気付けば 80歳を越えていて(早いな、オイ)、いやいや、ともかく、まあ確かにトシをとったりとかはしてくるわけです。
それにしても、「トシをとる」とは何なのか?
十代の頃には、「ハタチになったらオレも変わるのだろうな」とか思っている。二十代でも「30になったら」とか思っている・・・まあ、その繰り返しで、次は・・・と最近考えると、
「もう死ぬまで変わんないんじゃないのか?」
という漠然とした不安。
もちろん、ここでいう「変わる」というのは、女の子に対してのことで、さらにいうと、このサイトでいうと、「キャバクラ嬢との付き合い方」ということにもなるのかもしれません。
最近の落ち着きのない自分の態度を見ていると、この落ち着きのなさはむしろ年齢と共に大きくなっている気がするのですよ(笑)。
最終的には、みんな内田裕也さんになっていく・・・・・・(ああやだ)。
まあ、なんだかよくわかんないから、いいや。
今日はタイトルのとおりなんですけど、もともとの NOFIA のこちらのページ、
・キャバクラでのタブー キャバ嬢に嫌われる行動
などにも書いたことがあるんですが、「さわる」ということの無意味性というか、少なくともキャバクラにおいては、本当に嫌われる行為であるということをもう一度書いてみたいと思います。
前も書きましたが、 NOFIA は道徳論の場ではないので、「見知らぬ女性をさわってはいけない」という当たり前の道徳観の話を書こうというのではなく、
・お金を払ってお店に入って、わざわざ嫌われることはない
ということを書きたいのです。
「さわる」という行為に関しては、女の子から「ホントーに嫌われる行為」のひとつです。お店で脱糞する客のほうがマシかもしれません。
これは多分、一般の男性が考えているよりずっと「嫌われる行為の上位」に位置するもので、少なくとも初対面か、それに近い程度の関係だった場合は、まったく何の問題もなく、女の子から嫌われるはずです。
そして、以前書いたのですが、
・キャバクラ嬢の職種は接待業である
という大きな一点があり、つまりさわられて心底イヤでも、少なくともお店では、「さわんな、このスケベジジイ!」とは言わないし、言えない部分があります。なので、その「拒否行動」がやんわりとしているために、お客さんは「どれだけ女の子がイヤだと思っているのかよくわからない」という部分が多少あるように思います。でも、実際には、さわるお客さんというものは、本当に嫌われてしまっていると思います。
普通のお店ではボーイさんなどの男性従業員が比較的監視というか、よく見ているとはいえ、「ちょこっとさわる」程度まで見られるわけでもないわけです。そして、この「ちょっこっと」もダメです。同じようにとても嫌われるはずです。
なので、原則としては、
・指一本ふれない
ことを徹底するべきだと思います。
このことは、私の知り合いの「それによって男性不信になりかかっている」という女の子たちのエピソードも入れて、また書きたいと思います。
もし、あなたがお店で少しでもその女の子に好かれたいと思った場合、いろいろと彼女が喜ぶことをしたり言っても、この「さわる」という一点で、すべてが吹き飛ぶ可能性さえあるんですよ。
女の子の信用を失うと、その後の展望はあまり明るくないのではないでしょうか。
「さわる」というのは別の時点での別の行為であり、つまり、そこから仲良くなって、付き合ったり、付き合わないまでも、「なんかあったり」といった場合なら、それはもう、どんどん部屋とかホテルとかでさわってください。なめたりしてもいいです(余計なお世話だ)。
でも、「お店にいる時はそういう段階ではない」ということを死ぬほど肝に銘じるのもいいと思います。
どんなに酔っぱらっていても、その言い訳も通じません。
たとえば、これは「仁義なき戦い」の金子信雄先生のシーンですが、こういう態度ではダメだということです。
お金があっても、股間から札束を出してはいけません(笑)。
いろいろな意味で、もう時代は違います。
あるいは、そういう欲求を満たすためのお店はいくらでもあります。キャバクラのある通りになら、隣接していることも多いのではないでしょうか。セクシーパブ関係、ピンサロ、マッサージ。
どちらがいい悪いではなくて、この世には「役割分担」というのがあって、それぞれで女の子たちは頑張っているわけで、「ジャンルの違うところでジャンルの違うことをしてはいけない」と。
上にも書きましたが、これは道徳論ではないです。
「お店で女の子にさわらない」というのは、モテなくても、「少なくともお店で嫌われない」ためのもっとも基本的なルールのひとつだと思います。
「女子にさわるは自爆テロと見つけたり」 (松尾芭蕉)
松尾芭蕉の歌ではなかったかもしれないですが、そのあたりの些細な間違いなど問題にはなりません。
それほど重要なことです。
2011.06.12
